しまなみニュース順風

因島のミニコミ「しまなみNews 順風」は、しまなみ海道沿いの生活情報をリリースし、地域コミュニティー構築を目指します。

因島に必要なものとは ②

2005-06-19 08:18:23 | 町づくり
「銀鴎」は、潮流に逆らって多々良大橋へ向かう。日没までそれほど時間は掛からないだろう。大三島の小高い山の上に夕日が沈もうとしている。その風景の中に多々良大橋が近付いてくる。
 世界一の斜張橋「多々良大橋」の橋脚は、接近して見れば見るほどその巨大さに驚かされる。海底の基礎に橋脚を乗せる作業は数㎜単位の誤差にまで気を遣ったと言われるのだが、海上から露出して海水のかかる構造物にはすでに分厚い牡蠣の層が付着している。その他、「立入禁止」「係留禁止」と書かれた巨大な看板が目に付いた。
 多々良大橋の下を通過すると、人類の持ち得た科学技術の素晴らしさを感じるよりも、これほどの知恵を持ちながら自らのエゴのために地球を破壊に導く人類の狂気を実感させられる。なぜならば、その圧倒的な巨大さを目の当たりにすれば、この構造物が人類以外に利用されることはまずないだろうことに気付かされるからだ。橋脚の下に沈む夕日を見ていると、人という動物の計り知れない欲望が見えてくる。
「銀鴎」の船上では、参加者が思い思いの椅子に腰掛けて日没の風景を楽しんでいる。誰もが楽しそうに会話を楽しみ、交流を深めている。
 帰路、私は生口島のミカン畑を眺めながら、経済という概念に象徴される「欲望」に翻弄された脆弱な田舎の人々の暮らしを想像してみた。自分達の利権を守るためにアメリカの圧力に負け、安易に規制緩和して輸入の自由化を図り、どれだけの農家が潰れていったことだろう。その反面、自分達が天下るための特殊法人だけは温存し、その不条理が暴かれるとまた別の利権を勝手に作り出して自らの保身を図る。日本の政治家、官僚機構、企業、マスコミ、学者達は、そのことを破廉恥だと感じないのだろうか。
 今さらながら、あきれ果てた国だと感じさせられる。
 しかし、私はこの国のこの土地に生きている。仕事をして生活し、家族と共に過ごし、友人との語らいを楽しむ平凡な庶民の一人だ。その平凡さは、誰にでも保証されなければならないものに違いない。その平凡さを保つために、私に何が出来るのだろう。
 ある友人が私にこんな事を言った。
「人じゃないですよ。自分がどうなのか。自分がどう行動するかだけですよ。人を批判しても何も変わらないでしょう」
 その友人の言葉は重い。その通りだ。
 自分が情熱を傾けて行動し、理想を追求した結果、人がその真意を理解してくれない。または、その行動を曲解して誤解が誤解を生む。利害が対立すれば混乱はさらに拍車を掛ける。もしその状況に置かれれば、人はどうその状況に対処していくのだろうか。
 人のために行動して、自分が変われば、物の見方も変わってくる。友人は、そこに地道な丁寧さを求めていたに違いない。
 言葉一つで、人は血を流し、苦しみ、うめき、のたうち回る。その現実を知れば、人は言葉を操る怖さを初めて知るだろう。その怖さの中身とは、人それぞれが生まれながらにして持つ不条理さにある。
 その不条理の生み出される背景には、机上の空論がある。
 机上の空論ほど、やっかいなものはない。漠然とした願望、ゴールのない理想、異質なものへの憧れと憎しみ、理由のない愛着と嫌悪感、嫉妬、怨念、凝り固まったプライド、机上の空論は、いたるところに存在し、ありとあらゆる不条理を生産していく。
 では、机上の空論が生まれる背景はどこにあるのだろう。
 その背景には、五感で実感した対象に対する認識よりも、自己の利害でしか対象を見ようとしないエゴイズムそのものにその本質があるのではなかろうか。
 そのエゴイズムに翻弄されないためには、自分をも含めた人の本性を見抜く力が必要だ。
 人の本性を見ようとするならば、身体を動かして汗を流し、お互いに共感し合える意志を確認していく以外に方法はないだろう。それは、数字などのデータではけっして表せない種類のものであり、目に見えない人と人との絆の強さによってしか推し量れない種類のものだ。従って、単なる淡い夢や理想では、けっして人は動かないし、行動の中で本性を見せるまでには至らないだろう。
 ただし、プロを自任する人たちの嘘は見抜かなければならない。その嘘には保身の匂いがするからだ。もしその嘘を責めないならば、
「人を批判しても何も始まらない」という意見そのものが机上の空論となってしまうに違いない。
「銀鴎」の船上から生口島のミカン畑を眺めていると、日本の政治家、官僚機構、企業、マスコミ、学者達の破廉恥が見えてくるのは、そうした理由による。彼らは、この地で生活していない以上、机上の空論を振りかざすしか対処の方法を知らないのだ。その無慈悲さ、非情さは、社会全体の異常さを映した鏡であり、「仲良くする」「友好を結ぶ」という対処方法だけではいつまでたっても理想に追いつくことは出来ないだろう。
 私達に必要なことは、私達が行動して実感した事実を伝えていくことなのではなかろうか。



 サンセットクルーズを満喫した乗客を乗せ、「銀鴎」は、再び瀬戸田港へ着岸した。下船する乗客の顔には、誰もが満足の表情を浮かべている。同行スタッフの小河さんは、この後の予定を簡単に説明してくれた。
「これから、汐待ち商店街に近い永井病院さんの敷地にある空き地でバーベキューをするんですよ。懇親会の席はもう仲間が準備を整えていると思うんですけど、みんな町づくりを真剣に考えている人ばかりですよ」
 町づくり、という言葉を聞いて、私は土生商店街に組合を興した若手の商店主達の顔を思い出した。彼らは時代の変化に対応しようと地道に登録してくれる店舗を増やし、中央駐車場を利用したイベントなども積極的に展開している。5月14日からオープンした「いんのしま土生商店街振興組合」の事務所(オープン時間は、午前10時~午後6時まで)には、元気作りの取り組みとして「わくわく ぼっくす」が設置され、休憩、交流のできる「愛はぶ亭」も用意されている。代表の嶋田 真さんは、
「じっとしてても何も変わらないので、自分達にできることは何かを考えて行動しました」と、中央、平木、本町、愛はぶ通りの4商店街、74店舗に組合加入してもらうことに成功したという。
 ここには、持ち寄ったアイデアを単なる思いつきで終わらせないための行動があり、スタッフそれぞれが活動に情熱を傾けられる雰囲気がある。
 町づくりに大切なものは、こうした雰囲気、空気であり、私は懇親会をするという瀬戸田の人たちの空気をここで感じたいと思った。
 杉浦さん、小河さんに案内されて到着した場所は、少し小高い丘にあり、周囲は柑橘畑になっている。照明用のライトが用意され、海鮮バーベキューの準備を整えてくれていたスタッフが気さくに挨拶して出迎えてくれた。
 懇親会が開始されると辺りはすっかり暗くなった。4つほどのテーブルには、それぞれ気心の知れた仲間が集まり、それぞれの話題で盛り上がっている。
 私はその一つ一つのグループを回って話しを聞いてみた。
 女性を中心としたグループでは料理、食材の話。農業をしている人たちのグループでは自然農法、有機栽培についての話題。町づくりをしているグループでは、この夏に企画されたイベントの話題が議論されていた。
 懇親会の後半、私は町づくりの話題をしていた人たちとの懇談を続けた。
「ふるさと瀬戸田を愛する会」の代表、高下 巧さん、事務局の崎田和典さん、岡本昭宣さん、瀬戸田町役場産業振興課の中本重徳さんたちと、尾道合併後を睨んだ町づくりについて意見を交換した。
 事務局の崎田和典さんは、
「お互いの町をもっとよく知る必要がある」と強調し、
「できれば近いうちに交流できる体制を作りたいですね」と積極的だった。私としても、出来る限りの協力をして町づくりの共同体を作りたいと約束した。

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