「自分の非を認めることができるかどうか」
と
「自分に原因を見つけることができるかどうか」
は似てるようで、
きっと全く違う。
「自分の非を認めることができるかどうか」
という視点で物事を考えてしまうと、
問題が起こった時、
「自分に非があるか」をまず考えてしまう。
「非がない理由探し」になってしまう。
そして非がないと判明した時、
問題と自分の距離は急激に遠くなる。
せっかくの「感じることができたこと」や「学び」を
逃してしまう。
「自分に原因を見つけることができるかどうか」
という視点には、
「問題を起こしたのは誰か?」という
犯人探しの感覚がない。
「ともあれ、自分にできたことはなかったか?」
という意識で問題について考え、
学びを得ることができる。
それは突き詰めていけば
きりがないから、
辛いことではある。
そして、一見、損をしているようにも見える。
でも、実は損ではない。
断じて。
学び、変わることができる人間が
自分も人も幸せにできると
僕は信じている。
偉そうに言ってるけど、
僕ができているわけじゃない。
そうありたいと思う。
明日の座右の銘は
「自分に原因を探す」。
今日書いたAmazonレビュー
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「自分に原因を見つけることができるかどうか」
は似てるようで、
きっと全く違う。
「自分の非を認めることができるかどうか」
という視点で物事を考えてしまうと、
問題が起こった時、
「自分に非があるか」をまず考えてしまう。
「非がない理由探し」になってしまう。
そして非がないと判明した時、
問題と自分の距離は急激に遠くなる。
せっかくの「感じることができたこと」や「学び」を
逃してしまう。
「自分に原因を見つけることができるかどうか」
という視点には、
「問題を起こしたのは誰か?」という
犯人探しの感覚がない。
「ともあれ、自分にできたことはなかったか?」
という意識で問題について考え、
学びを得ることができる。
それは突き詰めていけば
きりがないから、
辛いことではある。
そして、一見、損をしているようにも見える。
でも、実は損ではない。
断じて。
学び、変わることができる人間が
自分も人も幸せにできると
僕は信じている。
偉そうに言ってるけど、
僕ができているわけじゃない。
そうありたいと思う。
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