●22:1 もし人が牛または羊を盗んで、これを殺し、あるいはこれを売るならば、彼は一頭の牛のために五頭の牛をもって、一頭の羊のために四頭の羊をもって償わなければならない。
1.五倍も償うの!!
①神はなぜ償いに四倍、五倍の支払いを命じられるのでしょうか。被害者は、加害者の推測より何倍も心のダメジを深く感じていることを加害者は忘れやすいからです。安藤仲市師の歌に、「アザミ花おのれの刺を知らずして花と思いし今日の今まで」
②無意識でも人の刺になっていることが有るなら、目に見えて人を傷つけた場合いは十分以上の償いを示す誠意が必要なのです。それでも相手の側では癒されたとはなかなか感じてもらえないことが有ります。ですから、本当の意味で人に与えた傷を癒す事は人にはできないのかもしれません。 その負いきれない責任から解放させて頂けるのは十字架上のイエスの執り成し「父よ彼等をお許しください、彼等は何をしているか解らないのです」の祷りが天に届いているからです。あなたがこの恵みに自分を委ね続けるなら、時間は掛かっても、主は特別の方法で相手の心をも和らげてくださるでしょう。安んじて信じ続けましょう。
2. 五倍しか償わないの!!
①逆に被害者になったときは、償いを無制限に要求したくなり被害者意識は肥大化しやすいのです。でも被害者意識の肥大は心をサタンのブラックホールへと連れ込みます。ここから私達を救い出してくれるのも十字架上の宣言です。 ②主が「すべてが終った」と宣言されたとき「のろわれるべきものは何もなくなった」のです。この完了済みの宣言に心を向けるとき、被害者意識は溶け始めます。依然として苦しみはあります、当てはずれの痛みもたやすくはなくなりません。でも被害者意識からくる呪いは無力化されていくのです。同時にその中心に主の愛顧の陽光が差し込んで来るのを経験します。それを受けとめその中に止まり、今日から明日へ精一杯生き続けるなら主が未来の最善へと導いて下さるに違い有りません。
「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」ロマ5:5