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こんな田舎の部落に酒造会社有った、七福酒造、

2018-06-07 19:24:06 | 故郷

こんな辺鄙な関谷のに七福酒造が有った、江戸では無くて明治時代に横内丈衛門さんが始めた酒屋だったとか、酒屋の名前知ったのは山上の本家の家をつぶる時行ったら好きな物何でも持って行けと言われて杯に七福酒造と書かれた物一つと本家の娘が北九州市で明治に裁縫学校始めた時の生徒の名前が書かれている名簿を貰って来た、それが青葉学園と鳴り等さんの親が行って管理していた学校だから大切な名簿と思い何処かに仕舞って置いたら解らなくなった、七福酒造は戦争前には原料ないので止めて居て私は空家の酒造会社しか知らないが戦争中は幹候隊の将校が事務所を借りて寝泊まりしていたのを覚えて居るし、終戦になるとその将校豊浜の富士紡から食料品など持ち出して酒造会社の中に溜め込んで家に帰る時全部持ちだして何処かに売り払って帰ったが噂になったので隠匿物資を調べる人達が来て調べたが酒造会社には何も残って居なかった。関谷では土田と並ぶ江戸時代からの名家だったが今後横内家は続くかな。



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