この二ヶ月ばかり家の上でカラスが鳴き旋回している。子供の頃カラスが鳴くと人か亡くなると近所のお年寄りによく言われた。それを思い出し不吉な事ばかり考える。家の横に八十九歳の心臓が悪いお婆さん、其の横に脳梗塞で意識なく一年入院の八十五歳のお婆さん、斜め前の元気で毎日田圃の草引きに行っている八十八歳のお婆さん、私昨年右冠動脈が根元から詰っていた、三四年前からの詰りと言われ岡山でやっとステントを入れた。百メートル以内にはまだ九十歳前後の人が三人、神様のお使いで、勝利のカラスと言われる鳥が五、六羽かあかあと鳴き家の上を旋回していると姿が黒いだけによけい不吉感を感じる。今の親達は聞いた事ないから子供にも言わないから何ともないだろうが私の年代では不吉に思えてしょうがない。
スーパーなどて売っているキュウリ、形が揃い瑞々しくて綺麗です。水で洗いかじると何の味も無し、水が在るだけ。きれいですと書きましたが旨そうですとは書きませんでした。農家が作っているキュウリ、トマトなどハウスの中の作業をみると中々食べられません。農薬漬けです。よく農家の友人が呉れますがハウスの中の仕事を知っているから食べません。悪いが直ぐ人に上げます。虫が付かないように消毒の連続、これは都会の人達が悪い。キュウリの場合かたちが均一、まっすぐな物を撰びます。昔みたいに畑で葉は虫に食われ、しかし太陽一杯に浴びているキュウリはかじるとうまいです。形だけで求めるから農家も需要に合わせてつくります。消毒ばかりしているキュウリ、トマトなど怖くてたべられない。一度生産者の農家のハウスを覗いてください。都会の人たちの要求がどんな農業を生んだか解ります。
今年の年賀状にペンネームーーーとあったので検索、四五冊の歌集を出していた。
詠んでみたいと出版社、楽天などに当るが在庫なし。女流歌人が何十人か詠んでいる雑誌を買う。殆どの歌人が私より年上、内容もずーと年上の歌人の近況などが多くあった。
私は小さい時から古今、万葉集などをよく読んでいた。無意識に万葉、古今の女性像があったかも、そのつもりで雑誌を読んだわけではない。女流歌人が何十人か詠んでいますよと雑誌社に言われかったのであ。
普通女流歌人と聞けば華を感じるのではないかと思う。現代と明治、大正の歌とは大分変っているが女流歌人の名前に華を感じるし、若い歌人が出て感じさせてほしいと思う。
町の短歌教室などでも歳取った人達が多い。若者よ短歌をやれ。
詠んでみたいと出版社、楽天などに当るが在庫なし。女流歌人が何十人か詠んでいる雑誌を買う。殆どの歌人が私より年上、内容もずーと年上の歌人の近況などが多くあった。
私は小さい時から古今、万葉集などをよく読んでいた。無意識に万葉、古今の女性像があったかも、そのつもりで雑誌を読んだわけではない。女流歌人が何十人か詠んでいますよと雑誌社に言われかったのであ。
普通女流歌人と聞けば華を感じるのではないかと思う。現代と明治、大正の歌とは大分変っているが女流歌人の名前に華を感じるし、若い歌人が出て感じさせてほしいと思う。
町の短歌教室などでも歳取った人達が多い。若者よ短歌をやれ。
私の住む町では十年ほど前に港の一部を埋め立てて人工浜を造った。二年ほど経つと砂が流されまた砂を入れて人口浜にした。それから毎年稚貝を放流している。このニ三年陸地も整備されて綺麗な公園になっている。夏になると大勢の人たちがアサリを掘りに来ている。瀬戸内海だから砂浜は何処にでもある。何処かの海で掘って採ってきた砂浜に涌くアサリ、昔からある砂浜のアサリ、どちらが旨いのだろうか。アサリは蛤と違い砂を含んでいる。食べる時によく砂をかむ。昔からの砂浜には蛤やマテ貝が居る。特にマテ貝は最近の人は採り方を知らないのか、あまり取りに来ないので大発生していると評判である。昔は鍬の柄で砂浜を突きマテ貝、蛤、白貝などを多くの人達が取っていた。砂浜を鍬の柄で突くと砂が小さく持ち上がり、また小さな穴が貝によって色々な形で出きる。この技術はもう受け継がれていない。小さな田舎の漁法が一つ消えようとしている。七十歳以上の砂浜に来る人達は知っているかもしれないかこうした小さな事を市は残すべきである。文化財などと大きな口を叩いている人達は心すべきである。
大分前に瀬戸の夕焼けとかの歌詞がある歌がはやった事がありました。夕焼けとは太陽が海に沈む前のことを言っているのかなと何度思ったことか。西の空が明るくなるのは海に沈む少し前、空全体が紫色になり、太陽も大きく橙色に見えてくるのは海に沈む直前から大きくなり、紫か、茜か解らないが一番空全体が綺麗になるのはこの何分間である。私は昔からこの瞬間を夏何時も港の先に座り見ていた。太陽が沈むと辺りが薄暗くなり家に帰ったものである。家から海まで約三百メートル、今心臓悪くて引き篭もり。海まで行く気力ない。