パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

2018年事件簿4 森友事件(続編)

2018-03-21 10:34:09 | パロディ短歌(2018事件簿)
(画像は、ノー天気すぎる?昭恵夫人)

       震源地は籠池夫妻のはず
       何故か昭恵夫人がキーパーソンに


 「都市伝説が生まれるのは、それをいかにもと思わせる社会構造が存在しているときである。もっともらしさのほうが真実よりも流布するスピードは早い」
 
 鹿島茂氏が『乳房とサルトル』(光文社知恵の森文庫、2007年)の中のエッセイ「白木屋ズロース伝説について」で結論として書いている言葉である。事件そのものは、昭和7年(1932)12月16日に起きたデパート・白木屋の火災で、和服の女店員が命綱を頼りに脱出しようとしたにもかかわらず、ズロースをはいていなかったため、羞恥心から和服の裾を気にして命綱から手を離し、多数が転落死した…といわれるもの。これをきっかけに、和服でも下着をつける習慣が生まれた…という事後談までついている。

 鹿島氏は転落死した女性がいたことに間違いはないが、その理由がズロースにあるという事実はなく、一種の都市伝説に過ぎないと結論付けた。この類いの都市伝説はフランスにもあり、それが1915年にパリのボン・マルシェという百貨店での火事で、白木屋と同じ理由で、パンティをはいていない女店員や客が多数、焼死したという話になっているそうである。ちょうど日本では和装から洋装への過渡期、フランスではペチコートがすたれてクリノリンというスカートが流行する時期で、いずれも下着が普及しかけていた時期に似合った伝説が合成された、と見るのである。

 そこで大事なのは「もっともらしさのほうが真実よりも流布するスピードは早い」ということ。森友事件のもっともらしさと真実の関係にも、この格言は当てはまるのではないか、と私は思う。

 もっともらしさとは、①総理のような権限を持った者は、権力を振るうに違いない ②夫婦は一体であるから、夫人のしたことは夫の総理も関わっているに違いない ③権力を持っていれば、事実を隠すこともできるし、真実を知る者を葬り去ることもできる…などといった自動連想風の「常識」に支えられている。しかし、よく考えてみれば、これは権力者オールマイティ説で、少しでも己の頭で考えてみれば、あり得ない話であることが分かるだろう。ヒトラーやスターリン、毛沢東という20世紀の独裁者から、自動連想される究極の権力者の姿、あえて言えば(自由主義の世界では)憶測に過ぎない権力者像である。世界を支配しているのは一握りのユダヤ人だとする、ユダヤ人陰謀説に勝るとも劣らない阿呆ラシ陰謀説である。

 その阿呆ラシ陰謀説が、何故力を持つに至ったのか。③に当てはまる決済書類書き換え問題が噴出したからである。テレビのコメンテーターの中には、③がある以上、①も②もあるのではないか、とデマで火を大きくしようとする勢力もある。もっともらしさの強調による印象操作である。

 しかし、何らかの意味で、最高の地位に上った人なら分かるだろうが、権力を振るえるからといって、組織は自分の思い通りになるものではない。そこには権威の裏づけがなくてはならず、権威を保とうとすれば、自らは抑制的に振舞って、他の意見を最大限に配慮しなければならない。いくら自分の理想があり、それが組織の利益にかなうとしても…である。日本相撲協会での、貴乃花親方の振る舞いが非難されたのも、方法が強権的で、自らを抑制できなかったせいである。

 貴乃花親方とは何万倍も違う権力を持つ総理は、権力の罠を常々感じているに違いない。そうでなければ、政界で最高峰を歩き続けることなどできない相談である。①から③までの、もっともらしい「常識」とは、庶民の中に広まった「政界伝説」に過ぎないことを知っていないと、デマを職業とするコメンテーターの罠にはまってしまう。

 森友事件の核心はどこにあるのか、もう一度振り返ってみるのも悪くない。近畿財務局との交渉の音声データを聞いてみても、籠池夫妻が強要罪や脅迫罪にならないよう、細心の注意を払いながら、総理夫人の名前を出して、値引きへと誘導している様が手に取るように分かる。問題は、総理夫人が利用されたのか、それとも積極的に値引きの口添えをしたか…である。第三者として見ていて、夫人が利用されたということはほぼ確実であるように思われる。お嬢さん育ちの彼女が、海千山千の籠池夫婦に敵(かな)うはずはない。

 しかし、問題を複雑化させているのは、昭恵夫人が「籠池から利用された」と認めていないことである。彼女なりのプライドなのであろう。しかし、このプライドがある故に、証言台に立つことはできない。「利用された」と証言すれば、簡単に決着はつく。しかし、「利用されていない」ならば、事件の幇助をした疑いが出てくる。政府筋や自民党が、夫人の証人喚問を絶対に認めないのは、彼女自身に責任がある。問題を複雑化させている張本人は昭恵夫人である、という観測が成り立つ所以である。無理やり政局化しようとする野党や朝日新聞のせいもあるが、夫人にも猛反省してもらいたいね。プライドにこだわっているから、彼女にはいまだに事件の真相が見えていない。彼女が「利用された」といわない限り、結果的に籠池夫婦を助け、サヨクを助けていることになる。同時に、この際自民党には、籠池夫婦のような復古右翼とは手を切るという宣言をしてもらいたい。切なる願いである。

総理夫人の軽率な行動で
●森友へ昭恵のかけたるしがらみは流れもあへぬ国会なりけり
(本歌 山川へ風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり  春道列樹)
(蛇足)昭恵さんの軽率さは最初から批判の的になったが、とにかく相手が悪かった。気のついた人は、早々に籠池夫婦から足を遠ざけたが、お嬢様育ちの昭恵さんは逃げ遅れて火傷を負った。

復古右翼から左翼(共産党)との共闘へ
●あかあかと二本の道とほりたりたまげたる我が命なりけり
(本歌 あかあかと一本の道とほりたまきはる我が命なりけり  斎藤茂吉)
(蛇足)茂吉の歌は「たまきはる=魂極まる」で、一生かけて一つの道を歩む、という意味。替え歌は「たまげたる=魂消えたる」で、魂を忘れて裏切りの道を歩む、という意味になる。だから「二本の道」。そこには、人間として恥の観念も外聞もない。

財務局との音声データを籠池自身が出している
●あかねさす名誉校長の尊くて脅し上手は生れやまずけり
(本歌 あかねさす昼の光の尊くておたまじゃくしは生れやまずけり  斎藤茂吉)
(蛇足)音声データを出したのが籠池だとは不思議である。そこには、名誉校長の名を存分に利用して、無理にでも国有財産を値切ろうとする、あくどいやり口が録音されているから。威圧となれなれしさをミックスした独特の口調で、一口でいえばあくどい。法には触れていない…という自信があって録音を出すのか? 理解しがたい人柄である。正義感をはき違えたパラノイア(偏執狂)か。

籠池についている弁護士の言動もおかしい
●吹くからに財務の局のしをるればむべ校長を神風といふらむ
(本歌 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ  文屋康秀)
(蛇足)「吹く」から始まっているのは、「ホラを吹く」の連想から。最初の国会証人喚問で、籠池は大阪財務局の値引きに「神風が吹いた、と思った」と証言している。名誉校長に昭恵夫人を迎えたことで、無言の圧力をかけることができ、結果的に神風が吹いたような値引きを勝ち取った、と言いたいようである。あり得ることではある。弁護士への違和感は、法を逸脱するような値引きの方法まで暗示した点。弁護士会からの処分はないのか。
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