Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

2018年9月・サマリヤの不思議①(列王6:24 6:25)「王の不思議」

2018-09-03 14:56:55 | Weblog
スリヤ軍に攻められたイスラエル王は、城郭の中に逃げ込み民もそこに避難したので、たちまち蓄えた食料は底をつき始め、酷いインフレーションに見舞われました。
こんな不利な状況にありながら王が、エリシャの元に来て助けを乞わなかったのは、なんとも不可解な態度です。実は、サマリヤは丘陵の上に位置し町を取り囲む城郭は、高く攻め込もうとすれば多大の犠牲を強いられるので王と家来は城に立てこもれば安全と考えたのです。
しかしベネハダテは一枚上手で、城を力攻めするのを避け、町を包囲し兵糧攻めにしたのです。イスラエル王の目論見は裏目に出て、たちまち食料は底をつき飢餓で自滅する運命になりました。
人間的に誇りにしていたことが逆に弱さに転じるのはよくある事です。「何を食べても大丈夫、私は偉大(胃大)ですから」と誇っていた方が後年胃腸の大病で困難に見舞われた実例を知っています。むしろ弱さを覚えていた方が健康に繋がったと思えるのです。
誰でも一つや二つ弱さを抱えていると思いますが、それを通して自分の弱さと向き合い、謙遜になれるなら、その弱さが強みへのバイパスにもなり得るのです。
私の父は若い時から胃腸が弱く、市バスに揺られただけで吐き気を催して途中下車するほどでした。これではいけないと、大学時代はダンベル体操をしたりラクビー部で楕円球を追って走ったりして、小柄ながら体力増強に取り組み続けました。 
最終的には歩行が一番健康維持に効果的と悟り、京都周辺の山歩きを楽しむのが常となりました。それが効を奏し殆ど大病を患いませんでした。
92才で召されましたが、寝込んだのは僅か6ヶ月でそれでも寝床で帳簿を確認するなどしていましたので生涯現役といえるでしょう。
それは私達への大きな励ましとなっています。
強さを覚えたらそれをくださった主を崇めましょう。弱さを覚えたなら「にも関わらず感謝」で乗り越え、弱さから恵みを生み出されるクリエイティブな主に全てをお委ねし、今なし得る最善だけに集中しましょう。
主はその名を不思議と呼ばれる方で弱さが強さとなるという不思議を経験させてくださるからです。

●あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。(Ⅰペテ5:10)

●それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(Ⅱコリ12:9 12:10)