Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

逆説の神学No3「少ないことは非力なのか」

2019-11-18 12:56:25 | Weblog
行列ができる講義という番組だったでしょうか、クラスを幾つかのグループに分け学生達が自主的にテーマを選び情報を集め自分たちで解決方法を見つけ出して発表させている様子が写し出されていました。
回を重ねる毎にメンバーの顔つきが生き生きとかえられていくのがとても印象的でした。
教授は自分の著書をまるでつけたしの様に講義の終わり際に「参考になると思うので紹介しておきます」と自分からの情報を最小限に抑えているのが従来の教育原理とは真逆の姿勢に思えました。
自主性と小グループをキーワードに2013年の大阪開拓集会からは少人数だからこそ可能なスタイルにチャレンジすることにしました。
まず礼拝を講壇からの一方的な説教スタイルではなく参加型に変革しました。
説教中も参加者に問いかけ自分でも考えてもらい同時にその回答から展開するのも有りです。
参加者に期待するのは説教者が既に準備した答えを出してくれることではなく自分なりの答えを生み出そうと取り組んでくれることです。
人は自分で格闘し生み出した結論は親密感を覚え適用するのが容易になります。
創造を喜ぶように神が人を造られたからです。
対話式メッセージを始めると不思議なことに説教者が準備した答えに勝るとも劣らない回答が返ってくる事もあって礼拝を終えたあとに言いつくせない充実感を覚えます。
聖霊が出入りされているのが実感でき気がつくと内的変革の素晴らしい実が生まれているのです。
なんとすばらしいことでしょうか。
少人数だと参加者全員が自分の体験談を分かち合う時間が取れ励まし合う幸せも加わるのですが少ない人数だからこそ可能なのです。
聖書には少しを持って戦うのも多くをもって戦うのも神にとっては同じであるとあります。
自分の手にあるものが何か少ないと感じるとき、少ないからこそ可能な神の栄光もあることを思い巡らしハレルヤと自分を勇気づけ、そこにしか見いだせない神の恵みと祝福を味わうチャンスとしませんか。

●ヨナタンはその武器を執る若者に言った、「多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」サム上14:6