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平成30年度 姶良市歴史民俗資料館「ふるさと歴史講座」(2回目)・・・姶良市姶良公民館

2018-06-16 21:31:56 | ふるさと歴史講座

6月16日〔土)姶良市姶良公民館において平成30年度 姶良市歴史民俗資料館「ふるさと歴史講座」(2回目)が開催されました。13時30分から受付が始まり、2回目の資料をいただきました。

14時・・開会挨拶(姶良市歴史民俗資料館 館長)・・講師の紹介などがありました。

講師の鹿児島市立ふるさと考古歴史館 中村 友昭 氏が登場して自己紹介の後に、パワーポイントを使って「古代人の南島への憧憬~貝の道の考古学~」について講演が始まりましたので、その一部を紹介します。

〇昭和52年3月、鹿児島市大竜小プール建設に伴う発掘で不思議な形をした貝殻が見つかった。この貝はスイジガイ(水字貝)と呼ばれ、琉球列島に生息する巻貝。鹿児島県本土の近海には生息していない。このスイジガイも含めて日本各地の遺跡からは琉球列島に生息する貝を素材とする製品が数多く出土している。

〇素材供給地としての様相・・①琉球列島といっても実際に交易に関与していたのは、大隅諸島から沖縄諸島の島々。特に沖縄諸島は主体的な役割を担っていた。 ②交易の対象となる貝も全ての貝類ではなく、ゴウホラやイモガイといった大型の貝数種類のみ。それらは、生息域が異なっている。 ③交易の度に貝を掘るのではなく、交易のための商品ストックが素材供給地側でもなされていた。→琉球列島では、貝交易に対してある程度、組織的に対応していた。

〇製品消費地の様相・・①弥生時代にはゴホウラやイモガイを素材とした腕輪が主に九州中北部の人々にに好まれ使用されていた。 ②古墳時代にはゴホウラやイモガイを素材とした腕輪が3世紀後半~6世紀後半まで、列島各地(種子島を含む)の人々に好まれて使用されていた。 ③古墳時代の後半(5世紀後半~6世紀後半)には朝鮮半島に貝が流通。新たな技術と融合後、日本に逆輸入された。→朝鮮半島での琉球列島産貝流通が、大きな画期となっている可能性。

〇交易ルートにみる鹿児島県の特徴・・鹿児島県の人々が果たした役割は、素材の供給地(琉球列島)と製品消費地(九州以東や朝鮮半島)とを繫ぐ重要なものだった。→南の文化と北の文化の結節点・・「南海産貝交易」の原動力となったのは、約1000年もの間、絶えることのなかった南の島への「憧憬」の想いだったかもしれない。

今回の講演の一部を紹介しましたが、詳しくは資料をスキャンして添付してありますので、参考にしてください。

15時30分・・閉会挨拶(姶良市歴史民俗資料館 館長)・・講師へのお礼の言葉の後に次回の講座の予告があり散会しました。

今回、受講してみて、「貝の交易について」理解を深めることができたので、参加して良かったと思っています。

会場の様子を写真で紹介し,資料をスキャンして添付します。

開会挨拶、講師紹介

講師の自己紹介

講演開始

 

講演の最後

※写真をクリックすると拡大し左上の←をクリックすると戻ります

        

    

 

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1 コメント

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Unknown (藤井)
2018-06-17 14:20:27
弥生時代や古墳時代に、腕輪等の装飾に使用する貝が遠方から、交易により調達されたという事実に驚きました。有難うございました。
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