【口語訳】マル5:33
その女は自分の身に起ったことを知って恐れおののきながら進み出て、
みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
はじめに)
長血の女の告白する信仰を通して主が彼女に新しい人生を作って行かれるのを見てきました。第一の告白は、主とのコイニアをもたらす、悔い改めの告白でした。第二の告白は暗黒を破る希望の光りを生み出す「希望の告白」でした。第三は人と神との関係コイノニアの修復を果たす「和解の告白」でした。第四の告白は人々を最も幸せにする道に導く告白であり、その告白をする人自身に限りない喜びをもたらす告白でもあります。
1.難しい方法を取らなかった
①きっと彼女は
隣の女性達、家族や親戚を訪ねては自分の身に起こった事を告白し続けたに違いないのです。やがてその物語は弟子達の中でコモンセンスとして定着し、後日マルコによって羊の皮の巻物に記録されるに至ったのでしょう。彼女が生涯、証し続けられた理由は何処にあるのでしょうか。難しい方法でイエスを伝えなかったからです。クリスチャンが福音を伝えるのが「難しい」と感じるとすれば、わざわざ難しくなる方法を選ぶからです。
つまり、礼拝で馴染みのある説教方式を、そのまま適用する事の問題です。個人的に伝えるとき、同じ方式で語ると相手にはユーメッセージになって届いてしまいます。ユーメッセージの反応は、拒絶、反発、反撃など否定的ですから関係が壊れるという問題が生じます。その後は、霊的な問題も口に出来ない難しい関係になり「伝道は難しいなあ」と落ち込むのです。
②福音を伝えても
反発を避けることが出来、しかも関係が壊れない方法は無いのでしょうか。「愛(私)メッセージ」を使えばいいのです。彼女の証しが、継続的に可能であった事を考えると、きっとそれは「愛メッセージ」の形を取っていたに違い有りません。「わたしは、御衣の房に触れば癒されるとただ言い続けていたの。すると、どうですか、本当にイエスがこられたのよ。そして、顔を覆いながら人をかき分けて前に出て、イエスの衣の房にタッチしたのよ、そしたら何かが流れてきて体が熱くなり、このように変えられてしまったのよ」。彼女は「貴方も求めなさい」とは勧めなかったので証を聞いた人々と関係が険悪になることはありませんでした。
では、福音の宣教はなさなくても良いのでしょうか。いいえ、その役割は協力関係にあるメッセンジャーに委ねれば良いのです。メッセンジャーは公の人ですから、福音を提示して決断を迫っても、相手は心を開きやすいし、断ったとしても、証し人との関係は元のままです。
彼女が生涯、イエスを証し続けることができた第二の理由があります。それは、使徒たちの姿に見出せます。
2.「貴方が知らない食べ物?」
使徒行伝
13:52 弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
①福音を証する時、
様々な、迫害をも越えさせる程の、不思議な喜びが彼らに与えられたのです。故に益々証し続けました。主を証すると至福の喜びがわき上がるのです。それを一旦味わったなら、もう止められなくなるのです。そこにあるのは聖霊の喜びですから結果の如何に関わらず、聖霊御自身が喜びの泉となってわき上がって来られ、天来の喜びで満たされるのです。旧約聖書も「主を喜ぶ事はあなた方の力です」と喜びは生きる力だと証しています。主は「私にはあなた方の知らない食物がある」と言われました。その食べ物こそ、福音を証する喜びです。
ヨハネ15:11 わたしがこれらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、
あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
主イエスが長血の女を触れ癒された最終目的はヨハネ15:11を経験させることだったのです。長血というマイナスを癒してゼロにすることだけでも尊い事です。でも、それ以上、つまり喜びを積み重ねていく、プラス&プラスの人生に入れられたのです。何と偉大な計画でしょうか。
②貴方が神の子とされた
デスティネーションも同じでしょう。この御計画に気付くなら、福音を証する事こそ、神のデザインされた人生設計図の中軸であることを理解でき、クリスチャン生活の諸要素の歯車がすべて噛み合い、神の愛の原則で回転し始めるでしょう。この祝福の相続人となりませんか。
ロマ書8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、
ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
その女は自分の身に起ったことを知って恐れおののきながら進み出て、
みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
はじめに)
長血の女の告白する信仰を通して主が彼女に新しい人生を作って行かれるのを見てきました。第一の告白は、主とのコイニアをもたらす、悔い改めの告白でした。第二の告白は暗黒を破る希望の光りを生み出す「希望の告白」でした。第三は人と神との関係コイノニアの修復を果たす「和解の告白」でした。第四の告白は人々を最も幸せにする道に導く告白であり、その告白をする人自身に限りない喜びをもたらす告白でもあります。
1.難しい方法を取らなかった
①きっと彼女は
隣の女性達、家族や親戚を訪ねては自分の身に起こった事を告白し続けたに違いないのです。やがてその物語は弟子達の中でコモンセンスとして定着し、後日マルコによって羊の皮の巻物に記録されるに至ったのでしょう。彼女が生涯、証し続けられた理由は何処にあるのでしょうか。難しい方法でイエスを伝えなかったからです。クリスチャンが福音を伝えるのが「難しい」と感じるとすれば、わざわざ難しくなる方法を選ぶからです。
つまり、礼拝で馴染みのある説教方式を、そのまま適用する事の問題です。個人的に伝えるとき、同じ方式で語ると相手にはユーメッセージになって届いてしまいます。ユーメッセージの反応は、拒絶、反発、反撃など否定的ですから関係が壊れるという問題が生じます。その後は、霊的な問題も口に出来ない難しい関係になり「伝道は難しいなあ」と落ち込むのです。
②福音を伝えても
反発を避けることが出来、しかも関係が壊れない方法は無いのでしょうか。「愛(私)メッセージ」を使えばいいのです。彼女の証しが、継続的に可能であった事を考えると、きっとそれは「愛メッセージ」の形を取っていたに違い有りません。「わたしは、御衣の房に触れば癒されるとただ言い続けていたの。すると、どうですか、本当にイエスがこられたのよ。そして、顔を覆いながら人をかき分けて前に出て、イエスの衣の房にタッチしたのよ、そしたら何かが流れてきて体が熱くなり、このように変えられてしまったのよ」。彼女は「貴方も求めなさい」とは勧めなかったので証を聞いた人々と関係が険悪になることはありませんでした。
では、福音の宣教はなさなくても良いのでしょうか。いいえ、その役割は協力関係にあるメッセンジャーに委ねれば良いのです。メッセンジャーは公の人ですから、福音を提示して決断を迫っても、相手は心を開きやすいし、断ったとしても、証し人との関係は元のままです。
彼女が生涯、イエスを証し続けることができた第二の理由があります。それは、使徒たちの姿に見出せます。
2.「貴方が知らない食べ物?」
使徒行伝
13:52 弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
①福音を証する時、
様々な、迫害をも越えさせる程の、不思議な喜びが彼らに与えられたのです。故に益々証し続けました。主を証すると至福の喜びがわき上がるのです。それを一旦味わったなら、もう止められなくなるのです。そこにあるのは聖霊の喜びですから結果の如何に関わらず、聖霊御自身が喜びの泉となってわき上がって来られ、天来の喜びで満たされるのです。旧約聖書も「主を喜ぶ事はあなた方の力です」と喜びは生きる力だと証しています。主は「私にはあなた方の知らない食物がある」と言われました。その食べ物こそ、福音を証する喜びです。
ヨハネ15:11 わたしがこれらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、
あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
主イエスが長血の女を触れ癒された最終目的はヨハネ15:11を経験させることだったのです。長血というマイナスを癒してゼロにすることだけでも尊い事です。でも、それ以上、つまり喜びを積み重ねていく、プラス&プラスの人生に入れられたのです。何と偉大な計画でしょうか。
②貴方が神の子とされた
デスティネーションも同じでしょう。この御計画に気付くなら、福音を証する事こそ、神のデザインされた人生設計図の中軸であることを理解でき、クリスチャン生活の諸要素の歯車がすべて噛み合い、神の愛の原則で回転し始めるでしょう。この祝福の相続人となりませんか。
ロマ書8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、
ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。