年寄りの独り言

こんな奴が居てもいいだろう

人間模様

2011-04-29 15:31:38 | Weblog
毎日風が強くジョンの散歩も大変だったが、今日の夕方は風も無く温かい日差しだ。本来なら爽やかな散歩になるはづだが、心が重い。今回の震災でいろいろな事が有った、そしていろいろな場面に出会った、そしていろいろな人間模様を見た。見て良かったと思うものと、見なければ良かったと思う事様々だ。

特に身内の事だけでは無く、今の人は義務を果たさず権利だけを主張する輩が多い。楽して濡れ手に粟・・・
情けない話だ、気の重い毎日だ。

労働組合運動の先輩の墓参り

2011-04-27 10:05:17 | Weblog
私達の労働組合運動のリーダーであったN氏が亡くなった時、家族葬で済ませたので、我々は葬儀に参加できず、昨日有志が集まり墓参りをした。別の日に何名か墓参した様だが、今日は12名集まり、過ぎし日のリーダーを偲んだ。
彼のお陰で本来の労働組合に戻ったが、ダラ幹は何処にもいるもので、我々が辞めてから御用組合になって仕舞った。自分が少し位の犠牲になっても皆の為に頑張ろう・・・では無く、会社の為の労働運動を出世の糸口にしようなどと不埒な考えの輩が多いのには本当に呆れて仕舞う。

今、彼の事を思う時、あのダラ幹が幅を利かせて居た当時、全くの異色な人が出てきたものだと感心した事を覚えて居る。労働組合の事など全く知らない私も自分達より恵まれていない現場の人達の為に頑張って居る人も居る事を知り「本当は俺達がやらなければいけない事ではないか」と気づき、役員になり2年間の専従もした、自分の信念に従い生きて来た人達はみんな、元気な清々しい顔をして居る。昨日は久しぶりに、若いあの頃を満喫出来た。N氏を語る時忘れてはならない人が居る、それはK氏である、K氏が居たからN氏が居たと言っても過言では無い、最高のコンビだと今でも思って居る。K氏は長年委員長のN氏を支える書記長を務めて来た。これからもご指導願いたい人だ。

東日本大震災後初の帰省

2011-04-26 20:58:52 | Weblog
地震後なかなか帰省出来なかった、新幹線が動いても仙台からの足が無いと故郷には帰れない。米沢に居る娘に福島まで車で来て貰いそのまま帰省、仙台も石巻も見る影も無い。故郷に近づくにつれ、今まで見えなかったところから海が見える。視界を遮る物が無くなったからだ、海がこんなに近いとは知らなかった。
見渡す限り瓦礫の山だ。妻の実家に寄った、家のかけらも無い、ここも瓦礫の山だ。道も無い、自衛隊員が道らしき物を作って呉れたのだろう、何とか、自分の実家までたどり着いた。電柱が倒されたので今は電柱の立て替えが行われている、電気が通じるのはもう少し先になるだろう。

あの奇麗な故郷が見れるのは何時になるのだろう、それまでは何とか生きていなければ・・・と思う。

気仙沼の彼女から電話

2011-04-23 08:54:21 | Weblog
盆暮には必ず魚介類を送ってくれる気仙沼に住む同級生の友達から電話が入った。地震直後インターネットで消息を調べたら元気で居ると言う書き込みが有ったので安心して居た。昨日夕方その彼女から電話が入った「地震の時は戸が開かず部屋に閉じ込められたがガラスを破り何とか車で高台に逃れ助かった」そうだが、旦那さんが自転車で買い物に出かけて居て、未だに安否不明だと言う。

電話に出たのは妻で私は話を聞いて居ないが、本当に気の毒だ。私も明日義弟の遺骨を取りに帰省する。
一か月も過ぎて仕舞ったが仕方が無い。

馬入ふれあい公園へ

2011-04-21 11:54:50 | Weblog
本来はもっと早く行く見に行く予定だったのが、東日本大震災が有り、心身共に疲れ目だったので、行く気にも慣れなかったが、昨日馬入ふれあい公園に行って来た。少し盛りが過ぎた感じだが、まだまだ奇麗に咲いて居た、チューリップはすっかり花が開いて居た。

心にゴタゴタが有るとどうしても沈み込んで仕舞う、花は人の心を和ませてくれる。昨日も結構な人出だつた。今度はどんな花を咲かせて楽しませて呉れるか楽しみだ。

分らぬ本性

2011-04-19 21:08:43 | Weblog
被災者の為にも不要な買占めは止めましょうとマスコミでも報道して居たが、店には缶詰、米、電池、水等々が無くなった、つまり被災者の事より自分の為に不要な買占めをしたと考えていいだろう。しかし、一方では被災地へのボランティアが日本全国から集まり被災者を助けた、日本には二種類の人間が住んで居るのだろうか?  

今日、スーパーに妻のお供で行ったが、米も缶詰も電池も水も一杯有った、私は日本人のオッチヨコチョイには何時もの事乍ら呆れて仕舞うし情けないと思う、私は買い占めもしなかったしガソリンも入れなかった。食う物も飲むものも無くなり、ガソリンも無くなって動けなくなる・・・・そんな事が有る筈が無い、そう思って居た、買占めをした人達は当分それを食べていれば良い。そして又●●が無くなるよ・・と噂になったら●●を買い占めれば良い。

建材が無く仕事が出来ない大工さん

2011-04-18 10:19:38 | Weblog
今回の震災で南三陸町に住む直ぐ上の兄は一階まで水が入った、畳も無し、ベニヤ板も無し・・大工さんは仕事は有るのだが建材が無く仕事にならないそうだ。昨日実家に避難して居る兄が電話の向こうでボヤイテ居た、これだけは私にもどうにもならない・・・誰かに話す事で少しは気が楽になるのだろう。

家を丸ごと、又は半分流されて住む事が難しい人達の仮設住宅の建設場所も決まった様だ、マスコミの報道を見て居るとどうしても、大きい町の復興が優先されて居る感じがする。妻の実家の有る(正確には有ったと言うべきだろう)で残ったのは一軒だけだそうだ。同じにある、私の同級生の実家では父親と兄夫婦全員が亡くなって居る、戦争よりも凄まじいのではないだろうか。

同じ処に又家を建てるだろうか、田畑を持って居る人は別にして他は故郷を去る(捨てざるを得ない)人も出てくるのではないか・・・そんな話がチラホラ聞こえて来る・・・寂しい事だ。

人の情けに助けられる

2011-04-15 21:13:02 | Weblog
昨日は人を探しに妻と二人で川崎に行って来た、20年になろうかと言う昔の住所を頼りなので大変だった。
暑い中、番地を見ながら歩いて、もう諦めようと最後の路地に入り、その家の奥さんに聞いたところ、この辺を良く知って居る人が居るからと隣の家に連れて行って呉れた。偶然にもその奥さんは探して居る人と付き合って居たと言って、探して居る人の娘さんに電話して呉れた、そこから母親に電話をしてくれて会う事が出来た。

電話をしてくれた奥さんは、見ず知らずの私達を家の中に入れてくれてお茶を御馳走してくれた、本当に人の情けに触れた気持ちでした。帰宅後すぐにお礼の電話を入れ、今日はお礼の菓子を送った。

南武線沿線は以前とは違い高層ビルが立ち並んで居た、昔、小倉に住んで居た頃は帰りが遅くなりバスの終車に乗れないと、南武線に乗り矢向駅で降りて歩いて帰ったものだ。鉄橋の上は強盗が出ると言う噂が有ったが強盗に出会った事は無かった。往は東海動線、帰りは小田急線で帰り、一回りした感じだ。それにしてもこの歳になると出歩くのは本当に疲れる。

お気に入りの桜

2011-04-11 16:11:06 | Weblog
昨日の桜は旧平塚食肉センターの南側の道端の桜だ、今日の桜は同じく北側、つまりサイクリングコースに植えられた桜だ。私はこの桜がお気に入りだ。何時もはこの桜の方が咲くのが速いのだが今年は遅れをとった。
連日の強風で桜吹雪になって来た、この桜の木も老木の仲間入りしたのだろうか?

それにしても日本は次から次と、花が途切れず人の心を和ませてくれる。
渋田川の芝桜も満開だろう、馬入の芝桜も満開だろう、しかし、近頃は余り遠くない所でも行きたいとは、思わなくなって来た、私も老木になったのかも。

気分転換

2011-04-10 16:04:18 | Weblog
東日本大震災の事ばかり頭に有り滅入る毎日なので、今日は知事、県会議員選挙の投票を済ませ、自転車でそのまま、近くの桜を見に回さった。ここ3~4日の暖かさで桜は咲いた、今7分咲きと言った感じだ。
毎年見る桜だが花はいいね心を和ませてくれる。

途中で珍しい人に会った、以前プールで知り合ったのだが、カワセミに魅せられてプールを止めて今はカワセミに限らず、山梨をはじめ方々に鳥の撮影に出かけて居る様だ。カメラと望遠を買うとそこそこの値段になる、我々貧乏人には出来ない事だ。だが、家でゴロゴロして居る我が身としては羨ましい限りだ。