昨日京子と話した。会社倒産しそうになり丸亀から今の住所に行った。今京子は足痛くて歩けないし。旦那も寐たきりだと言った。都夫が居なくなってから京子に電話したが出なかった。昨日電話すると電話に出たので長い事話シテいた。都の事知らないと言っていたが知らないで通した。
十時過ぎに母屋に弁当食べに行くと朝なかった弁当の空が一つ畳の上に置いて有った。朝はゴミ袋の中に有ったのが昨夜と朝母屋に行き飯食べたが袋の中に有ったと思う。それと十時過ぎに母屋に行った時には履物置いて有る所の履物がここに入ったよの印にしていたのが有った。炬燵の上も朝と違う置き方だった。
昨日夕方パソコンを開こうとしてここに入るとパソコンの回りの紙をいろいまくった奴が居た。弁当買いに行った後に入ったと思われるが慣れた手つきで入っている。主に見ているのは豊浜の長寿者関係の資料動かしていた.隣近所と言っても前に二軒である。である。都のまねをして裏口が入ってか。誰の事を考えてはいったのかな。
今年のハゼ架けは無いみたい、いつも刈り取った稲を干している田圃が稲を刈り取っていたしそのことを聞いていた人の携帯は通じなく成っているので聞く人居ない。その横に田圃が一つ残っているので二、三日のうちに稲刈りしてハゼかけ出来るかも知れない。関谷でも西原の人が稲刈りして四、五日置いていたこともあったが今は歩けなく成っているので解らない。
大東亜戦争の時関谷の部落は令状くると部落全体で箕浦駅まで見送りに行ったものだ。私も小学生ながら二回見送りに行って居る。二人とも戦死してしまったが大東亜戦争の思い出だ。このことは書いた事無いと思う。