復活後第5主日
「今週の祈り:すべての良きものの源である神さま。あなたの聖なる息吹を与えて、正しいことを考え、それを実行できるように導いてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」
〇復活後第5主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨)ヨハネ14:23~29
「 支 配 」
今日与えられた箇所はイエス様が十字架にかけられる前にした最期の説教の一部が読まれました。そこでは弁護者、つまりは聖霊が送られることがイエス様を通して宣言されています。これから教会暦は三位一体主日、そして聖霊降臨祭に向かっていきますが、実際にイエス様が天にあげられ聖霊が送られることを経験する前に、イエス様は十字架にかけられる前からそのことを述べていたということを振り返るために、この箇所が今日読まれたのでありましょう。
聖霊が送られる、その宣言は確かにされていたのでありますが、この時の弟子たちの状況を踏まえなければ、私たちは「なぜ聖霊が必要であるのか」を正しく理解することは難しいでしょうから、少し14章の状況を整理してみましょう。14章の1節には「心を騒がせるな」という言葉があるように、弟子たちはイエス様の説教を聞きながら心を騒がせていたのです。なぜなら、イエス様から、弟子の裏切り、弟子の離反、さらにはイエス様ご自身がどこか別のところに行ってしまうということが語られたからです。心が騒ぐのも当然でありましょう。自分たちが裏切り離反するということもありますが、それ以上に自分たちが救い主だと信頼していた方がどこかに行ってしまうというのですから、不安にもなるし、困惑もするのです。しかしここに、弟子たちの弱さが描かれているのです。
弟子たちは、この世の摂理に支配され続けているのです。目に見える形で、直接御業を語り行う、それが弟子たちの考える救いであり、そのためにはイエス様がどこかに行かれては困るのです。自分が納得できる形で、救ってほしいのです。私たちだってそうでしょう。救いの御業をこの世の出来事と結び付けて、自分たちが納得できるものを救いとして、よく分からないものは蓋をする。良いものだけを見るから、何か良くないことに対しては困惑し、不安になる。いくら神が共にいると言っても、愛していると言っても、救うと言っても、どこか委ねきれない。私たちもこの世の摂理に支配され続けているのです。それは同時に、神を疑い、自分を信じてしまう罪に支配され続けているとも言えるのです。
イエス様はそこからの解放をもたらすのです。罪ではなく、神の支配の中を生きられるようにと。そのために、心を騒がせる私たちに、助け手としての聖霊を送るのです。私たちが主を信頼し、主の御言葉を思い起こし、いつも主の御手の中で信仰を持って生きられるよう、聖霊を送るのです。その神の愛が、イエス様を通して語られたのです
私たちはこれから、聖霊降臨を経験していきます。罪ではなく、神の支配の中を生きられるようにという神の愛を受け取っていくのです。様々な事柄に揺らぐ私たちではありますが、必ず、神が聖霊を通して私たちに平安を与えて下さることに信頼していきましょう。
《来週の礼拝》 *信徒礼拝で行われます。
〇6月2日 午前11時 昇天主日礼拝
〇司 式:滝田裕美さん(代行) 〇説 教:滝田裕美三「主の祝福に包まれて」(代読) 〇奏 楽:若井裕子さん 〇聖書朗読:蔵谷俊夫さん 〇礼拝当番:出口輝子三、滝田裕美さん
〇聖 書:使徒1:1ー11,エフェソ1:15-23、ルカ24:44-53 〇讃美歌:112、152(1-2)、152(3-4)、166,聖餐254
#5月28日(水)のオープンチャーチは行いますが、「聖書と祈りの会」はお休みです。