「瀬人、ただいま」
「ああ義父さん、戻ってたんですね」
バスローブ姿でシャワー室から出てきた瀬人に、スーツ姿で帰宅したばかりの剛三郎が声をかけた。
一見して受ける印象とは全くの逆で、その日大きな「業績」を上げたのは、瀬人のほうだった。
おかげで夜も遅いというのに、瀬人は上機嫌の様子だ。
「もう義父さんも話は聞いていますよね?
A国側からの要請という形で、国内に新しい学術機関を創設するよう動いてくれるそうです」
「聞いている。我が社の方でも、官僚や学校法人とのパイプを整備しなければな」
「ええ。ここで義父さんのコネクションが生きてきますね」
「…瀬人。詳しい話は後でしよう。そろそろ寝なさい」
「はい。ああ、でも」
一瞬だけ考えた瀬人が、急に息を潜める。それからコメディー映画のようにわざとらしく笑顔を作ってみせた。
「大きな声じゃ言えないんですけどね、実は…」
声のトーンを何とか落とそうとするものの、それでも滲み出る興奮は明らかだ。
自分でもそれがツボにはまったのか、余計におかしそうに笑っている。
「連中、何か仕掛けていったみたいで。いくつか見つけて、いじくっておきました。あはは」
「そのせいで処理班が混乱していたのか。…遊ぶのはやめなさい。すぐ全部取り除く」
「すみません。でもね義父さん…ふふ。 俺の方でも、押さえるものは押さえたんです」
「全くお前というヤツは。 で、何をだ?」
「ヤツらの弱み、ちゃ~んと握っておきましたから。…見ますか?」
大手柄を収めたとはいえ、あまりに「ハイ」な瀬人に、剛三郎は違和感を覚えた。
その理由は、案外すぐに思い当たった。
「これだから…王族のいるパーティは厄介なのだ。 瀬人、体調は?」
「大丈夫ですよ。俺は義父さんのお陰で、丁重に丁重に、ご奉仕してもらってる側なんで。
…ほら、これです」
バスローブの裾を揺らしながら駆けだした瀬人は、通路脇の花瓶の後ろから数枚のディスクを取り出し、得意げにかざして見せる。
「こっそり連中のノートPCから、色々抜き取っておきました。有事の際に使えるでしょう」
いつの間にかすぐ近くに瀬人の顔があった。
「義父さん」
小首を傾げる仕草。ディスク越しに覗く、見上げる青い瞳は、妖しく光り…。
剛三郎は恐ろしいような誇らしいような、そんな震えを背筋に感じにいられなかった。
「詳しい話は後で聞こう。今日はもういいから、休みなさい」
「はい。でも…」
珍しく口答えをやめない、瀬人。
瀬人は、剛三郎にとって信じがたい言葉を発した。
「義父さん。別に今じゃなくても良いのですが… ご褒美、もらえませんか?」
「なんだと?」
「俺、今日、頑張りました。だからご褒美が欲しいんです。…いいですよね?」
必要なものを希求される事はあっても、そのような表現が用いられた事は過去になかった。
「…何が欲しいのか言ってみろ」
金で買えるものなら何不自由なく与えているはずだ。
答えを聞く前から、剛三郎には既に嫌な予感がしていた。
愛でも自由でもない。むしろもっととんでもないものを要求されるだろうと。
そして当然のように、その予感は当たった。
「俺は義父さんが欲しいのです」
・・・
「どうしてですか?他の子にしているみたいに、俺には触れてくれませんよね?」
「お前は息子だからな。大事な跡継ぎを壊すわけんはいかんだろう」
「他の連中には壊されてもいいのに?」
「お前もさっき言っていただろう。そうはならないように手は打っている。 早く、寝なさい」
元から見栄えのする少年ではあったが、目の前にいるこれは一体何だろう…?
世界を渡り多くの子供たちを見てきた剛三郎をして、初めて見る生き物がそこにいた。
「お前は……」
「……………」
無言でうつむく瀬人。するりと滑り落ちたローブから露わになった白い胸元に、淡いピンク色の痕が刻まれていた。
慌ててそれに背を向けるなり、剛三郎は努めて冷徹に言い放つ。
「救護班を呼ぶ。調子が悪いようだから、今夜は治療室のベッドで休むといいい」
「待って、義父さん」
「静かにしなさい。盗聴器?があるんじゃなかったのか?」
「別に聞かれてもいいでしょう、こんなの。あいつらも好きそうですし…」
「瀬人」
「・・・・・・」
「そういう事はな、私に『勝って』からにしなさい。ゲームの方はまだ終わっていないのだ」
「・・・・・・」
「瀬人。寝なさい」
「はい・・・ 分かりました」
全く後ろを振り返れなかった。その場から逃げるように立ち去った剛三郎だった。
恐怖を押し殺しながら父の威厳を保つのに、内心必死だったのだ。
かつて瀬人を養子に迎え入れた際に、界隈の者たちから受けた忠告が、頭を何度も過る。
『悪魔の子』『跡取りどころか、社に破滅を招く』『生贄にされるのは貴方のほうだ』
・・・
実はそもそもは、後を継がせるつもりもなかった。ただの建前、方便に過ぎなかったのだ。
裏世界でのし上がるための『道具』として使い捨てるつもりだった孤児の少年が、いつしか名目上の跡取り候補となり…、
気付いた頃には、自慢の嫡男であり次期社長、世界から期待される天才少年、になっていた。
何よりまず、瀬人はよく言いつけを守り、父やその取り巻きにもよく接し、物覚えも早かった。
悪魔どころか、自分を裏切るような子供だとすら、全く疑いようがなかったのである。
「あの者たちは、やはり私を妬んであのような嘘を言ったのだろう」
そうすっかり確信して、油断していた。
ところが今となってみれば、どうだろう。
有り余る才知と隠す事を知らない野心。それらが脅威だった頃が、まだ微笑ましく思える。
社会の汚れた面を見ても臆する事なく、むしろその中で自らの価値に気付き、進んで利用していく。
その魔性めいた素質は、あるべきものがあるべきところに収まるように。目覚ましく開花していった。
・・・ただ、それでもまだ良かった。それだけならば、良かったのだ。
剛三郎自身にその牙が向かなければ。 向く事はないと、そう信じていた。
つい先ほどまでは。
剛三郎の指示で早速館内の再チェックが始まり、作業着姿の職員たちが、慌ただしく深夜過ぎの廊下を行き来している。
その人波とは全く異なる動きをする黒服の男が一人、剛三郎の前を偶然通りかかった。
「お前は何をしている?どこの班だ?」
「これは失礼いたしました、社長。私はただのSP見習いで…今回の調査とは無関係でございます」
「私の指示もないのに勝手に動くな」
「はっ…それが…、瀬人様からのお呼びがありまして…」
剛三郎の表情があからさまに歪んだ。見習いと称する男はその場ですっかり委縮した様子だったが、
「…勝手にしろ。好きにするがいい」
「はっ…、はいっ、…了解いたしました!!」
「ふん」
男は剛三郎の了承を得ると、あれから瀬人が帰ったであろう彼の私室のある方へ、
大きな体躯がすぐに見えなくなるほどの速さで、忠実なロボットのようにまっすぐに走っていった。
その背中を見送った剛三郎は、苦々し気にこう吐き捨てるより他になかった。
「…ああやって、社内の男も誑かしているのか…。実に恐ろしい」
この私も誑かそうとした。
〇のせいもあるだろうが、きっとそれは元々の真の欲求が現れた結果だろう。
この私を欲しいというのは、つまり私を誘惑し、罠に嵌め…
そして地位や富みや名声、私が築き上げた全てを奪い取り、叩き潰す。と。 そういう意味に違いない…。
剛三郎はそう考えた。 やはり彼は評判通り、悪魔の子そのものであったとも。
しかしそうであるならば、猶更安易に敵に回すのは恐ろしい。
このまま飼殺せるほどの従順なペットでもないだろうが、幸いにして、彼はグローバリストたちのお眼鏡に適ったようである。
先祖代々営み…自分の代で一気に大きくした会社の未来を、どうしても守りたかった。
剛三郎には、瀬人も称賛したような、絶対的なコネがある。
戦争とエンタメと児童福祉をつなぐ、一見奇妙にも思えるパイプラインは堅固であり、それだけでも世界と渡り合えるだけの影響力を剛三郎は有していた。
上手く立ち回る事で、会社を存続させつつ、瀬人には別のポジションに就かせた上で、協力的関係を保ちたい…。場合によってはそうするしかない。
改めてその可能性を視野に入れると、突然の強い失望感に襲われもする。
大切な跡取り息子として、愛情深く今日まで育て上げてきたのも、彼が次期社長となった社の未来を心から夢見ていたからだ。
その夢が潰えてしまうのは、決して順調なばかりでない人生を送ってきた剛三郎にとっても、非常に大きな痛手であった。
「まさか、そんなはずは」
受け入れきれない悪い予想よりは、「ハズレ」の夢をもう少し長く見ていたいと思う気持ちもある。
そうやって人の心に付け込み惑わす能力も、やはり「悪魔」のそれなのだろうか…?
あの夜の出来事以来、瀬人は再び、素直で親思いの優等生へと戻っていた。
剛三郎の心は大いに揺れた。このまま理想通りの息子を自分の後継者に据えられたら、どれほどいい事か…。
しかし時代は決して待ってはくれない。国内外の特権層やセレブたちから声がかかれば、すぐさま応じざるを得ない。
それは瀬人を一体どのように変えてしまうのか。…自分に、社にとって、それが果たして助けになるのか。
剛三郎と瀬人の『ゲーム』は、今や、当人たちの当初の思惑を超えたスケールのものになりつつあった。
そのゲームを、結局親子2人が権力のコマとして遊ばれていただけだと考えるかどうかは、個人の思想や趣向によるだろうが…。
「年内にも銀行が倒産し始めます。技術が海外資本に買われていく流れは止められません。
ですからこちらは買われる事を前提に、それ用の技術と人員と体制を用意し、まずはA国とB国の両方に…」
「相変わらず盤外戦術が得意なようだな」
「勝敗のほとんどは勝負が始まる前に決まっている。貴方が教えてくれた事でしょう」
「まずはチェスで私を堂々と負かしてみなさい」
「……」
そう言いながら、あれこれ理由をつけて対戦の申し出を断り続けて、もう何年経っただろう。
チェスで負けるつもりはなかったが、剛三郎は多忙であったし。何より、どうしても気が乗らなかった。
瀬人も瀬人で、自ら開発チームに率先して入り始めてからは、毎日夢中になってプログラムと睨み合っている。
そうした時は、剛三郎との「陣取りゲーム」の事など、頭の片隅にさえ消し飛んでなくなっているように見えた。
その姿は楽しそうで、まるで天真爛漫な子供のようで。
剛三郎にとっては、ほっとするようでもあり、寂しくもあり、…同時に、余計に恐ろしくもある。
そうやって複雑な思いが交差する中でも、お構いなしに「上」からの要求が入る。
言われた事にはYESと答えるのが、この世界のルールだ。
瀬人の貸し出しを求められれば、剛三郎は全ての要求に応じた。ただし一応の条件つきで。
瀬人自身からその件について、意見や抗議や感想を述べられる事もなかった。
瀬人は、変わらず優秀かつ理想的な跡継ぎであった。
頭脳明晰で眉目秀麗、辛い過去を乗り越えた、天才少年。
マスコミにも取り上げられるなどして、あたかも高潔で神聖なものとして、人々から羨望の眼差しを浴びるようになった。
いつしか自然と瀬人を遠ざけるようになっていた剛三郎だったが。
たまたまある日乗り合わせた2人きりのエレベーターで、思い出したかのように、こんな事サラリと言ってのけられる。
「義父さん。ご褒美についてなんですが…」
「お前、まだそんな事を」
久々に間近で見た瀬人は、背が伸びていた。
まだあどけなさを残しながらも、頬の丸みが抜け、鼻筋が通り、いかにも美しい少年に成長していた。
…目線の高さも、随分と近づいた。
「まだゲームは終わらないんでしょうか?いつ、ご褒美をもらえますか?」
「まだだ。まだこのくらい私に勝った気になるな」
「早く…欲しいです…。もう待ちきれません…」
「オトモダチに一杯遊んでもらっているだろう?」
「見ましたよ。義父さん、この間すごく可愛い子と一緒にいましたよね」
「…あれも仕事のうちだからな」
「すごく可愛かったなぁ…。俺じゃダメですか?もう俺には興味がなくなったんですか?」
「そういう意味ではないと、いつになったら…」
「知ってますか?実は俺…、こっちの方はまだなんです…」
だって、初めては義父さんって、ずっと決めてますから……。
今までに経験した事のない衝撃が、剛三郎の身を貫く。
一体どんなに生意気に取り澄ました顔で、そんな安い誘い文句が吐けるものだと思って見てみれば、
…瀬人はうっすらと目尻に涙を溜めて、真っ赤に染まった顔で、じっと下を俯いていた。
悪魔とはここまでするものなのか? 驚きと戸惑いで動けなくなる、剛三郎。
その視界が一瞬塞がれ、唇に柔らかいものがそっと触れた。 …蕩けそうな感触。
離れていくその影をぼおっと眺めながら、内心ここでも剛三郎は、まだ期待を捨てなかった。
悪魔なら悪魔らしい顔をして、その清廉な容姿にそぐわぬ蠱惑の笑みを、嫣然と浮かべていて欲しかった。
しかし… 実際は違った。
瀬人は、今にも泣きだしそうに涙を一杯に溜めた、潤んだ青い瞳で、訴えるようにじっと父を見つめていた。
上気した肌が耳まで赤い。はあはあと乱れた呼吸はひどく辛そうあり、同時に悩ましかった。
所在なげに胸元を彷徨う手も、指も、髪もが、怯えた小動物のように震えていた…。
一体どこまで悪魔は嘘が上手いのだろう。
これが演技ならば、いっそ騙されてしまいたいと。人の子ならばきっと誰もがそう絆されてしまうはずだ。
「義父さん……」
「キスだけなら…いい」 誰の声だか分からない声が、エレベーター内に響いた。
剛三郎は瀬人の唇を思うさまに貪った。
このまま魂を奪われてもいいと、心の底から思う。
信じられないほどにその唇も舌も甘く、吸っても吸っても、いくら味わっても、もっと欲しくなった。
「んっ…、ん…」
「はあ…」
「ん…ああ… 嬉しい…」
悪魔は切なげに鼻を鳴らし、歓喜に身をくねらせる。
抱きしめたスーツの下の身体はまだ本当に華奢で、罪悪感を覚えつつも、より一層強い力で押さえつけてしまう。
そうして、更に深く深く口づけた。 口づけている間は、会社も世界も何もかもがどうでもよくなった。
しかし当然、そんな時間にも終わりはある。
エレベーターが目的のフロアに着いてドアが開くと、剛三郎はあっさりと瀬人から手を離し、外へ出た。
「瀬人」
「…義父さん」
今度は一度だけ振り返った。
陶然とした様子でゆるく微笑む瀬人は、少し頬を濡らしているようにも見えた。
瀬人をエレベーター内に残して歩み去り、廊下を少し進んだところで、後ろから悲鳴が上がるのが聞こえた。
エレベーターに乗ろうとした他の社員らが、床に座り込んでいた瀬人を見つけたらしい。
適当に説明して、瀬人本人がその場を落ち着かせたようだったが…。
騒ぎを聞きつけた者たちが、次から次へと集まって来ているらしい。
騒動の一部始終を他人事として、遠くに聞きながら。
剛三郎自身の心も、ずっとはるか遠くの方を漂っているようだった。
「私は… 負けるのか?」
このまま悪魔の生贄にされてしまうというのか…?
原因は決して、一つに特定はできるものではなかった。
長引く不況やネットの普及に伴う社会の変化により、混乱する社会。
二転三転する政府からの要望と、海外資本の圧力との間に板挟みになりながらも、剛三郎は全力で社を、そして瀬人を死守した。
昔から仕事中毒気質であり、その上で過労やストレスがたたったのもあろう。
剛三郎は体調を崩しがちになっていた。
複雑な事情と曲者揃いの社員を抱えた、町工場上がりの重工業グループ。
ワンマンな剛三郎自身の手腕により舵取りがなされていた面が強い会社は、トップの求心力が衰える兆しに、すぐさま敏感な反応を示した。
上手くいっている時は、人は勝手に集まってくる。
上手くいかなくなった途端、人はすぐに離れる…。
重々理解はしていた。だから常に勝者であろうと全力を賭してきた。…その結果がこうだ。
すっかり落ち込み、急速に力を失っていく剛三郎。
それとは対照的に、社内外で勢力を拡大していったのが誰であるかは、もはや言うまでもない。
…運命の時は訪れた。
「チェックメイト。 僕の勝ちです、義父さん」
株主総会で、代表取締役社長のポストが瀬人に譲られる事が、満場一致で決まった。
つい先日まで自分の右腕として支えてくれた幹部たちまでもが、ずらりと揃って瀬人の両脇を固めている。
「よくも、この私の育ててやった恩も知らず…。 瀬人、貴様…」
「恩なら感じていますよ。だからこそ僕は、貴方の教えとご期待通りに、こうして強くなりました」
瀬人は、穏やかに微笑んでいた。 無邪気でまっすぐな、「いい子」の顔で。
「これでやっとゲームが終わりますね」
「ああ、そうだ」
お前の勝ちだ、瀬人。私は敗れた。
敗れた者は全てを失い、そして───。
強化ガラス張りの社長室の窓からは、再開発が進む街が一望できる。
ゆっくりゆっくりと、馴染んだ感触の絨毯を一歩一歩踏みしめながら、剛三郎は窓の前へと歩いた。
「よく聞け、瀬人。 勝者は全てを手に入れ、そして生きる。
敗者は全てを失い、奪われ… そして… 死ぬのだ!!」
激しい衝撃の後は、大量のガラスの破片と共に、空を舞っていた。
背中から飛び降りたためか、青空と太陽がキラキラと輝き、美しかった。
不思議なもので、あれほど行き詰まって鈍りきっていた思考が、急にクリアになる。
ほんの一瞬前まで敗北感に打ちひしがれていた剛三郎は、むしろそれが大間違いだった事に、はっと気が付いた。
(敗北?違う!! 私は勝ったのだ!!)
生涯で得たどれほどの多くの感動よりも大きな感動が、勝利感が、幸福感が。彼を包んだ。
私は勝った!! 人生という勝負に!!
剛三郎は、しみじみとこう思った。
周囲の反対を押し切って瀬人を養子にした判断は、やはり正しかったのだと。
その後も続いた妨害に惑わされる事なく、徹底的に教育を施して、本当に良かった。
瀬人はあらゆる分野で高い能力を発揮するに留まらず、会社の内外の圧倒的な支持を得る事にも成功したのだ。
その上で、社長職を引き継ぐ強い意志を持っている。事業をより良くしていく理想とビジョンがある。
これほど未来有望で完璧な代替わりのケースなど、他にあるだろうか?
少なくとも剛三郎の知る中では、ない。
振り返ってみれば、瀬人はまだ会社の業務に直接関与する以前から、社の存続と発展に大きく貢献していた。
時代の波はあらゆる産業に及んだ。 巷に溢れた一般企業同様に、買収や統合などを余儀なくされる可能性も、充分にあったのだ。
それがどうだろう。買収されるどころか買収を繰り返し、見事巨大グループの仲間入りを果たす。国際競争においても十二分に渡り合っていけるだけの力を有するに至った。
あらかじめ用意されたパズルのピースが組み立てられるように、正解の選択だけをしてきた。
最高のゲームだった。 それが今、終わる。
完成された全てが、次期社長の元に揃う…。
剛三郎自身が生贄となる事で、このゲームの真の勝利者が確定する。
(勝ったのは、この私だ……!!)
こんなに嬉しいと感じた事は、今までになかった。
最初の最後にこぼれた嬉し涙は、光の破片とともに、眩しい空へと吸い込まれていく。
年内にも衛星の打ち上げが予定されている、青い空の彼方。
先にあの向こう側に行くのも、…勝つのも…やはり自分なのだと思うと、一層剛三郎は愉快になってきた。
「悪いが先に行くぞ!お前ではまだまだ私には勝てん!」
それから間もなく地面が迫ってきて、剛三郎は晴れて、永遠の勝利を手に入れた。
一方残された瀬人はというと、彼も彼で、もう1つの勝利を噛み締めていた。
長い長い「ゲーム」がようやく終わり、最後に義父が遺した偉大な教訓を、瀬人は学び取った。
義父は敗者であると。
敗北とは即ち 死 なのだと。
(何故いつも、みんな俺を置いて逝ってしまうのだろう?)
残った者こそが勝者のはずなのに、何故俺はいつも満たされないのだろう?
…それから彼はしばらくの間、妄執的に「死」に傾倒していく事となる。
だが、それはまた別の話である。
―終―