顕現後第4主日
「今週の祈り: 全能・永遠の神さま。あなたからいただいた信仰と希望と愛の賜物を、私たちのうちに豊かにしてください。そしてあなたからいただいた約束を、戒めとして大切に守れるようにしてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン」
*会堂に集まって礼拝がもたれましたが、新型コロナウイルスの感染拡大のため、今日からまた「短縮式文」により行われました。
〇顕現後第4主日説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨) ルカ4:21~30
「 ヨセフの子 」
本日の福音は、先週の続きです。『ルカ福音書』4章の記事を思い出してみましょう。
ある安息日、イエスさまは故郷ナザレの町に帰ってきて、礼拝の奉仕に当たられました。聖書の御言葉を朗読し、説教をする務めです。霊の力に満たされていたイエスさまは、既にガリラヤ地方のあちこちの会堂で教え、人々から尊敬を受けておられました。その噂が、故郷の人々にも伝わっていたのでしょう。久しぶりに帰郷されたイエスさまから、ぜひ自分たちも福音を聞きたいものだ、とナザレの人々は願ったのです。イエスさまもその願いに応え、説教壇に立たれました。その日与えられた御言葉は、『イザヤ書』61章。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」朗々と御言葉を読み上げられたイエスさまに、会堂中の人々の視線が注がれています。すると、イエスさまは説教を語り始められました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」。実に力強い説教です。聖書の御言葉が、ただ人々の耳に聞こえ、目で読まれただけでなく、実現した!というのです。それは、このように語られたイエスさまご自身が主の霊を注がれ、主から油注がれた方だからです。然り、イエスさまは、貧しい人、捕らわれている人、目の見えない人、圧迫されている人…すべての人々のために福音を告げ知らせるために主から遣わされたキリストなのです。
イエスさまの力強い説教を間近で聞いたナザレの人々は、皆イエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた、と記されています。と同時に、彼らは「この人はヨセフの子ではないか」とも囁きました。あの大工のせがれが、マリアの息子が、なぜこんなに立派になったのか?霊の力に満たされた伝道者となったのか?故郷の人々はそう怪しみます。自分が持っている知識や偏見、すなわち自分の枠の中でしかイエスを捉えきれないからです。その上、同郷のよしみでイエスを利用してやろうという魂胆さえ見せてははばかりません。すべてをお見通しのイエスさまは、ナザレの人々の期待には応えられないとはっきり告げます。すると途端に人々は憤慨し、なんとイエスさまを崖から突き落とそうとしたのです。イエスさまの説教をほめたたえていた人々が、急転直下、イエスを拒絶し、殺意を抱く暴徒となったわけです。人間の罪の正体をまざまざと見るようです。にもかかわらず、イエスさまは彼らの間を堂々と通り抜けて、そこを立ち去られました。聞く耳のある人々に、福音を届けるために。私たちも己の耳を開き、心を開いて、イエスさまが語られる福音を素直に聞きたいものです。(日笠山)
《来週の礼拝》
#2月6日 午前11時 顕現後第5主日礼拝
*司 式:中島和喜牧師
*説 教:中島和喜牧師「弟子」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:蔵谷俊夫さん
*礼拝当番:出口輝子さん、小笠原里子さん
*聖 書:イザヤ6:1-80、コリント(Ⅰ)15:1-11、ルカ5:1-11
*讃 美 歌:191(1,2)、336(1,3)、416(1,2)