gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

これは悪い事?

2010-09-30 14:27:24 | 日記
七月に心臓のカテーテル検査を受けた。
腎臓が悪いステント入れないと尿毒症になると何べんも言われて仕方なくカテーテルを三個入れる事に同意した。
八月にステント三個入れる。手術の翌朝先生、腎臓に三個入れたが一つは保険の対象にならないから保険屋が尋ねたら腎臓に二個心臓に一つ入れたと言っときなさいよ、と言われた。私はそれを信用して手術の十日後ゴルフ、又九月の初めに頭のMRIをした。九月の終りにゴルフに行き後の食事会で胃の辺り変になり初めてニトロ含む、まだむかむかするので病院に、この事をステントを入れた先生に告げると七月に取った写真を写してこの二箇所に十月にステント入れないと心不全になる。何日の日に入れると脅される。そして七月に腎臓と心臓にステント入れたことを記した用紙をくれた。ここでは腎臓に二本、心臓に一本ステント入れた事になっている。患者に黙って心臓の手術をしてもよいのかと思う。今まで患者に知らせずにいたとはどうゆう事だ。

元気ありません

2010-09-26 22:12:46 | 日記
二十一日ゴルフに行きました。引篭りの割には足軽く三十五度の気温にも負けずプレイできました。問題は夜の食事会、私はアルコール駄目、少し食べていると胸の辺りが痞えて食欲なくなり痛くなりだしたので始めてニトロを口に含みました。少したつと落ち着いたので皆に病院に行くから帰ると言って帰り病院に行きました。先生?がニトロ飲まずに来てくれる、原因解らなくなるからと言われた。点滴して大丈夫と思います。で家に帰ってきた。それを昨日土曜日、通院している病院の先生に話すと七月に取った心臓カテーテル検査の写真を見ながらここと此処細いでしょ。十月にステント入れないと何時心不全になるか解らない。と言われ昨日夕方から血圧は上がる、胸は苦しくなるの連続、今日も昼から胸は苦しくなる、頭ふらふらして締め付けられる感じ。今も血圧飛び上がっている。住んでいる家築九十年、同時に植えた松(我が家の守り松)が七月八月で枯れ茶色くなった。我が家も終りかと考えている最中の出来事。昨年から色々なものが壊れている。先ず私。

私がテレビを見ない訳

2010-09-12 15:32:46 | 日記
私はテレビを見ない。理由四五年前からドラマなどを見ると白々しく感じるようになりテレビは政治関係の番組しか見ませんでした。それはどのような視点から報道しても元は事実であるからです。ドラマは絵空言に見える。特にNHKのドラマはひどい。民放はコマーシャルが多すぎる。それで見ない。今日本家の婆さんが薬をくれとやってきた。同い年である。どうしてテレビを置かないの、と尋ねるのでこの三四年テレビは白々しく思えて面白くないので一月に除けた。と言ったら婆さん曰く私も四五年面白くないの、呆けて面白くないのかと思っていた。と答える。インターネットの方が世の中解って面白いよ、しかし医者にはあまりやると失明するぞと脅されているよ。と言って置いた。私の情報元は新聞、パソコンだけ。困る事にパソコン心臓やられて朝立ち上がるのに二十分以上かかる。新しいのを買おうと思い電気やに行きパソコンに入れている資料買ったパソコンに入れてくれる、と言ったらそれは出来ません。簡単ですから自分で出来ますよだ。それで動かないパソコン触っています。 

讃岐三白の大嘘

2010-09-05 20:02:32 | 日記
今日五日観音寺市合併五周年事業として大野原会館で讃岐三白のパネルディスカッションがあり聞きにいった。入口で資料貰う。この資料に大嘘が書いてあった。「よみがえったゾ綿くり機」とあり、観音寺市大野原町の三豊工業高校の生徒が、使用不能になっていた市所有の「綿自動種取機」を約半年かけて修理した。同機は豊浜町内で操業していた製綿業者が昭和三十年代まで使っていた年代物。とある。常識的に考えて大東亞戦争、終戦後の食料灘の時代綿を作る土地が有ったか。どこの製綿業者もこんな面倒な事していた会社はない。プログラムに新知事、ご来場、ご挨拶の予定とあるから新知事への祝福で大嘘を書いたのなら解る。戦前戦後綿はどこの農家でも栽培していないし、製綿業者もこんな事しているのを見たこと無い、聞いた事なし。讃岐三白協会の作文だろう。こんな機械は阿波の山奥の家で持っていた。自給自足の生活する為に、それを綿屋が綿を売りに行き貰って帰った品物。多分この記事は社団法人讃岐三白協会の会報に掲載された記事と思われる。何時でもウソだと証明してあげる。もっと正しい情報を発信すべきだ。私資料貰い何も聞く必要ないから帰った。

太鼓の音響く

2010-09-03 21:08:29 | 日記
最近夜九時過ぎまで秋祭りの太鼓の練習で三百メートル離れた家まで良く響く。秋祭りまで一ヶ月以上あるが夜太鼓の練習は近所の家はうるさいのでは、昔はこんな練習などしない。祭の前前日から太鼓を組み立てて祭に叩いていた。それだけ身をもって覚えている人が居なくかったか。昔と大きな違いは太鼓が通ると御花(金)を上げていた。御花を貰うと太鼓は其の家の前でかき棒を何回も上げ下ろしして其の家を祝福していた。この祝福が無くなり唯御花を貰いに各家を回って歩く。町内の各の人たちが御花だけ貰いに家家を回る。秋祭りとはの精神が忘れられて唯金さえ集めればよい、の考え方に成って行った。金は祭が終り慰労会(どびらき)の資金になる。御花を貰えば其の家を祝福していた事も知らない連中が太鼓を担いでいる。又総代もそんな行事が有ったと知らない者がなっている。金の世の中になるか。