Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

しないを全力でするNo1「強くなろうとしない」

2020-01-06 12:50:41 | Weblog
体の不調や乗り越えがたい問題にぶつかれば誰しも自分の弱さに直面します。
そのときもっと強くならなくてはと踏ん張り頑張ろうとするのが常です。
でも果たして弱さを覚えることはそんなに悪いことでしょうか。
 日本の幸福学の第一人者前野隆司教授は著書の中で「おもしろいデーターがあります、健康度は20代をピークに落ちていくといわれていますが
幸福度は50代以降から上昇していきます。20代より90代の方が幸せに過ごしているということです」と述べておられます。
何故でしょうか、年齢の増加と共に体力が落ちていくという弱さに直面するからです。
弱さは心を謙遜にし、少しの親切や小さな贈り物にもとても嬉しく有り難いことだと幸せな気分にします。

何でも自分でこなしてしまえる若い時には保持し得ない砕かれた魂です。

すべてを当たり前に感じ感謝や喜びから遠くなり不平不満でいらいらしているときは大抵心が高ぶっています。
私達は時々頭を壁にぶつけて自分の無力を味わい知って謙遜な魂にリセットされる必要があります。
弱さを覚えることはまたとないそのチャンスです。
パキスタン人の医者で貧しい人達に献身的に医療を届けている方があります。
「どうしてそのような医療をされているのですか」と尋ねた時の答えは、自分が医学を学びたい一心で日本にやってきたとき、後見人も身寄りもないなかで自分を助けて医科大学を卒業するまで面倒を見てくれた女医さんがおられ、その愛と親切に深く感じ、自分と同じように弱さを覚えている人に仕えたいと願うようになったのです。
弱さを経験した度合と届く愛の度合いは正比例するのだと改めて痛感しました。
鉄人といわれた使徒パウロも祈っても解消しない障害に苦悩と挫折感にさいなまれた時がありました。
その時主の声を聞くのです。「私の恵みは貴方に十分です。私の恵みは弱いところに現れるからです」。
パウロはもう強くされることを求めずむしろ弱さを誇る人に変えられます。
弱さに直面し何とか強くされようと苦闘し苦悩を増し加える道もOKですが、「主はこの弱さの中でどの様に働かれるのだろうか」と待ち望む道も選べるのです。
その弱さこそキリストにある新しい強さだからです。

●わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。
なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
【口語訳】二コリ12:10