Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

モーセモデルを神学するNo15「生活をディボーションする」

2019-09-16 12:39:01 | Weblog
クリスチャンライフの喜びと幸せはキリストに内面、外面の実、さらには福音の実を生活の現場で豊かに結ぶことにあります。(ヨハネ15章)
 その鍵は「生活をディボーションする」することです。
それは休み時間に何処か個室にこもり聖書を黙想すること、また御言葉を暗誦しながらベルトコンベアーに立ち続けるという意味でもありません。
「生活をディボーションする」とは日々の出来事や時間の流れのなかに主を認め、主の指導に耳を傾け主の贈り物を発見し喜び従いながら一日をすごすことを意味します。
先月、スタバに向かい夫婦でコーヒータイムをもったあと、立ち上がり上階のTシャツ売り場をおとずれました。
そのとき背の高い初老の外人が私達を認めると近寄り「小物入れを落とされたでしょう受付に預けておきましたよ」とわざわざ私達を探して教えてくれたのです。
その小物入れにはクレジットカード類が詰まっていたので、届けてもらわなければ大パニックに陥ったに違いありません。
これを自分の運の良さと喜ぶのは普通の感情ですが、そこに留まらず「この出来は何を意味しているのだろうか、主は私に何に気づかせたいのだろうか」と思い巡らし始めるなら「生活をディボーションする」のスタートです。
私は詩篇の言葉を思い出しました。
●主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。【新共同訳】詩91:11 91:12
「そうだ、あの紳士は私を助けるために神が備えられた翼のない天使なのだ」と理解したとき喜びはさらに増幅し主が私の弱さの中にも共にいてくださるという深い平安が満ちてきました。
気がつくと喜びと平安の実がそこにありました。これが生活をディボーションするという意味です。
この生活をディボーションする営みに大きく貢献するのが聖霊です。
聖霊は生活の中で主イエスを証し「それはイエスさまですよ」「そこに愛なる主の御手がありますよ」「ほら、主があなたを助けてくださっています、大丈夫勇気を出しなさい」「いま問題の解決の備えがとどいています、貴方にも見えるでしょう」と語りかけて下さるのです。
たった5分の小さな礼拝にも聖霊は来て下さり、生活の中に主の御手が見えてきて御霊の促しに従って歩むようになると、豊かな実が結ばれているのに気づくのです。

●わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。(ガラテヤ5:16)