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パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

2019年エッセイ・雲8 日韓の深い淵

2019-02-23 12:14:45 | 雲エッセイ

(地図は、第1次世界大戦後の領土。日本と朝鮮、台湾は一体である=図解世界史・成美堂出版から)
(一部、書き加えました。前半と後半の藍色部分です)
                 朝鮮人になってみる

 前々回のブログで、韓国の文喜相・議長の暴言について論評した。彼はその後も、アメリカで「謝罪すべき相手が謝罪を求めるのは言語道断」という意味の発言をして、発言をエスカレートさせている。天皇に対する認識も間違っており、筆者は「侮辱罪で告発せよ」と説いた。
 ただ、このような経験は過去に何度も繰り返されている。いつまでたっても、日本に突っかかってくる韓国は一体何を考えているのか? 私は逆に興味を覚え、この際、朝鮮人になってみることにした。

 忘れてならないことは、朝鮮人が1910年から1945年まで「日本人」だった事実である。日露戦争に勝った5年後の、1910年は朝鮮併合の時期であり、1945年は言わずと知れた大日本帝国が負けた年である。彼らの言い分を1人称(つまり私)で語ると…。

 …私たちは日本人として戦争を戦った。昭和19年5月に京城(ソウル)で結成された大日本帝国陸軍「狼」師団は多数の朝鮮人で構成され、北ビルマでの戦いに奮戦し、「狼」兵団の威名を上げた。伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』にあきらかである。山本七平氏は、陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、最後は南方軍総軍兵站監として絞首された洪思翊中将の「一言も弁解しないが朝鮮人としてたどった」清冽な人生を1冊の長編に描いている。

 …そういえば、オリンピックマラソンで金メダルをとった選手もいた。1936年のベルリンオリンピックで、孫基禎選手が金メダル、南昇竜選手が銅メダルである。「日本人」のマラソン金メダル第1号は高橋尚子選手ではなく、我々の同胞、孫基禎選手なのである。

 …われわれ朝鮮民族は、当時「日本人」として共に戦った仲間である。私が言いたいのは、その事実である。慰安婦の問題も徴用工の問題も、ここにかかってくる。同じ日本人として戦ったのに、戦争には負けてしまった。その責任を日本政府はとっていない。ねぎらいの言葉を聞いていない。敗戦の責任を、実際にその地位にいた人から直接詫びてもらったことはない。われわれを「日本人」として動員したのなら、謝罪の責任を果たすべきではないのか? 賠償をした、慰安婦にもお詫びの声明をした、などと言っているが、それは枝葉末節だ。

と、こんなところであろうか。朝鮮人になってみると、恨みつらみが湧きだしてくるのが分かる。しかも、敗戦の本家本元の日本が、その後、惨めな境遇に落ちたならともかく、朝鮮戦争を利用した戦争景気で経済を浮揚させ、世界第2位、第3位の大国になったことも、朝鮮民族のプライドを逆なでする要因になっているだろう。

 ただ、「日本人」のところであげた孫基禎選手、南昇竜選手、洪思翊中将、陸軍「狼」師団の将兵たちは、今や親日朝鮮人として、完全に抹殺された存在である。この辺の狭量さは朝鮮人独特のもので、世界標準から見ても異例だ。なにしろ、オリンピックのマラソン金メダルと銅メダルだもの、普通「あれはわれわれ朝鮮人だったのだよ」と自慢するだろう。その英雄を抹殺してしまうのは、自己免疫機能が自らを攻撃する「自己免疫不全」にも似て、なにか病的なものを思わせる。それだけ「日本統治36年」は朝鮮を決定的に変え、近代国家に変貌させたのだが、それが気に入らないということだろう。冷静にプラスマイナスを計算すれば、分かるはずのものが、頭に血が上って見えなくなっている。

 朝鮮人になってみて、分かったことが二つある。

 一つは、彼らの言っている戦争責任が、たしかに明らかではないという事実。アメリカの起こした極東軍事裁判(東京裁判)が噴飯もののフィクションであることは、何度もこのブログで指摘してきた。A級戦犯はフィクションであり、彼らは無実である。しかし、それじゃ、代わりの責任を日本が追及したか…といえばNOである。終戦時「1億総懺悔」という言葉が流行したが、これは「1億無責任」を宣言したようなものでもある。昭和天皇の終戦の詔勅「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び…」で日本人は納得したが、これは日本人独特の感性である。異民族には通用しない。当り前のことである。

 サンフランシスコ平和条約を結ぶとき、当時の日本政府は、東京裁判を認めてしまったからだ。「あれはフィクションでした。われわれは当時、アメリカの圧力があって、それを言いだせなかった。あらためて東京裁判の無効を宣言します」。このような声明を出すのが、唯一正しい道である。そして、我々の手で「大東亜戦争」から「太平洋戦争」にいたる道筋の検証を行うべきである。あの戦争は避けられたのか、不可避だったのか? 終戦の判断は、遅くなかったか? アメリカと日本の交渉の中で、真意が通じず誤解をしてしまった部分はないのか?総体的に誰がどの程度の責任を負うべきか?
 
 責任という時、黒か白かという決め方をすべきではない。それではまとまるものも、まとまらなくなってしまう。アメリカ式の黒白思考(これは一神教独自の考え方である)ではなく、関与の割合は70%だったり、40%だったり、人によって、状況によって様々だということを受け入れながら、真実に近づかなければならない。真実は指し示せるものではなく、近づくことができる程度のものである…と、皆が了承していなければならない。その了承がなければ、誰もが主張し、誰もが納得しないだろう。

 「朝鮮人になって」みて、私が思ったことは、日本人の責任は相応にある、ということであった。ただ、東京裁判は無効、もう一度第2次世界大戦を検証する…と宣言すれば、連合軍の戦後秩序に真っ向から挑戦することになる。世界が日本を非難し、CHINAや朝鮮は日本に攻めてくるかもしれない。なにしろ、国連では、まだ「敵国条項」が生きていて、日本(やドイツ)には、宣戦布告なしで攻撃できるからである。日本の国力は、まだまだその圧力に耐えうるものではない。

それどころか、未だにアメリカの半植民地憲法すら改正できていない劣等民族である。国に戦争が起きれば、半数以上が逃げ出す…そうした国民を抱えている国である。道は遠い。あと100年近くは敗戦国として呻吟しなければなるまい。敗戦という事実が意味するところを、日本人は知らなさすぎる。ロシアの言うことが、世界基準である。

 「朝鮮人になって」みて、もう一つ分かったことがある。1万分の1より低い確率のイフであるが、大日本帝国が勝利していたら、朝鮮人は反日にはならない。それどころか、「日本人」として、世界に闊歩していた公算が強い。なにも朝鮮民族が特別にこすからいわけではない。世界の諸民族とは、そうしたものである。どこも五十歩百歩。日本だって、アメリカにおもねって慰安婦狩りの噓を連ねた吉田清治という人物がおり、朝日新聞社が(確信犯的に)広めた、という苦い経験をしてきたばかりではないか。

 更にいうなら、朝鮮はまだ儒教の国であること。年上の人物の前で、絶対に煙草を吸わない、膝を崩さない…とか、儒教はまだ生きているというのが定説。(儒教からすれば)弟分の日本が繫栄しているのであるから、朝鮮が苦境にあれば助けるべき…という反射的な感情もあるのだろう。

 文在寅大統領が、慰安婦へ異常な親愛感を見せるのは、朝鮮の風土に慰安婦をいやしむ風潮が底流にあるからだろう。日本は朝鮮の身分制度を壊したが、身分制度が悪いと教えられた者は、かえって過激な平等主義を唱える。真似する者は、より過激にしないと目立たないからである。

 日本人の慰安婦への受け取り方は違う。飢饉で娘を売る…という風潮に同情を禁じえなかったのが日本人で、慰安婦にはむしろ同情と共感を感じていたというのが実情である。伊藤桂一の著書(『兵隊たちの陸軍史』『若き世代に語る日中戦争』)にはそのことが繰り返し出てくる。

 今になって(というか敗戦直後から)、朝鮮人は日本にずっと抵抗していたかのような言辞を弄する。大国に挟まれ常に圧迫を受けていた国が、大日本帝国臣民となり、国際社会での地位が上昇したのを機会に、自らも新しい人生を切り開こうとした人々が大勢いた。身分制度を廃止し、産業のインフラを整え、教育にも力を注ぎ、近代国家としての基礎を固めるやり方に、一部の保守的な人は抗ったかもしれない。そもそも指導されるのが気に食わなかった人もいるかも知れない。

 しかし、朝鮮民族だけで近代への離陸を果たせたかといえば、清帝国の属邦として、中世の姿から一歩も抜け出せずにいた朝鮮半島にはむりである。王族・両班から奴隷まで固定していた身分制度、文盲率90%をこえる無知と不衛生、貨幣制度への不信…など近代国家への障害は多々あった。朝鮮も自らの歴史に向き合わなければならないし、日本も半植民地状態から脱するため、真実の歴史を明らかにしなければならないだろう。

 同じように日本に併合された台湾が親日的なことと、朝鮮の反日姿勢とは興味の湧く問題である。一つは国柄のこと。台湾の高砂族は「武」の種族であった。日本の「武」の文化を理解しえた。一方、朝鮮は身体を使うことを極端に卑しむ儒教の国である。日本の「武」は理解されるどころか、蛮族のような受け取り方をされた危険すらある。そこへ加えて、粘着的な気質があるかも知れない。「日本人」として戦ったのに、戦争に負けたら「元に戻ってよ」だけでは済まされてたまるものか、という感情がいつまでも消えない。

 日本人がまた、あっさりし過ぎた民族で、過去にこだわらず、さっさと切り替えてしまうので、かえって誤解を招きやすい。あいつらは時をみてカメレオンのように変わる…というわけだ。事実、CHINAや朝鮮で日本人のイメージを聞くと「ずるい」が一番。日本人にとっては、心外だろうが、彼らがそういうのだから仕方がない。


 台湾が日本を懐かしむのは、日本の次に占領した蔣介石軍の弾圧があまりにすさまじかったので、CHINAに対する反感が増し、日本が浮上したといういきさつもある。現地の軍政の差に理由を求める向きもあるが、日本は資金を持ちだしてまで、朝鮮でも民生の向上に努めている。文化の差からくる国民性の差の方が大きいだろう。
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2019年 岡目八目1 グローバルからインターナショナルへ

2019-02-19 09:16:40 | 対談

(写真は、いずれもAmazonから)
                  アメリカはどこと戦っているのか?

(八)お久しぶりです。
(冬)世の中が変わってきそうだね。何かが入れ替わりそうだ。何だと思います?
(八)国境でしょう。グローバリズムは反国境だった。EUがいい見本ですね。
(八)イギリスのEU離脱は「国境への復帰」です。
(冬)通貨統一、つまりユーロへの移行が早すぎた、とは多くの人が言っていますね。
(八)イギリスと対立しているEUは、実質的にドイツです。
(冬)何度も言ってきたことですが、グローバリズム1991年のソビエト連邦が崩壊したことが引き金です。
(八)要するに、ロシアと東ヨーロッパに大量の失業者が出た。安い賃金で雇えるわけで、それを狙ったアメリカなどが、経済のルールを世界で統一しようとしたのがグローバリズム(笑)。グローバルスタンダードとは、要するにアメリカンスタンダードですからね(笑)。グローバル企業は、GAFAなどすべてアメリカ発祥の企業です(笑)。
(冬)当時は共産主義陣営が消えてしまって、世界平和がやってくる…という早とちりをした人々も多かった。特に日本は多かったんじゃないですか?
(八)それがグローバリズムのイメージアップにつながった(笑)。経済が発展したら、CHINAも普通の資本主義国になる、という期待もありました。大違いだったけれど(笑)。
(冬)労働市場がグローバル化されると、賃金の安い方、安い方へと企業が流れるのは当然ですよね。それにつられて、先進国の賃金も安どまりしてしまった。不安定な中東から、更に避難する人々がやってくる。
(八)もう、持ちこたえられない、福祉制度だけ先食いされて、おまけに職場まで奪われるという事態が発生して、大きな反グローバリズムの波がやってきた。現状の分析は、こんなところでしょうか。
(冬)グローバリズムは「国境を越える」というが、実際には「国境を消す」方向に走っています。EUの単一通貨・ユーロの先を読むと、脱国境ではなかったか、と思えますね。
(八)したがって反グローバリズムとは「国境を回復する」運動です。ナショナリズムですね。
(冬)ナショナリズムといえば、日本のマスコミはすぐに「弱肉強食の戦争状態を招く」と短絡して伝えます。そうではない。国境を認めた上で、インターナショナルな関係を築けばいいだけです。
(八)グローバリズムからインターナショナリズムへ、ということですな。GAFAへの課税の問題も、この観点から見直すという動きですね。
(冬)話は変わりますが、ソ連崩壊やリーマンショック、アラブの春、そしてイギリスのEU離脱、トランプ政権誕生を論文の中で「予言」していたという学者がいましてね。
(八)エマニュエル・トッドでしょう? 本人は至極謙虚で、世界の家族類型を研究していたら、そうした事実と重なっただけ、といっていますが。
(冬)人類学者が世界の見方を変える-という意味では、構造論のレヴィー・ストロース以来ですね。
(八)L.ストロースは、当時、支配的だったヨーロッパ思想と(当時は未開とされていた)「野生の思考」は同等の価値がある…と主張し、学問的に実証して衝撃を与えました。
(冬)人類は必ずしも歴史を持たない、歴史は物語とどう違うか、という問いは鋭かったですね。「歴史の最終段階」と主張していた共産主義に反対し、結果的にソビエト連邦を崩壊に導いた。
(八)E.トッドは面白いのですよ。L.ストロ-スが退けた歴史的な考察を加えて、新しい人類学を築いたんです。
(冬)それが8つの家族形態。
(八)そうそう。この家族形態は、大変にゆるい統制しかしないにもかかわらず、「場所の記憶」として、何百年もの歴史を保ち、今なおわれわれの思考や行動、さらに社会のあり方まで規定している、というのです。
(冬)その考察の結果が、数々の予言的中(笑)というわけですな。
(八)彼はフランス人ですから、ヨーロッパの情勢に一番関心がある。グローバリズムをヨーロッパで具現したのがEUで、安い労働力に支えられて、最も得をしたのがドイツである、と言っています。
(冬)ドイツ帝国…とまでいっていますね(笑)。
(八)国の形態はそのままにして、ユーロという単一通貨を導入したことで、強いドイツはますます強くなる一方、収奪された国々には、通貨切り下げという政策がとれない。
(冬)フランスもドイツの鼻息をうかがっている。これが一番気に食わないようですね(笑)。
(八)彼の分析で「なるほど」と思うところは多々ありますね。アメリカの潜在的な敵はドイツだ…という指摘にはドキッとさせられる。
(冬)グローバリズムで圧倒的に得をした国がもう一つ。CHINAです。だから、反グローバリズムの標的はドイツとCHINAになる。二つの国は、今も強烈にグローバリズムを主張しています。
(八)トランプの対中圧迫政策がよく分かりますね。
(冬)トランプの心中を忖度すると(笑)、EUから離脱しようとしているイギリスとは、共闘しているような意識ではないのかな?
(八)E.トッドは、ロシアの安定性を評価していますね。プーチンの元で国がまとまっている。その証拠に出生率が上がった、女性の識字率が高いなどをあげている。
(冬)ウクライナを巡って、ロシアと欧米が対立していると言われるけれど、実はウクライナで対立しているのはロシアとドイツだ、と。
(八)隙あらば、ロシアとよりを戻したい…とトランプが考えているのはミエミエですね(笑)。ドイツに対抗するには、意外に正しい政策かもしれない。
(冬)中東から手を引きたいのもミエミエ(笑)。イスラム国を潰したんだから、役目は果たしたという感じでしょうか。
(八)もう石油は過去の問題になります。これからは情報!CHINAが競争相手だというが、もともとが、コピー商品つまりニセモノ天国のお国柄ですからね(笑)。頭脳に最先端情報をコピーしたアメリカからの帰国組(海亀というそうです)が300万人もいるそうです。
(冬)30万人じゃないんですか?(笑) 桁が違うな(笑)。数が脅威ですね。トランプも真剣になるわけだ。
(八)ただ、E.トッドはCHINAには厳しい見方です。ロシアとCHINAは同じ「外婚制共同体家族」に属するらしいのですが、この国々は独裁制が最も安定する、と言っています。ただ、CHINAの方は女性の地位が低いままで、出生率が低い。共産党独裁では支えきれない公算が高いらしいです。
(冬)日本については何か言っていますか? 気になる(笑)。
(八)日本の家族はドイツと同じ、権威主義的な「直系家族」に属するそうです。社会の秩序は保たれやすい特徴がありますが、ただし、女性の役割が強調されすぎて、なかなか地位が上がらない。
(冬)図星ですな(笑)。
(八)ただし、グローバリズムの中で、ドイツは攻勢に出ているのに、日本は躊躇している印象があるらしい。彼個人としても、日本の将来には興味があるらしいですよ(笑)。
(冬)私の考えでは、もうじき第二次大戦後の総決算がくるかもしれないのに、現状は心もとないですね。
(八)朝日新聞の記者との対談で、E.トッドは「日本の核武装」を提案したそうです。朝日新聞への、いたずら心もあったようですが(笑)。
(冬)いたずらのままでは勿体ない(笑)。いずれ、このブログでも検討しましょう(笑)。本当は、笑う問題ではないんだが…。憲法改正すらへっぴり腰の、今の日本の現状では、笑うほかはありませんな(笑)。

(八)最後にE.トッドの本をあげておきましょう。矢継ぎ早に出ています。解説書としては鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』(KKベストセラーズ、2017年)がいいでしょう。鹿島茂さんは19世紀フランス文学(特にバルザック)の泰斗。古今東西、社会現象にくわしく、そのエッセイは度々賞を受けている。名著『ナポレオン・フーシェ・タレーラン』(講談社学術文庫、2009年)の筆力・分析力をもってすれば、E.トッド解説でも、鹿島氏以外の人選は見当たらない。
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2019年 エッセイ・雲7 朝鮮半島の行方

2019-02-11 09:35:18 | 雲エッセイ
                   併合する相手ではなかった

 アメリカの通信社は、韓国の文喜相・国会議長が「(今上)天皇は戦争犯罪の主犯の息子」は「(慰安婦の)おばあさんの手をとって、本当に申し訳なかった、といえばすっきり解決する」と述べた、と報じた。2012年に李明博大統領が「天皇は謝罪せよ」と発言して以来の出来事である。なにしろ「日本国民統合の象徴」(日本国憲法)である天皇への侮辱である。政府は日本国民の名において、文議長を侮辱罪で告訴すべきである。彼が日本へ来ない限り、逮捕されることはないのであるから、今すぐには効果はないが、いずれ憲法改正で自衛隊が晴れて軍隊に衣替えをし、交戦権が回復した暁には、公的な人物のこうした挑発がいかに危険かを直接示して、効果的な抑止力となるだろう。

(写真は、日本を敵と定めた金正恩と文在寅)
 韓国の文政権はすでに「ルビコン川を渡った」。大統領の文在寅は、北朝鮮と示し合わせて日本を敵国として扱う決心をした。彼なりの勝負である。実際には、産業のない北朝鮮と一緒になることは、朝鮮半島全体が疲弊することになるのだが、文在寅には「核の潜在能力を持った朝鮮半島」こそ大国への道…という蜃気楼がちらついて、麻薬のようにその夢から抜け出せないでいる。核の潜在能力を持つ…とは、アメリカの目を盗んで核を隠し持つか、最低でも核の製造能力を保持するという、いかにもこすからい国ならではの戦略をさす。

 韓国をここまでのさばらせた責任は日本にある。といっても、慰安婦や徴用工といった、現在韓国がでっち上げている出来事に対してではなく、そもそも、明治期に朝鮮を併合したこと自体が誤りである。当時の朝鮮半島に関して、アメリカは冷静に判断した。資源に見るべきものはなく、貴族と両班(りゃんぱん)を支配階級とし、奴隷まで有していた強固な身分制度、医療も保健も概念すらなく、中世のままの不潔な環境、貨幣経済すら拒否する前近代性、文盲率の高さ…などから、この半島に関わる意味も利益もないと判断した。といって、ロシアに任せるのは不安なので、日本に勧めたのがアメリカである。

 皮肉なことに、暗殺された伊藤博文がアメリカの意図を正しく見抜き、朝鮮併合に反対していた。しかし、現実は伊藤の逆へ、逆へと流れてしまった。日本は朝鮮半島に日本国民の税金を注ぎ、4,000もの小学校を作り、道路を整備し、産業を興し、身分制度を止めさせ、漢字の代わりにハングルを使用させ、日本国内の大阪や名古屋を差し置いて、京城に帝国大学を開き…と、手っ取り早くいえば、近代国家としての基礎をつくったわけである。韓国が今日あるのは、この時の基礎があっての発展であった。

 伊藤博文が意図したように、朝鮮自身の能力に見合った形を保持しておけば問題はなかった、といえよう。近所づきあいでも、そうであるように、いくら親切からであっても、過度の干渉は拒否されるものである。今からでも遅くない。朝鮮半島とは挨拶だけ…という徳川幕府の知恵に学んではどうだろう? もっとも、恥知らずに嘘をつきまくる民族であるから、そのつど反論は丁寧にすべきである。国際世論ほどいい加減なものはないのだから。

 私の提案は朝鮮への反論のため、外務省に特別な係を設けることである。現在の広報はCHINAにも朝鮮にも遅れをとっている。「口舌の徒」というのは、日本では最大の侮辱である。そのせいか、正しく主張する人材が育っていない。維新の志士たちは、単に幕府の転覆運動をしただけではなかった。あるべき国家像を明確にし、世界を相手に取引をした。大所高所から日本の将来を考えることができた。今の日本とは大違いである。自らの手を縛っているアメリカ製憲法を後生大事に守り、そのせいで、国民の安全と名誉が守られていない。北朝鮮に拉致された国民、竹島や尖閣諸島付近の漁場から締め出されている漁民、ロシアに拿捕される北海道民を放っておく政府が地球上にあるものか。

 かつて笑い転げながら読んだ本がある。百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、2017年)である。日本が如何に朝鮮半島を重視した結果、韓国(および北朝鮮)をすっかり近代国家に変えてしまったか…を反省する本で、もちろん、皮肉と逆説をこめて書かれた本である…最近まで私はそう思っていました。しかし、これは日本人にも反省材料として提示されたものである、と思うようになりましたね。世の中には正しいことが通らないことがある。大人になれば、みなさん分かりますね。そうです。われわれはとんでもない間違いを仕出かしたのです。

 朝鮮人になったつもりで、考えてみよう。常に周りの大国を意識し、自国の卑小さを意識してきた民が、恥知らずになるのは当然。恩恵は受けて当たり前。相手の非を見つけ出し、ゆする、たかるは正義でなくてなんでしょうか? このような意識をよく分かってから、付き合いを始めるべきだと思います。ちょうど、その好機がやってきたのではないでしょうか?

 日本人は真面目すぎるあまり、小さなことを気にしすぎ。まだ、百年間は敗戦の後遺症に悩まされる、と見切りをつけるのが上策。周りのことは気にしなくていいのです。それよりも、われわれ自身の襟を正す方が先。いつまで、植民地のような憲法を持ち続けるのですか? 軍隊を持つ普通の国になったらいけないのでしょうか?

 「一寸の虫にも三分の魂」といいます。世界第3位の経済をもつ国が、いびつな隣人に、いつまで翻弄されるのか? そろそろ、はっきり自覚しましょう。われわれは(攻撃できる)軍隊を持っていないから、なめられているのです。苦い自覚をもって将来を考えるために、百田さんの本をお勧めします。データも正確だし、当時の朝鮮をよく分析しています。朝鮮の苛烈な身分制度を解体したことに関して、少しだけ引用すると…。
 「読者の中には『両班(支配層)の怒りはわかるが、両班は朝鮮人全体の一部に過ぎないだろう。大半の常民や白丁やは、むしろ喜んだのではないか』と言う人もいるかもしれません。ところが実に不思議なことに、現代のほぼすべての韓国人たちは、『自分のルーツは両班であった』と主張しています。なるほど、これではすべての韓国人に恨まれても仕方がありません」

 なんという苦さでしょう。この苦さをかみしめて、その後に外交を考えてもらいたいものです。日本人は外交が苦手です。議論で渡り合うことになれていません。けだし、国際社会では、自らの主張が第一だからです。それなら、別の外交を考えてもいい。
 イギリスは「紳士の国」という衣裳をまといながら、えげつない外交を進めてきました、二枚舌は当たり前、三枚舌だってあります。日本のお得意分野は産業の力。先端の産業部品で誰にも真似できない品質を実現し、日本の部品がなければ、どんな工業製品もできないといわれています。そう、日本の工業部品は引く手あまた。日本を侮辱する国には、輸出を自主規制する手もあります。嫌がらせには、嫌がらせで返す手もあるのです。
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2019年 エッセイ・雲6 核家族の本家

2019-02-08 11:57:14 | 雲エッセイ
                  幼児・児童への虐待を考える

 警察庁が2018年の犯罪情勢統計を発表した。刑法犯全体の件数は16年連続で減少し、「治安の良い国」は評判だけでないことが分かる。しかし、虐待の疑いで児童相談所に通告した件数は80,104人で、もちろん過去最高。昨年比で22.4%の増加であった。

 幼い女児が精一杯の反省文を書いたのちに虐待を受けて死んでしまう。担任の先生に助けを求めたのに、教育委員会がアンケート用紙のコピーを、虐待を疑われている当の父親に手渡した。小学校2年生の女児は裏切られ、結果的に虐待死の目にあった。何年か前には、食事も与えずに、2人の幼い兄弟をマンションの一室に閉じ込め、母親は1週間遊びまわって、放置死させてしまった例もあった。

 注意してほしいのは、これらがいずれも「核家族」で起きたことである。昭和40年代くらいまでは、まだ地方には「こども-両親-祖父母」といった3世代家族が残っていた。しかし、高度経済成長期以降は、都市部を中心に労働者や中小零細企業の雇員が増え、急激に「核家族」が増えたことは周知の通りである。

 経済の趨勢のせいもあるとはいえ、「核家族」化は日本人が望んでいた結果でもあった。「ムラ社会」の煩わしさから逃れたいと思う日本人は、敗戦後、急激に増えたのである。非合理と思えるムラのしきたり、相互監視の息苦しさ…などを「封建的」とみた日本人は多く、人々は都会ならそのような「しがらみ」から逃れられると考えた。東京など都会への人口流出は、こうした庶民の気持ちにも根っこを持っていたのである。日本の社会を「封建的」と断罪した東京裁判の影響も大きかった。

 皮肉なことに、日本人は「ムラ」から離れられなかった、と私は見ている。なるほど、都会に住むようにはなったが、人々は会社という新しい「ムラ社会」で忠誠を尽くしたのである。ただ、家族だけが「核家族」になってしまったのであった。

 「核家族」化を、さらに進めたのがグローバリズムである。グローバルスタンダードはソ連が崩壊した1989年ごろから声高に叫ばれた。今になって、人々は気づいているが、これはアメリカンスタンダードといった方が実態をよく掴んでいる。ソ連が崩壊して、対立していた一方がなくなったわけであるから、「これから世界は一つになるのだ」という意味に解釈したのは善人だけで、裏では行き場を失った、膨大な共産圏の労働力を利用しようとする動きであった。だからこそ、賃金は安止まりして、先進国でも賃金の低下が見られたのである。
 
 その重荷に堪えられなくなって、先進国の労働者が声を上げ始めたというのが、ここ数年の出来事である。これをポピュリズム(大衆迎合主義)などといって、NHKや新聞は批判するが、これは単にレッテルを貼ったに過ぎない。共産党をアカというようなものである。ポピュリズムという言葉には、大衆は感情に走る愚かな存在である、という前提が隠されていて、マイナスの意味しか持たない。

 批判をするマスコミは自分をどう見ているのか、といえば答えは一つ。大衆をリードするエリートを自任し、大衆蔑視が骨の髄まで沁み込んでいる存在である。彼らの方が大衆より賢明かどうかは疑わしい。グローバリズムを推進したのはエリートたち、つまり国の指導者であり、高級官僚であり、世論をミスリードしたマスコミである。スターリンや毛沢東なら、彼らを収容所に送り、自己改造を迫ったであろう。

 話が虐待から離れた。しかし、グローバルスタンダード推進で、日本の「核家族」化が拍車をかけたことは間違いない。わけても愚かな政策が、過剰なプライバシー保護であった。これで他人へ関心を持つことが悪となった。ベランダに布団が干してあって、急な雨に濡れているとき、そこの住民に「濡れていますよ」と知らせることも躊躇せざるを得ない状況は、どう考えてもおかしい。おかしいが、誰もが躊躇する時代になっている。他の家庭には干渉しない…そのような風潮が、幼児の虐待死につながっている。つまり、虐待の兆候があっても、人は児童相談所や警察へ通報することをためらうのである。

 大家族に比べると、核家族でこどもが虐待される率は高くなる。親が未成熟である場合は特にそうだ。大家族なら、祖父母のところなど、子供の逃げられる場所があるが、核家族にはない。だから核家族を選択するなら、一定の割合で、悲惨な虐待死は起きることを了解しておかなくてはならない。特に、母親がまだ幼い子を連れて再婚する場合、相手の男から0~2歳の連れ子を殺される割合は、実子の場合に比べると、60~70倍に上るという統計もある(橘玲『言ってはいけない』新潮新書、2016年)。父親による幼児殺人が、実の父親によるものか義理の父親によるものかを、マスコミは報道しない。これもプライバシー保護を隠れ蓑にしているなら、「真実の報道」を標榜することを放棄していることにならないか? 私の推定では、報道される幼児殺人の90%以上が再婚相手の、義理の父によるものであろう。

 「核家族」の本場はどこであろう? アメリカとイギリスが典型なのである。「核家族」ぶりも徹底していて、これらの国では、成人した子が親と住むことは100%ない。関係はかなり希薄で、子供は一刻も早く親から独立することを求められる。親の職業を継ぐということも稀。究極の「核家族」なのである。そこで、どのような対策がとられているか、は参考になるはず。

 まず、親から離れた状態でこどもを放っておくと逮捕される仕組み。日本人がアメリカへ行って、ついやってしまうのがこれ。店に品物を買いに入る。ほんの5分だからと考えて、赤ちゃんをベビーカーに置いていくと逮捕! また、虐待が疑わしい家庭を通報しないと、あとで共犯と看做される。つまり、児童虐待に関しては、かなりの監視社会である。世間のオキテがアメリカにはあるのだ。プライバシー保護をタテに、監視はいけないと教える日本とは真逆である。
   
 以上はエマニュエル・トッド、堀茂樹訳『問題は英国ではない。EUなのだ』(文春新書、2016年)と鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』(KKベストセラーズ、2017年)を読みながら、思いついたこと。E.トッドはフランスの「家族人類学者」。家族の形態から、世界を再解釈する作業をしていて、これまでに、ソ連崩壊、リーマンショック、アラブの春、イギリスのEU離脱、トランプの出現などの可能性を色濃く示していた…という。読めば視野が広がり、新しい解決法へのヒントが与えられる。混迷を極める現代に会って、思想上も実際的にも、最も重要な人物であることは間違いない。

 さて、核家族での虐待への対処法である。私は学校での「いじめ」解消の処方箋を説いたことがある(『イミテーション・エッセイ』-風塵社、2013年-中の世相潜望鏡①)。
 学校生活に「世間」を数多く作る。学校という「世間」の枠を大きくしてやる。これが処方箋だった。アメリカのように、法律で監視を義務づけるやり方は日本に合わない。核家族の問題も、「世間」の力を借りなければ解決できない。

 小学生の登下校の見守りを、高齢者がかってでた。それだけで登下校の際の誘拐事件は影をひそめた。日本に「世間」はまだ(気息奄々ながら)生きているのだ! 日本人の意識としては、「社会」はつかみどころがないが、「世間」ならまだ分かる…そう思っているはず。学者はもっと「世間」を分析して、処方箋を早く示せ!
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2019年エッセイ・雲5 世界史の中の大東亜戦争

2019-02-06 14:12:48 | 雲エッセイ
                    太平洋戦争の一揆性

 しばらく寄り道をしていた「大東亜戦争は一揆である」という命題に戻ろう。読者はタイトルが「太平洋戦争」になっていることに違和感をもたれたかもしれない。筆者はこれまで「太平洋戦争という呼び名は、連合軍(とりわけアメリカ)が緒戦の敗北を隠すために命名した」との理由で「大東亜戦争」の名称を復活させてきたからである。
 事実、緒戦で日本はアメリカをフィリピンから追い出し、イギリスをビルマ、シンガポールから一蹴し、オランダをインドネシアから一掃した。それが、戦後、アジア各国の独立に貢献したことは間違いない。ただ、開戦から半年後のミッドウエイ海戦から戦況は傾き始め、あとはアメリカ軍の物資作戦に押される一方になる。アメリカ軍との戦いが「太平洋戦争」である。
 我が軍の一揆性が如実に現れたのが、太平洋の島々での戦いであった。従って、この主題に限る限り「太平洋戦争」の名称の方がぴったりくるのである。(視点を第二次世界大戦におくと、ヨーロッパ戦線とアジア戦線にわかれる。その場合は、「アジア戦争」と名付ける方がいいだろう)

 本題のテーマを論じるにあたっては、世界史の中で「近代」がどのように規定されるかを見ておかなくてはならない。近代が始まるのは、18世紀後半から始まったイギリスの産業革命からである。その特徴は大量生産にある。産業資本が発達し、大量に生産するための原料、大量に売りさばくための市場が必要になる。手っ取り早くいえば、植民地が必要になった。欧米の先進国は軍備も一頭地を抜いていたから、砲艦外交で世界を分割して治めた。同時に、ヨーロッパの法体制がグローバルスタンダードになった。これが「近代」の概観である。

(写真は、江戸幕府に開港をせまったペリーの肖像)
 この植民地獲得競争に、日本は遅れて参加した…と教科書は教える。それも間違いとはいえないが、最初は「植民地として切り取られる」恐怖がわが国にはあった。明治維新の前には、アジアの国々が蚕食されている、との情報は正確に入っていて、徳川幕府の結んだ不平等条約は憤激の的となり、直接に攘夷(外国人を打ち払う)運動を引き起こしたのである。
 ただ、この攘夷運動が明治維新で、開国へと切り替わる。そして、積極的に西洋の文物をとりいれた。日本は西洋に対して「恐怖と憧れ」という相反する感情を持つようになった。大東亜戦争をはじめた陸軍参謀本部、海軍軍令部は「恐怖」の中で、乾坤一擲の勝負に出たと考えられる。「鬼畜米英」のスローガンは悲鳴に似ていないだろうか。

(写真は、戦陣訓の冊子)
 前にも述べたが「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」の条文は、一揆を指導するような、あるいは一揆性を高めるような文言で、現地の将兵はこれを督戦の命令だとは受け取らなかった。「われわれは屍を築きながら一生懸命に戦っている。馬鹿にするな!」というのが兵隊の受け取り方だった…と伊藤桂一氏は『若き世代に語る日中戦争』の中で書いている。
 つまり戦いに一揆の性格を与えたのは、軍の指導層なのだということだ。戦国時代の武将は、天下を取るために合従連衡という外交を駆使しながら、戦略を描いて戦いに臨んだ。ところが江戸時代に入ると、戦いはなくなり、一揆だけが戦いに似た手段となった。日清、日露戦争を戦った軍部は、昭和になって江戸時代への退行をみせた、といえないだろうか? もともと大東亜戦争に関しては、戦略のなさが指摘され、兵員の逐次投入(ガタルカナル島)、バンザイ突撃、少年特攻隊、度重なる輸送兵員の全滅(バシー海峡)、原爆投下にあっても徹底抗戦の主張など、当時の常識に照らしても、前近代性を疑われる指揮ぶりで、これが軍部戦略の一揆性を証明しているともいえる。
 軍部が人種を意識していた、という可能性はある。国際連盟に人種差別撤廃法案を提出しながら、アメリカのウィルソン大統領に体よく葬られ、白人国家に囲まれた孤独感はあったと思われる。それなら、戦争の目的として、「植民地経営にあえぐアジアの国々を解放」の一項を、最初に掲げる知恵はなかったのか? 惜しいだけでは済まない。ここでも、視野の狭さが一揆性につながっている。

 日本軍の一揆性には、アメリカも敏感に反応した。「文明(連合国)が野蛮(日本)を裁く」と検事が論告した極東軍事裁判(東京裁判)は、「平和に対する罪」を新設し、十数年前にさかのぼってA級戦犯を裁き、縛り首にした。開拓時代のアメリカ西部でもみられなかった蛮行である。彼らは今でも民間人への空襲や、広島・長崎への原爆投下を悪いとは思っていないであろう。なにしろ、南北戦争の際、南軍の士気を下げるため、南軍最大の都市アトランタを、無差別に砲撃して民間人を殺傷した実績がある。同じ民族に対しても、方法を選ばない、つまり無法な振舞いは彼らの身に備わった性(さが)でもある。

 まだ、小学生のころ、ということは昭和20年代のことであるが、アメリカからはアパッチ、コマンチ、スー族などを相手にした西部劇の映画が多数輸入され、日本で上映された。どの作品も観客が大勢押し寄せたという記憶がある。娯楽がなかったせいもあり、映画はいまのUSJかディズニーランドのような地位を占めていた。われわれ小学生は、もちろんインディアンをやっつける白人サイドに立って応援していた。
 しかし、今になって考えると、あのインディアンは日本軍の象徴ではなかったか、と思えるのである。鉄砲を持っている白人に弓矢で向かうインディアン(そして全滅させられるインディアン)は、そのまま太平洋戦争における米軍と日本軍の縮図である。当時の映画人が、どのようなつもりで、この西部劇を作ったのか、知りたいところである。

 WIKIPEDIAでも、西部劇の解説で、次のように言及している。もっとも、インディアンが日本軍の代替えになっているとは書いていない。私の意見はこじつけに見えるかも知れないが、悪意のあるアメリカは今も健在である。分からない人は、高山正之氏の「変見自在」シリーズを読んで下さい。新潮文庫で数冊出ている。
 「西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて『勧善懲悪』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった」
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