新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

5月26日「今日の礼拝堂」

2019年05月27日 | 今日の礼拝堂

 復活後第5主日    

今週の祈り:すべての良きものの源である神さま。あなたの聖なる息吹を与えて、正しいことを考え、それを実行できるように導いてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

    〇復活後第5主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ14:23~29

               「 支  配 」 

  今日与えられた箇所はイエス様が十字架にかけられる前にした最期の説教の一部が読まれました。そこでは弁護者、つまりは聖霊が送られることがイエス様を通して宣言されています。これから教会暦は三位一体主日、そして聖霊降臨祭に向かっていきますが、実際にイエス様が天にあげられ聖霊が送られることを経験する前に、イエス様は十字架にかけられる前からそのことを述べていたということを振り返るために、この箇所が今日読まれたのでありましょう。

 聖霊が送られる、その宣言は確かにされていたのでありますが、この時の弟子たちの状況を踏まえなければ、私たちは「なぜ聖霊が必要であるのか」を正しく理解することは難しいでしょうから、少し14章の状況を整理してみましょう。14章の1節には「心を騒がせるな」という言葉があるように、弟子たちはイエス様の説教を聞きながら心を騒がせていたのです。なぜなら、イエス様から、弟子の裏切り、弟子の離反、さらにはイエス様ご自身がどこか別のところに行ってしまうということが語られたからです。心が騒ぐのも当然でありましょう。自分たちが裏切り離反するということもありますが、それ以上に自分たちが救い主だと信頼していた方がどこかに行ってしまうというのですから、不安にもなるし、困惑もするのです。しかしここに、弟子たちの弱さが描かれているのです。

 弟子たちは、この世の摂理に支配され続けているのです。目に見える形で、直接御業を語り行う、それが弟子たちの考える救いであり、そのためにはイエス様がどこかに行かれては困るのです。自分が納得できる形で、救ってほしいのです。私たちだってそうでしょう。救いの御業をこの世の出来事と結び付けて、自分たちが納得できるものを救いとして、よく分からないものは蓋をする。良いものだけを見るから、何か良くないことに対しては困惑し、不安になる。いくら神が共にいると言っても、愛していると言っても、救うと言っても、どこか委ねきれない。私たちもこの世の摂理に支配され続けているのです。それは同時に、神を疑い、自分を信じてしまう罪に支配され続けているとも言えるのです。

 イエス様はそこからの解放をもたらすのです。罪ではなく、神の支配の中を生きられるようにと。そのために、心を騒がせる私たちに、助け手としての聖霊を送るのです。私たちが主を信頼し、主の御言葉を思い起こし、いつも主の御手の中で信仰を持って生きられるよう、聖霊を送るのです。その神の愛が、イエス様を通して語られたのです

 私たちはこれから、聖霊降臨を経験していきます。罪ではなく、神の支配の中を生きられるようにという神の愛を受け取っていくのです。様々な事柄に揺らぐ私たちではありますが、必ず、神が聖霊を通して私たちに平安を与えて下さることに信頼していきましょう。

        《来週の礼拝》 *信徒礼拝で行われます。

〇6月2日 午前11時 昇天主日礼拝                    

〇司      式:滝田裕美さん(代行)                                                                                                                                                                     〇説      教:滝田裕美三「主の祝福に包まれて」(代読)                                                                  〇奏      楽:若井裕子さん                                                                                                                                                                                         〇聖書朗読:蔵谷俊夫さん                                                                                                                                                            〇礼拝当番:出口輝子三、滝田裕美さん                                                                                                                

〇聖 書:使徒1:1ー11,エフェソ1:15-23、ルカ24:44-53                                                                                   〇讃美歌:112、152(1-2)、152(3-4)、166,聖餐254   

 #5月28日(水)のオープンチャーチは行いますが、「聖書と祈りの会」はお休みです。

 


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5月19日「今日の礼拝堂」

2019年05月19日 | 今日の礼拝堂

 復活後第4主日    

「今週の祈り:み民の心をひとつにされる神さま。あなたの掟を愛する心、あなたの約束への切なる望を私たちにおこし、激しく変動するこの世界の中でも、動くことのない喜びを与えてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

    〇復活後第4主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ13:31~35

           「 イエスの弟子 

 イエスさまによる告別説教の始まりです。イエスさまが手塩にかけて育ててきた12人の弟子たち…しかし、早くも脱落者が一人出ました。イスカリオテのユダです。ユダは、イエスと11人の仲間たちの元から出て行ってしまいました。わずか銀貨30枚でイエスさまを祭司長や長老たちに売り渡すために。そのことを知っておられたイエスさまは、ユダを思いとどまらせようともせずに、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と促されたのでした。他の仲間たちはユダが金入れを預かっていたので、てっきりイエスさまは「過越の祭りに必要な物を何か買ってきなさい」と言われたのかと思いました。あるいは「貧しい人に何か施してきなさい」と。弟子たちはまさか自分たちの中からイエスさまを裏切る者が現れようとは、つゆにも思っていなかったのです。然り、たとえユダが裏切ったとしても、自分は決してそんなことはない!と。その結果は、ご存知の通りです。

 ユダが自分の元から離れて行っても、イエスさまは動揺されません。ユダがこれからやろうとしていることをお見通しなら、彼を思いとどまらせても良さそうなものですが、イエスさまはなすがままにされました。しかも、こう言われたのです。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった」と。愛弟子の一人から裏切られたにもかかわらず、イエスさまはご自身もまた父なる神も栄光を受けた、と言われたのです。罪なきお方であるイエスさまが、私たちの罪を贖うために十字架に赴かれること。それこそが、イエスさまにとっての栄光なのだ!という宣言。ご自身が死ぬことによって、人間の罪が赦され、贖われ、救われるがゆえに、神から与えられる栄光。私たちが手に入れたいと願っている栄光と、イエスさまが望まれている栄光とは、こんなにも違うのです。 

 ご自身の栄光について述べられた後、イエスさまは弟子たちに一つの掟を与えられました。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。イエスさまは、これを「新しい掟」と呼ばれました。とはいえ、愛の掟なら、モーセーの「十戒」にも旧約の律法にも何度も記されています。この愛の掟のいったいどこが、新しいのでしょうか?それは「わたしがあなたがたを愛したように」の部分です。つまり、イエスさまが私たちを愛してくださったように、イエスさまが私たちを罪から救うためにご自身を十字架に捧げるほどまで愛してくださったように、という意味なのです。そのような真実の愛をもって、互いに愛し合いなさい!と。そこまで愛し合わないと、私たちはイエスさまの弟子ではないし、人々に証しもできない。「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」。伝道は、私たちの愛があってこそなされていくのです。                                                                                                     
              《来週の礼拝》 

〇5月26日 午前11時 四旬節第5主日礼拝

〇司  式:日笠山吉之牧師                                                                                   〇説  教:日笠山吉之牧師「主イエスの平和」                                                                  〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                                                                〇聖書朗読:小笠原里子さん                                                                                           〇礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん

〇聖      書:使徒14:8ー18,黙示録21:22-27、ヨハネ14:23-29                                        〇讃 美 歌:118,413(1-2)、413(3-4)、361、聖餐258

   #5月22日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

    どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   


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5月12日「今日の礼拝堂」

2019年05月13日 | 今日の礼拝堂

 復活後第3主日    

今週の祈り:羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から引き上げられた全能の神さま。私たちを羊飼いとして送り出し、失われた人々、傷ついた人々に、み言葉をもって仕える者としてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

    〇四旬節第1主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ10:22~30

           「 求  め

  これまでルカ福音書を読んできていたのに、今日は唐突にヨハネ福音書が読まれました。いきなりで困惑しないために、今日の箇所の状況をまず整理してから読みたいと思います。

 今日の箇所は7章から始まるイエス様とユダヤ人たちの討論の終結部が読まれました。この討論は仮庵際という秋に行われる祭の時期に始まったものであり、今日の箇所の神殿奉献記念祭という恐らく12月に行われた祭りまで続いていたというのです。

 ではその討論の主題とは一体何だったのかというと、「イエスはメシアなのか」ということを論じ合っていたのです。今日の箇所に至るまでにイエス様は様々な比喩でもってメシアであることを話されましたが、ユダヤ人たちはそれでは納得できず焦れていき、10章24節ではいよいよハッキリと聞くのです。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」と。ヨハネ福音書において、イエス様に対して「メシアであるのか」と直接質問するのはこの箇所だけです。それほどまでに、イエス様がメシアであるかどうかというのが気になってしょうがないのです。しかし、その質問に対して、イエス様は「わたしは父と一つである」という言葉でもって、「メシアかどうか」ということ以上の答えを返すのです。もはや神と同一であるのだと。ここで大切なことはイエス様がご自身を「メシアである」とは言わないという事です。

 なぜイエス様はご自身を「メシア」とは言わないのか、それはイエス様が「ユダヤ人の求めるメシア」ではないからです。ユダヤ人たちは自分たちの願いを叶えてくれる「私のメシア」を望みました。しかし、神が送ったイエス様は、ユダヤ人の想像とは全く違う仕方でこの世全体を救おうとされたのです。だから、ユダヤ人たちはイエス様をメシアとは認めないのです。自分の望んだメシアとは違うから。結果として、イエス様から、「あなたたちは信じない」とまで言われてしまうのです。

 このことは私たちにも当てはまるのではないでしょうか。私たちもいつの間にか「自分の思う救い」を頭の中に展開してしまいます。その結果、いつの間にか自分の頭の中で「メシアの理想像」を作り出してしまうのです。こうなってしまう時、私たちはイエス様がユダヤ人に言ったように「あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」という状態になってしまうのでしょう。

 ならば、私たちは何を求めれば良いのか。それはただひたすらに、神の救いを求めるのです。何がどうなって救われるのか、その具体的な理想を神に押し付けるのではなく、私たちの想像をはるかに超える形で、神は私たちを救って下さる。そのことを信じていきたいのです。そのことを信じるために、イエス様は様々な業を通して、それは復活という業をも通して、私たちに神である証しを示して下さったのです。今日もまた復活の主に信頼して、遣わされていきましょう。

            《来週の礼拝》

〇5月19日 午前11時 復活後第4主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                   〇説  教:中島和喜牧師「お互いに」                                                                                        〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                                        〇聖書朗読:楢戸健次郎さん                                                                                                                                         〇礼拝当番:堀川 悦さん、小笠原里子さん

聖     書:使徒13:44ー52,黙示録21:1-5、ヨハネ13:31-35                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       〇讃 美 歌:190,422(1-3)、422(4-5)、365,聖餐260

 

 #5月15日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

    どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   


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5月5日「今日の礼拝堂」

2019年05月06日 | 今日の礼拝堂

   復活後第2主日    *信徒礼拝で行われました。

今週の祈り:み子の従順によって、この世界を死の絶望から救われた神さま。あなたに忠実な民に、絶えることのない喜びを与えてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。

 

 

    〇復活後第2主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ルカ24:36~43

           「喜びのあまり」

 イエスさまが復活された日の話が続いています。先週の日課は、その日の夕暮れ時のことでした。エマオの村へ向かっていた二人の弟子たちのところにイエス様が現れ、一緒に道を歩き始められたのでした。彼らは最初それがイエスさまだとは分からなかったのですが、道すがら聖書の話を聞き、夕食の席に着いた時に目が開かれます。然り、イエスさまがパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて彼らに渡した途端に!すると、イエスさまの姿は見えなくなりましたが、弟子たちは落胆することなく、むしろ喜びに満たされて言いました。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださった時、わたしたもの心は燃えていたではないか」と。そして、他の弟子たちが待つエルサレムに戻って、自分たちが体験したことを、すなわちエマオヘの途上で復活の主イエスに確かに会ったことを、告げたのです。

 本日のテキストは、その続きです。日はとっぷりと暮れました。エマオから息急き切って戻ってきた二人の話を聞いても半信半疑の他の仲間たちのところに、イエスさまが現れます。36節:こういうことを話しているとイエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。弟子たちは、てっきり亡霊を見ているのだと思って、恐れおののきました。すると、イエスさまは彼らの真ん中に立って言われたのでした。38節:「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。私の手や足を見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」こうして、イエスさまは弟子たちに手と足を見せてくださったと言うのです。然り、十字架に打ち付けられた釘痕が生々しく残るその手と足を。十字架で息絶え、墓に葬られたイエスさまを、神は確かに復活させられたのです。

 それでも、まだ信じられない弟子たち・・「喜びのあまり」信じられず、不思議がっている彼らの目の前で、イエスさまは焼いた魚を一切れ召し上がられました。それは、元漁師たった弟子たちが、今しがた釣り上げてきたばかりの魚だったのでしょう。それを美味しそうにイエスさまはペロリと平らげたのです。なんともユーモラスな光景だとは思いませんか。それだけに、よりいっそう真実味のある出来事ではないでしょうか。

 恐れおののきつつも疑い深い弟子たちのために、イエスさまがここまで身を張ってご自身の復活を示してくださったところに、私はイエス様の真実な愛を見る思いがします。弟子たちに対して、開口一番、「あなたがたに平和があるように」と祝福の挨拶をされたイエスさま。「まさしくわたしだ」と言って、ご自身の手足を見せてくださったイエスさま。私たちはそのイエスさまを、聖書の御言葉を通して、礼拝で与えられる御糧を通して、そして日毎に捧げる祈りと賛美を通して、知るのです

 

       《来週の礼拝》

〇5月12日 午前11時 復活後第3主日礼拝

〇司  式:中島和喜牧師                                                                                  〇説  教:中島和喜牧師「求め」                                              〇奏  楽:滝田裕美さん                                                                                     〇聖書朗読:青木比呂子さん                                                                          〇礼拝当番:小川照美さん、小笠原里子さん  

                                                                                                  聖     書:使徒13:26ー39,黙示録7:9-17、ヨハネ10:22-30

〇讃 美 歌:178(1,2)、347,394,178(3-5)、聖餐262

 #5月8日(水)10:00~オープンチャーチを、そして13:00~から「聖書と祈りの会」を行います。

    どなたでもお気軽にお立ち寄りご参加ください。   


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