goo blog サービス終了のお知らせ 

80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

自分の人生なんて、放っておけばいいんでないの。

2020年08月17日 19時25分30秒 | 考える
自分の人生なんて、放っておけばいいんでないの。
ちっほけな人間・・・つまり私だけのことだが、それが、今さら、どうのこうの言ったとて、結局、なるようにしかならない。
私の思い通りにはいきはしない。

酒とタバコに明け暮れる日々・・・。

転んだら、一度は、周囲をよく見回してから、起き上がる。

ひょっとして、そこから、いつもと違う光景が見えるかも知れない。
もちろん、かも知れない・・・と言うことでしかないのだけれど。

ふと思った。
どうして「生きる」という言葉にこだわるのか?
つまるところは、ただ、ともかく「生きていけばいい」のではないか?
多分、私は「生きていない」と感じているから、そう思うのかも知れない。

「必要なのは、行動と、そしてそれを実現する実力だ。」
「働くこと、それはやりがい、生きがいだ。」

これは、そう、意地の張り合いということだろうか。
金ばかりあっても、それをうまく使いこなしてくれるパートナーのいない人生ってどうなのだろうか?

まぁ、それもまた、一つの人生と言えないこともないのだが。

結局、その程度の人生なのだ。
あきらめた・・・と言うか、あきらめられた人生という事なのだろう。
意地を張って言うなら、まぁこれでスッキリしたと感じだ。

後は、この腰を何とかせねばならない。
一泊旅行が待っている。

それはともかく、近頃の暑さ、脳みそがとろけてしまいそうだ。
もっとも、半分はすでにとろけているのだが・・・。
やはり冷却が必要だろう。

この道を 行く他ないか 独り旅

「随分と辛い経験をなさってきたようですね。」
ある人からそんなことを言われた。

辛い経験・・・?
私はそんな事を言った覚えはない。
多分・・・。

むしろ、私は周囲の人々に助けられたという感じの方が、ずっと強い。
優しい人ばかりに囲まれて育った。
当たり前のように私は受け入れられ、育ってきた。


多分、今後(があればだが)も、のんびり、このままあたふたと、生き続けていくような気がしている。

この頃思うこと

2020年08月14日 05時21分42秒 | 考える
この頃思うこと。 (古い記録から・・・いつまでも同じ事の繰り返し)

2019年 (令和元年) 10月31日(木) 晴れ
腰痛治まらず。
明日から11月・・・。 

(あれから、間もなく、もうすぐ一年立つ)
相も変わらず、腰痛は治まらない。 

人の生き方、考え方は、それぞれ違っていて当然。
個人であってすら、さっきと、今とでは、すでに考えが違っている。

誰だって他人から、ああしろこうしろと、指図され、強要されるのは不快に違いない。
もっとも、人間社会にあっては、それはものぐさの言い訳でしかないのかも知れないが。

この頃思う事。  
今の私は、誰にも頼られていない。
つまるところ、自分から無理やり、どうこうする必要はないと考えている。

おそらくなるようにしかならない。
今のまま、気分次第に生きていくだけだ。
結局、嫌も応もなく、死ぬ時が来たら死ぬしかないのだろう。

他人の言葉にいちいち左右されることもない。
しかし、私は、いつまで経っても同じ事を繰り返している。

自分の未来に期待するな。 

私自身にとって、死後、最終的には何も残らない。
一言で言えば、現在の私には、総てが無駄なのだ。
そう、私自身にとっては・・・。
ただ一人飲むビールの味の冷ややかさ。

ただ一人 生きていく世の 空しさよ 

未練なのか?
この所、同じ事ばかり繰り返している。
もっと建設的に生きられないものだろうか?

ふと思い出す。
上野公園に「時忘れじの塔」というのがあるそうだ。
今度、機会を作って (本当は機会だらけなのだが) 見に行きたい。

時計の針は止まっても、時の流れは止まらない。

2020年08月11日 21時23分28秒 | 考える
弟君、出勤。

今日もまた、酒を飲んで、人生が始まる。 
何か、それが、癖になってしまった。

「人の言葉は一度言ったら、弾丸と同じで、戻すことは出来ない。
それだけ重みがある。」 (「交通指導員ヨレヨレ日記」柏耕一)」
 

また、独り、街をさまよう

何事も確かめてみるまでは、たった一つのことでも、はっきりするものではない。
さらに言えば、いくら確かめようとしても、分からないことも多い。

人の姿形、印象は、常に変化していく。 
実際、その通りなのだろう。

この所、私は金勘定ばかりしている。 
この年齢になると、先行きが、つまり自分の残り財産が気になってくる。
まぁ、それもこれも、「呆け防止の一環」として・・・と、言えなくもないだろう。
と、 そんな言い訳をしつつ・・・。

働くことは、人に生きがいを生む。
歳だから、金も充分貯まっているはずだと、それ(仕事)を取り上げてしまうのは、いかがなものか。
もっとも職場の数が、限定されているという以上、また、それもやむを得ないのかも知れないとは思うのだが。

所詮、私は独り者だ。
ただ一人生きている。
世代交代もまた、世の流れなのだろう。 

私の思惑を無視して、時は無情に過ぎていく。