Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

逆説の神学No1「不便はマイナスか」

2019-11-05 12:21:41 | Weblog
便利は最善であるという考えは現代人の確信する通念となっていますが一度疑ってみるのも価値があると思います。
私達は彦根から京都に戻ってきたとき車生活は便利と言うより不便である事に気づきました。
殆どの飲食店、商店は駐車場を併設しておらず車では買い物もお茶タイムもままならないのです。
また自転車交通が盛んで特に高齢者の自転車と一寸触れただけでも大変な事故になりかねないのです。
 もし車が必要な時はレンタカーとタクシーでまにあわせればいいと清水の舞台から飛び降りる決意で自家用車を売却して車離れを断行いたしました。
 以後、市バストと地下鉄の不便を甘んじて受け入れたのですが京都は80数本のバス交通網が整備されていて、高齢者フリーパスを利用すれば経費を気にせずに京都市内どこでも出かけることが出来ることが分かりました。
 バス停までの歩行、地下鉄での階段の上り下りは体力保持の公的ジムと思うようになり車のない不便さをなんと幸せな事かと心の底から喜べるようになりました。
 車でただ通り過ぎてきた町並みに気に入ったレストランや便利な器物を販売している商店を発見する喜びが加わり生活のクオリティーが増しました。
 京都大学の川上浩司教授がウエブ上に立ち上げられた「不便益研究所」には不便は有益というコンセプトが楽しく語られています。
 たとえば「バリアフリー」を無くした「バリアアリー」の高齢者ホームもその一例です。
バリアーを置くことでその危険を避けようとするのでぼけ防止に成り同時に筋肉の退化を防げるという考え方です。
 私達の人生の旅路も同じように予期しない迷い道に踏み込んで時間と労力と精神を浪費したと悔やむことがあります。
でもむしろ積極的に新しい何かを発見できるチャンスと受け止めてみたらいかがでしょうか。
ヤコブは神の王子と名前が変わるまでに、ずいぶん遠回りをしましたが神様の御計画は着々と進められていきました。
私達の為に死んで甦られた方が導いておられるのを信じるなら、不便をも喜び、むしろその不便さのひだに隠されている神の贈り物を拾い集めようと積極的に向き合うなら、神はきっとその心根をよみして下さるのではないでしょうか。

●神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。ロマ 8:28