古代の埋葬地を歩く
さて訪れた第1目的地は、実は古代の墳墓であった
我が国の墳墓といえば代表の円墳、そして日本固有の形である前方後円墳が思い浮かぶが、この地のものはそれより遥か以前の時代のものである
日本にあるのだが実は日本人の墳墓ではない
敢えて言うなら”前日本人”のものと言うしかない
我々日本人は、日本列島の本来の主縄文人や、後からやってきた侵略者であるこの墓の主が融合した結果生まれたものであり、日本語もまた然りである
縄文人が本邦列島に分散して住んでいた時代に、全く異なる形質を持つ集団が繰り返し大陸から渡ってきた、その早い世代の遺骨がここで大量に発掘された、ここはそういう場所である
ことによると、ここで発見された遺骨群は正にその渡ってきた第1世代のものである可能性さえある点で誠に貴重である
現代では距離が離れてしまっているが、当時のこの地は海岸に面しており、白砂の環境であった点が重大な結果を引き起こした
本物の白砂は珊瑚の遺骸であり、その主成分は炭酸カルシウム、つまり、アルカリ性の土壌が、被葬者達を完璧に保護したことは本物の奇跡だった
保存された骨の状態は、成長の様子や健康状態、死因まで特定できるほどで、それはさながらタイムマシンに乗ってやってきた古代人、と言うところである
また被葬者たちは、例外なく頭骨を西に向けられていたそうであり、これは彼らの故地を表している、と解釈されているそうである
日本列島の本来の住人であった縄文人から見たところの、この大陸からの招かれざる集団は、何もかもが違っていたに違いない
縄文人といえば、コーカソイドとモンゴロイドが分岐した直後の形質を保持しており、外観上の顕著な特徴は、彫りの深い立体的な顔立ちだ
隆起した眉間と鼻根部から伸びる高い鼻、低い頬骨に中頭~長頭の頭形、見た目の印象で言えば、パッチリした二重まぶたの大きな眼と長いまつげに濃い眉毛、男性であれば立派なヒゲを持っていただろうし、男女とも基本的に毛深い
これはつまり、現在のユーラシア大陸の西半分、中東~インド北部~ロシア~ヨーロッパにかけて住んでいる人たちと共通の特徴であり、寒冷適応する以前の、モンゴロイドのオリジナルの姿であると同時に、古い人類の姿でもある
これに対し、朝鮮半島あるいは現在の中国長江河口付近から直接渡ってきた集団、つまりこの遺跡の遺骨の主なのだが、の特徴といえば、高顔に短頭すなわち絶壁頭で高い頬骨に平べったい顔だち、眉間の隆起はなく鼻は低く、眉毛もヒゲも薄くそして何より外観のイメージを決定付けるのは、誰も彼もメスで切ったような小さなつり上がった眼に、陰険な印象を与える強烈な一重まぶただったと言う事になる
この形質だけ捉えれば、現在の朝鮮半島に住んでいる人たちに良く似ているともいえるのだが、恐らくルーツは別々であろうと考えている
現在の朝鮮半島の住人は、北方ツングース系の南下した集団の末裔で、この時代には北の寒い大地のどこかに住んでいたはずだ
原住民たる縄文人から見れば、この新参者の集団は、全く理解できない言葉を喋り、見たこともない服を身に着け、感情を表情から読み取る事のできない凹凸の乏しい扁平顔のエイリアンに映っただろう
そして、縄文人がこうむった被害、彼らの悲劇とは、このわけの分からぬ新参者らは、あとからあとから波状的に押し寄せ、数の面で先住民を圧倒しただけでなく、”殺戮により他者から奪うことで大きく拡張していく”、というそれまでの日本列島にはなかったオゾマシイ文化を持ち込んだ点である
”自らの利益のために同じ人間を殺す”、この性質は、小集団で平和に暮らしていた縄文の先住民を駆逐するに十分だったと考えられている
朝鮮半島や中国大陸から彼らが日本列島に渡ってくる以前、つまり縄文時代の遺骨には、世界的に見ても極めて特殊な事情を垣間見る事ができ、それは本来世界に誇るべきものであった
それは、”殺人の被害者を見つけることができない”、ということである
私自身、それを知ったときに衝撃を受けた
同じ時期の中国大陸では、智謀や策略、侵略行為により既に数万人(!)単位の殺人が常態化しており、全員が断頭された遺骨などがそこかしこから出土し珍しくもない
恐らく、ある集団全員が処刑された痕跡なのであろう、この集団とは恐らく、”村”である
子供だろうが老人だろうが男女の区別も何も関係ないようである
食料を、あるいは土地を、また他の何かを”奪うために殺す”、というのは、3000年前から現在まで続く中国大陸の普遍的な常識であり、よってこの地は人類が住むには最も過酷な地であるともいえるが、この殺人の被害者と漢民族特有の”食人による人口抑制の歴史”については、機会があればエントリを持ちたい
文明そして文字の発達した中国大陸には、3000年前から現在までの恐怖の記録が本当に良く保存されており、”人間はここまで冷酷になれるのか”という負の実験場であったとさえ言えるのではないか、という印象だ
話を2300年前以前の日本列島に戻す
朝鮮半島あるいは大陸から集団が渡ってくる以前には平和な社会が広がっていた可能性が指摘されているが、これにはいくつかの要因があるのだろう
人口そのものが大変少なかったというのが最も大きな理由ではないか
縄文時代は約12000年続いたが、人口のピークは25万人前後と推測されており、現在の12000万人に比べればとても希釈な社会であった印象を受けるが、狩猟採集人としては、これでも世界最高の人口密度なのだそうだ
また研究者によっては”原始共産制社会の恩恵”説を唱える向きもあり、これにも一定の妥当性があるように思える
土地や財の所有、という概念が希薄な社会であった可能性は高く、他者との無用な摩擦を抑制する効果があったのではないだろうか
一方で集団の意識や身分の存在、地域ごとに活発に交易していた証拠も多数見つかっており、一種の貨幣的なものも存在した可能性すらある事も併記しておく、”社会”の概念を既に形成していた縄文人が、他者を殺すことなく生きる術を獲得していたなら、何と素晴らしい事だろう
私個人としては、縄文人骨のサンプル数の少なさも影響しているように感じている
本邦火山列島は酸性土壌であるために、古人骨が残りにくいという特殊事情が、古代人の正しい姿に覆いを被せてしまっている可能性を指摘したい
もちろん、縄文人と現中国大陸の同時代人が、当時の地球の天国と地獄を形成していた事については疑いようがない
現在中国と呼ばれる場所に住んでいる人達は、3000年前から変わらず、命に対する尊厳というものが希薄なのではないだろうか
中国を勉強するにつれ多くの日本人はそう感じるだろう