桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

#桃おやじの歴史散歩 #孝霊天皇 と その一族 8

2018-05-21 18:02:01 | 歴史
和議の成立とヤマト王国「媛巫女(卑弥呼)」の誕生

出雲の降伏の条件はただ一つ、現ヤマト王権の下では無く新しい大王を共立する事だったようです。

そこで選ばれたのがヤマトの王の娘であり、倭国(出雲)にも人望の高い「倭迹々日百襲媛」を大大王に立てること。

出雲の神祖「スサノオ」の祭祀は近畿以西はもちろん、ヤマトの祖神「ニギハヤヒ」の祭祀と共に、サルタヒコによって東北まで広がっている。
そこで須佐乃男と饒速日命の祭祀を共有することで共存を計ることで一致した。

国名は「日ノ本」に統一。
ただ、外交的には従来の慣例から「倭」の文字が必要であった。
そこで対外的に「倭(和)」「大倭(大和)」と表記してヤマトと呼ぶことになる。

しかし百襲媛はヤマトでは未だ単なる皇女、一媛巫女に過ぎない。
そのまま女帝として君臨するにはネームバリューが不足している。

そこで孝霊天皇は百襲媛を大物主ゆかりの唐子.鍵の地に住まわせ、大物主の妻とした後、大物主の後継者「天照大神」の称号をもって大大王と同格に祀り上げた、
媛巫女(卑弥呼)の誕生だ。

以前書いたように、後の天照大神は彼女に同じ女帝の日向アマテラス(ムカツ媛)を重ねたものと考えられる。

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