1月28日、大分県臼杵市に行く途中に「荒城の月」の作曲で有名な瀧廉太郎ゆかりの地である竹田市を訪ねて街を散策したり、竹田市立歴史資料館にも立ち寄り、最後に岡城跡の石垣も見てきました。
近代音楽のさきがけとなった瀧廉太郎は幼少の頃、岡城下にあった直入郡高等小学校に通い、生涯の友人に恵まれた竹田の地は廉太郎の原風景となったようです。
また、資料によると「いぬのおまわりさん」などの優れた童謡詩を創った佐藤義美も竹田時代に詩作を始めたとのことです。
昨年NHKで放送された「坂の上の雲」でロシア駐在の武官とし活躍し、その後旅順港の封鎖作戦で戦死した広瀬武夫も竹田の出身で、資料館に経歴が紹介され、資料館の前には銅像が建立されていました。
「荒城の月」の作曲の時にイメーンジされたとも言われている岡城跡の石垣も見てきましたが、戦国時代に島津軍の攻撃に耐えたた石垣だけあって堅固な作りのようでしたが、時間の関係で城の上は散策はできませんでした。
今後、ハーモニカで荒城の月を演奏するきは、岡城跡のことを思い出して演奏してみたいと思っています。
瀧廉太郎が居住していた家
瀧廉太郎が高等小学校卒業の時(前列中央)
瀧廉太郎
広瀬武夫
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