Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

モーセモデルを神学するNo16「しない愛の栄光」

2019-09-23 10:51:42 | Weblog
モーセがカナンを目前にして水をくみ出す責任を長老達に委ねたのは彼が後継者の育成に心を砕いていたからです。
リーダーの最大の使命は継承者の擁立です。どんなに偉大な働きも一代で終焉するなら竜頭蛇尾となるからです。
 モーセの奉仕は出エジプトに始まりましたが、その完成はイスラエルに約束の地を継がせることでした。
その最終課題は後継者ヨシヤに託されたのでヨシヤが成功しなければモーセの40年間はむなしくなります。
それを十分心得ていた彼は40年の荒野の旅が終わりを迎えんとしたとき、自ら山に登って死を選び全権を託すことでヨシヤのリーダーシップの完成の捨て石となったのです。
約束の地に入りたいという願望は人一倍強かったはずですが、それを十字架につけ完全に退くことで後継者の成功の為に最後の愛を注ぎこんだのです。
ここに「しない愛」の極地を見る思いがします。
子育ての成功にも幸せな夫婦関係にも「する愛としない愛」の両方が求められます。
 どちらが困難でしょうか、言うまでも無く「しない愛」です。
する愛は自分の支配欲がある程度満足できるので比較的容易です。
しない愛は返礼願望をも放棄するのですからある面、耐えがたい生き方といえます。
 しない愛は相手に選択権を与えることであり返礼責務から解放するのです。
自由を与えられるとき人は愛される経験をします。エネルギーをもらいます。
その愛で愛された人は命を増幅させ成長拡大できるのです。
 キリストは自由を得させるために死んでくださった、とガラテヤ書にあります。
ここに他者を生かす愛があり十字架こそしない愛の極地です。
キリストは喜びながらそれをなさってくださいました。
それは前に置かれている喜びを見つめておられたからです。
私達がしない愛を喜んで届けたいなら自分の喜びを潤沢にすることが不可欠です。
「受け止めるハピネス」「成し遂げるハピネス」「与えるハピネス」で心を充足出来た分だけ「しない愛」を喜んで行使できるのです。
あなたのしない愛に、貴方にまつわる人たちの命とハピネスがかかっているのです。
他者への祝福の基となるため喜んでしない愛の杯を飲める一人一人にならなくてはなりません。

●あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。(1ペテ1:22)

<10月は黙想月でお休みです。11月にお目にかかりましょう>

モーセモデルを神学するNo15「生活をディボーションする」

2019-09-16 12:39:01 | Weblog
クリスチャンライフの喜びと幸せはキリストに内面、外面の実、さらには福音の実を生活の現場で豊かに結ぶことにあります。(ヨハネ15章)
 その鍵は「生活をディボーションする」することです。
それは休み時間に何処か個室にこもり聖書を黙想すること、また御言葉を暗誦しながらベルトコンベアーに立ち続けるという意味でもありません。
「生活をディボーションする」とは日々の出来事や時間の流れのなかに主を認め、主の指導に耳を傾け主の贈り物を発見し喜び従いながら一日をすごすことを意味します。
先月、スタバに向かい夫婦でコーヒータイムをもったあと、立ち上がり上階のTシャツ売り場をおとずれました。
そのとき背の高い初老の外人が私達を認めると近寄り「小物入れを落とされたでしょう受付に預けておきましたよ」とわざわざ私達を探して教えてくれたのです。
その小物入れにはクレジットカード類が詰まっていたので、届けてもらわなければ大パニックに陥ったに違いありません。
これを自分の運の良さと喜ぶのは普通の感情ですが、そこに留まらず「この出来は何を意味しているのだろうか、主は私に何に気づかせたいのだろうか」と思い巡らし始めるなら「生活をディボーションする」のスタートです。
私は詩篇の言葉を思い出しました。
●主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。【新共同訳】詩91:11 91:12
「そうだ、あの紳士は私を助けるために神が備えられた翼のない天使なのだ」と理解したとき喜びはさらに増幅し主が私の弱さの中にも共にいてくださるという深い平安が満ちてきました。
気がつくと喜びと平安の実がそこにありました。これが生活をディボーションするという意味です。
この生活をディボーションする営みに大きく貢献するのが聖霊です。
聖霊は生活の中で主イエスを証し「それはイエスさまですよ」「そこに愛なる主の御手がありますよ」「ほら、主があなたを助けてくださっています、大丈夫勇気を出しなさい」「いま問題の解決の備えがとどいています、貴方にも見えるでしょう」と語りかけて下さるのです。
たった5分の小さな礼拝にも聖霊は来て下さり、生活の中に主の御手が見えてきて御霊の促しに従って歩むようになると、豊かな実が結ばれているのに気づくのです。

●わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。(ガラテヤ5:16)


モーセモデルを神学するNo14「新約に旧約を生きますか」

2019-09-09 12:24:48 | Weblog
「先生新約時代にいても旧約を生きていることもあるのですね」とある牧師が語られたとき深い感動を覚えました。なぜならクリスチャン生活にとり、とても重要な違いだからです。どうしてでしょうか。
モーセの公生涯がおわりに近づいたとき彼がイスラエルに水を供給する形に大きな変化が見られました。
それまでは人々のつぶやきと脅迫に背中をおされ、やむなく思いっきり杖で岩を打つと裂け目からこんこんと水が流れ出て民の乾きを癒やしました。正に旧約的な姿です。
ところが火の蛇に噛まれて倒れる中で青銅の蛇を仰いで救われ、悔い改めたあと飲み水を得る形が全く変化したのです。
神はおさ達を集めて賛美を歌わせ喜びの歌と共に杓で砂をほると、そこに水が湧きいで人々が喜びながら見守る中で水をくみ上げたのです。1コリント書10:4に、

●「それは彼らについてきた霊の岩から飲んだのである」

とあります。 貴方が主を追い求めると同時にイエスキリスト御自身が貴方を追ってこられて神の恵みに生かされて生きるこれが新約なのです。
8月13日にヤーダーセミナーで幾つかの証を分かち合ってもらう中で「恵みと慈しみがついてくる(詩篇23;5)」と体験がなされているのを見いだし、とても感動しました。
これこそが新約に生きる姿でありそこに入れてくださる主イエスを、今一度崇めたことでした。
この違いは言葉で説明し尽くせませんが体験すればすぐ分かります。
すると二度と旧約的クリスチャン生活はしたくないと心に決めて、そこから外れないよう歩むので喜んで神の国に留まり続けるのです。
この祝福の鍵は民数記21:17のフレーズに発見できます。

●その時イスラエルはこの歌をうたった。「井戸の水よ、わきあがれ、人々よこの井戸のために歌え」。

彼らの生き方が変えられ神の恵みを数えて感謝し主を喜びその御心に従った瞬間、彼らの足下に水脈のほうがやってきたのです。
すると少し杖でほると水がわき上がり池と成り、杓でくみ上げることが出来たのです。
感謝と賛美を土台にしたヤーダー礼拝で心のエンジンをかけて一日を始めるなら霊の岩である主イエスがついて回って、生活の現場で神の国体験が現れ、様々な実が結ばれていくのです。
普通の日々が新約のクリスチャンに相応しい神の国となるよう期待して祈りましょう。
 
●賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。(エペ5:15 5:16)

モーセモデルを神学するNo13「驚異のオートファジー」

2019-09-06 12:14:11 | Weblog
 「空腹こそ最強のクスリ」という本を待合室の本棚で見つけ同時にそれが院長の推薦図書であることに驚きました。
 昨今、医術は薬剤を処方するのが主なる仕事のように印象づけられてきたからです。
 著者の青木厚博士は御自身が「舌がん」を経験され一念発起しあらゆる資料をしらべ生活を洗い直す中で最後に行き着かれたのが「空腹は最強のクスリ」の結論でした。
空腹がなぜ最強のクスリなのか、根拠は2016年ノーベル賞を受けられた大隅博士のオートファジー理論です。
体の維持には毎日200グラムのタンパク質を要しますがその内の70グラムは食事から供給され残りの130グラムは驚くべき事に自分の体内から供給されるのです。
体内の活動期限切れになった細胞は廃棄され新しい細胞と入れ替わります。
それらの細胞はすぐ排泄されるのではなく出来るだけ再利用する機能が人体に備わっていることが発見されましたがそれがオートファジーです。
これがフル活動すると体内に澱のように蓄積された細胞のゴミが一掃され体の部位が新品同様にリセットされるのです。
エネルギーのエンジンであるミトコンドリアも新生します。
すると体はまるで若返ったような活力と若さを取り戻すのです。
創造者の知恵の結集とも言うべき驚くべきシステムが備えられているのです。
オートファジー効果は一定時間空腹であると起動しはじめます。  
青木博士の推奨されるのは16時間、空腹状態に自分を置くことです。
それは睡眠時間を含めてなのでそんなに難しいことではありません。
個人的に断食は慣れ親しんできた経緯があるのですぐ試してみました。  
確かに明くる日の体の爽快感は特別で体が若返った様に軽くなり、ダイエットも着実に進み食材費も節約出来る。つまり一石三鳥でやみつきになりそうです。
モーセは十戒を受け取るとき40日40夜、断食しましたし大きな問題に悩むときも断食して祈りました。
彼の長寿と健康に断食と祈りが大きく関係していることは、大隅博士の理論から間違いないでしょう。
勿論、断食祈祷は飢え乾いて神に求める祈りであり、ただ健康増強を求める手段ではないのですが、霊的にも健康増進にもとても有効です。
一週間の一日でも食事の時間をささげて主と交わるなら、貴方の健康と霊勢が一新され、幸せと喜びを受け取りやすくさせてくれるでしょう。
チャンレンジする価値があると思いませんか。

●「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」詩50:15