パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

2020年 エッセイ・雲7 大東亜~太平洋戦争の謎①

2020-09-30 16:02:51 | 雲エッセイ
               大東亜~太平洋戦争と呼ぶわけ

 『虎を描いて猫』を編集していて、特定のテーマを繰り返し語っていることに気がついた。それは79年前に始まった戦争である。まず、この戦争をどう呼ぶか、という問題に直面した。答えは以下の通りであるが、全体を6つにしぼって、自ら質疑応答した。その表題にしたがい、6回に分けて紹介しようと思う。問題がシリアスすぎるので、間に適時ほかのテーマをはさむことをご了承願えればありがたいと思っている。

 では、命名の理由から。

 77年前に日本が起こした戦争は「太平洋戦争」とされている。日本側は「大東亜戦争」と言っていた。命名として、どちらが正しいのか――という検証はまだ決着がついていない。というか、いい加減である。現状ではGHQ(占領軍)が指し示した「太平洋戦争」が圧倒的に多い。
 日本海軍がハワイの真珠湾を急襲したことで、アメリカとの戦争が始まり、そしてミッドウェイ海戦をはじめ、太平洋の島々で戦ったことは事実であるが、戦争の実態に即して考えれば、緒戦は日本が勝利につぐ勝利で、フィリピン(アメリカの植民地)、ビルマ・シンガポール(イギリスの植民地)、インドネシア(オランダの植民地)を次々に陥落させたのも事実である。
 占領軍が「太平洋戦争」を強要した裏には、緒戦の敗戦を隠したいという意図があったのも否めないだろう。なにしろ、インドネシアで日本軍の造営した立派な発電所を、わざわざ潰して跡地にアメリカ製の発電所をたてた…というくらい日本軍の痕跡を潰してまわったアメリカ軍である。大東亜の名前を消すくらいは朝飯前のことだろうね。従って、ここでは79年前の戦争を「大東亜~太平洋戦争」と呼ぶことにする。            (2020年4月30日)

                  ①何故、不利と分かっていて開戦したのか?
(2018年6月27日)


 「大東亜~太平洋戦争」について、戦後の良心…と言っても過言でない司馬遼太郎氏に、次のような激しい言葉がある。
 「(日本軍の)装備は満州の馬賊を追っかけているのが似合いで、よくいわれる「軍国主義国家」などといったような内容のものではなかった。(中略)その陸軍が強引に押しきって、ノモンハンからわずか二年後に米国と英国に宣戦布告をしているのである。こういう愚行ができるのは集団的政治発狂者以外にありうるだろうか。」(大正生まれの「故老」)


 司馬遼太郎氏が徴兵され、戦地で乗ることになった戦車は九七式中戦車、通称チハ車というものだった。丸谷才一氏は、この戦車を次のように描写し、この戦車に乗る羽目になった司馬氏に同情するのである。
 「見てくれだけはすばらしいが防禦力も攻撃力もない車だった。鋼板がひどく薄く、積んでいる砲は貫徹力が鈍かったのである。それは国際的な戦車の水準を下まはることを百も承知の上で作られた戦車で、足りないところは精神力で補ふことになってゐた。(中略)戦車は先鋒を引受けるのだから、当然、敵の火力が集中される。司馬は自分が挽肉(ひきにく)になるといふ不快な運命を覚悟した」(『みみづくの夢』から「司馬遼太郎論ノート」)

 司馬さんのいう「集団的政治発狂者」…これは神懸りになって現実を見失い、数々の作戦失敗を指導した陸軍の参謀たちを指している。現在の良識にてらしても、「軍部の独裁」で「無謀な戦争」に突入したという説は広く賛同を得ている。しかし、何故、国民が一部の狂信者に引きずられたかという謎は残る。今回はその謎を解いていこうというわけである。


 陸軍も海軍も戦時経済(すなわち戦争をしたときの経済力=生産力)の比較研究をしている。牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書、2018)によれば、昭和15年1月に陸軍省戦備課は「短期戦(2年以内)であって対ソ戦を回避し得れば、対南方武力行使は概ね可能である。但しその後の帝国国力は弾発力を欠き、対米英長期戦遂行に大なる危険を伴うに至るであろう」と報告していた。客観的で、実際の経過を見るようである。

 さらに近衛内閣直属の総力戦研究所は、昭和16年8月末に「対米英戦は敗北する可能性が高い」と結論を出し、近衛文麿首相や東条英機陸相など指導者は、この情報を知っていた。陸軍の調査を担った秋丸機関は、マルクス主義者も動員して各国の国力調査を行っており、文字通り国をあげて対策を練っていたわけである。雑誌「改造」などで、米国の国力やドイツの実力などは、国民にも座談会などの形式で伝えられており、「日本とアメリカでは相当な国力の差がある」ことは秘密でもなんでもなかった。

 陸軍が把握していた日米経済力の比較表を本書から引用してみよう。あきれるばかりの差である。


 経済総合力で十倍以上もの差をもつアメリカ。米英を相手とする戦争が困難であることは皆知っていた。専門的な分析が軍部によって無視されたとする見解があるが、そうではなく、正確な情報を皆が知っているのに、きわめてリスクの高い「開戦」という選択が行われたのは何故なのか?

 私も長い間、この疑問が解けなかった。悪者にされているのは常に軍部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)で、10対1とされた国力差も、日米の精神力の差で4対1となり、弾丸も1発必中ならば1対1になる…式のずさんな計画で破滅した、というのが巷で信じられている、これまた非常に雑な議論なのである。軍部の一部に発狂した参謀がいても、日本人全体がそれに引きずられるという事態はおかしいのではないか。

 一つはジャーナリズムの未成熟である(今でもそうだが)。センセーショナルな方が新聞は売れる。冷静に事実を追いかけるよりも、戦争を煽る方が新聞は売れるのである。販売部数の方に魂を売ってしまうと、今度は勇ましい新聞論調を受けた国民から逆に叱咤激励されるようになる。こうして新聞社が火をつけてしまった開戦熱は自爆するまで続く。そうした側面は確かにある。しかし、それでも問題に解決にはならない。悪者の列に新聞社を加えただけだから。

 本書における牧野氏の答えは、大変に興味深いものだった。
 逆説的ではあるが「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が逆に「だからこそ低い確率に賭けてリスクをとっても開戦しなければならない」という意思決定の材料となってしまったのだろう、というわけである。その説明として、行動経済学の理論をあげているのだが、要するに人間はせっぱ詰まって大損を被りそうなとき、損を小さくする地味な努力よりは、かなりのリスクがあっても、大きく挽回できる方法をとりがちである、ということだ。博打好きには分かるだろう。負けが込んでくると、倍々と賭けていくのは常道である。結果として、身ぐるみはがれる事だってある。それが「大東亜~太平洋戦争」の終幕であった。

 賭博常習者と同じような行動を軍人がとったという。にわかには信じられない話だが、大東亜戦争の開戦理由を分析した総力戦研究所などの見解では、
 A 昭和16年8月以降、アメリカの資金凍結や石油禁輸措置によって、日本の国力は二、三年後には確実に「ジリ貧」となり、戦わずして屈服する。
 B アメリカと戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし、非常に低い確率ではあるが、①ドイツがソ連を早期に破り、ソ連の資源と労働力を利用して国力を高め、英米の船舶輸送を寸断するかイギリスに上陸する ②日本が東南アジアを占領して資源を獲得し ③イギリスが屈服してアメリカに厭戦気分が高まって講和に応じる…などの条件が整えば、日本は開戦前の国力を維持でき将来は発展できる。

 こう並べられると、乾坤一擲(けんこんいってき)の開戦選択に人が引きずられやすいことが分かる。おそらく当時の国民も、行動経済学の理論に従って、非合理とは思いつつリスクの大きい選択をしたのかも知れない。底流には一九二九年の世界恐慌からブロック経済への流れがあり、日本はその渦に巻き込まれた、という見方もある。ABCD包囲網により、日本には石油が入ってこなくなったから戦争になった、などと教科書などで説明しているのも、上記の乾坤一擲戦略(?)を解説したものだろう。(ブロック経済が大戦の原因だとする見解には、はっきりとした異論があるが)

 事実経過としてはそうであっても、そういう状態へ追い込まれたのは何故か?…という問いも残る。アメリカとイギリスが巧妙に日本を孤立させたのだ…という説もまことしやかに流れている。いわば英米陰謀説だ。特にアメリカのルーズベルト大統領は筋金入りの反日で、真珠湾攻撃は察知しながら放置して、厭戦気分の国民を憤激させ、熱狂の内に戦争参加を決めさせた…という伝説もある。

 英米陰謀説を裏返し、英米から見ると、ドイツと日本が組んで世界支配を狙っていた…という日独陰謀説になるわけで、ドイツが負けた後のニュルンベルク裁判でも、日本が負けた後の極東軍事裁判でも「日独の世界制覇に向けた陰謀」を裁くという形で陰謀説を認めていることに気づくだろう。日本が世界制覇をもくろんでいた? これほど荒唐無稽な説はないであろう。洞察力も想像力も欠けていた、当時の日本の指導者に、そんな真似は死んでも出来ない。対米英開戦の詔勅は「自存自衛」だったのである。なんというスケールの小ささか。

 ルーズベルトに戻ると、確かに彼は日本からの一撃を望んでいた。しかし、もし彼が真珠湾攻撃を知っていたとしても、あんなに多くの犠牲を払う必要はない。しかも、日本の艦隊をみすみす逃がすような失態まで演出する必要があろうか。…私はいかなる陰謀論にも組みしない。そもそも、陰謀論はいつの時代にも手を変え品を変えて出てくるもので、その実態は精神の衰弱に過ぎないのである。

 では、乾坤一擲論の陥っていたエアポケットはなんだったのか? 昭和16年7月に、陸軍が南部仏印(サイゴン)に進駐したとき、アメリカが日本の資産を凍結し、石油の輸出規制を決めたのは、日本の指導者たちは全く予期していなかった。ここにも希望的観測で行動する弊害が出ている。その反動から、危機感いっぱいの「ABCD包囲網」を叫んで自縄自縛状態に。石油の備蓄は一年半しかない、さあ、どうする? 新聞を初めとするジャーナリズムは主戦論一本やり。「アメリカが不当な圧力をかけている」と報道しまた論評し、国民を強硬論にいざなっていった。こう考えてみると、司馬遼太郎が「政治的発狂者」と罵った相手は、一部の軍人と国民をあおった新聞社になる。

 あれほど自衛隊が災害派遣で活躍しているにもかかわらず、軍人に対するアレルギーが未だに強いのは、79年前、国を乗っ取った上で指導した戦争が余りにも無残な負け方をしたからであろう。停戦を口にした者には、「それで英霊への言い訳が立つのか!」と言いがかりをつけられた。負け戦で犠牲を大きくしておいて、「(停戦は)死んだ将兵に申し訳ない」というのである。これでは停戦できない。言い換えれば、オカルト軍隊である。その記憶がまだ覚めやらないから、自衛隊とか日米同盟とか憲法改正には、国民の半分が耳をふさぐのであろう。

 しかし今では、戦争ときちんと向き合わない勢力が国を危うくしている。自分に都合のいい希望的観測で世界の情勢を解釈しているのは、昔の狂信的参謀となんら変わらない。自衛隊を認めない、集団的自衛権を認めない、憲法改正を認めない…で、どうやって日本を運営していくのか? チャイナもロシアも北朝鮮も核兵器を持っていて、親日的とは言い難い。

 新聞社の罪はもっともっと叫ばれていい。発行部数を稼ぐため(つまり金儲けのため)、軍部のお先棒を担いで、国民を誤った熱狂に追い込み、敗戦でマッカーサーから大目玉を食らうと、今度はマッカーサーへの忠誠を誓った。そこには、日本人の美意識である「恥じる」感覚がない。一種のエイリアンである、と私は思っている。低俗なテレビも、もちろん新聞の片割れである。戦前と同じ轍をふんでいるのでなければいいが…。民主党政権が続いていたら、間違いなく日本はジリ貧状態を続け、失業者があふれて、今頃はアジアの中の目立たない国になっていただろう。国民が目覚めなければ、日本は救われない。

 そのためには、極東軍事裁判(東京裁判)とは別に、われわれの手で「大東亜~太平洋戦争裁判」を開く必要がある。日本の主導で裁判を開き判決を出す。一流の政治家として私が評価する昭和天皇は日米開戦の原因について「日米双方の行き違い」をあげたが、間違っていないと思う。開戦の責任を一方的に押し付けた東京裁判とは違う結論が出るだろう。

 戦前の日本をGHQ(占領軍)に裁かせ、それを承認して、戦後日本は発足した。総決算を他国任せにして承認したのである。これほど独立心に欠けた国民はないのではないか? しかも、75年間うやむやにして過ごしてきた。自らの手で罪と罰を下せない民族は生き延びることはできるのか? 罪と罰…この言葉は日本だけではない。アメリカにもチャイナにも適用することができる。複眼でインターナショナルに考えるべき問題である。
      
(蛇足)大東亜~太平洋戦争を、私は幼時のときに体験している。敗戦のとき5歳である。青少年時代をふりかえると、この戦争は「愚劣」の一言で片付けられていたように思う。共産党の強い京都という土地柄のせいもあったかもしれない。しかし、本文中にある司馬遼太郎のほか、山本七平、会田雄次などの証言から「愚劣」は間違いがないように思われる。私の関心は何故日本国中が「愚劣」に引きずられたか、に移った。その考察が、このブログである。マッカーサーが余計な裁判を開いて、見当違いの判決を出したから、話はややこしい。日本人としては、極東軍事裁判を一回否定しないと話は始まらない、という気はしている。  (2020年4月12日)

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2020年 エッセイ・雲6 虎を描いて猫① 

2020-09-23 13:10:36 | パロディ短歌(2011年事件簿)
                  虎を描いて猫

 過去5年間に発表したブログ『石泥集』170編のうち、26篇を選び『虎を描いて猫』という本にしました。タイトル名のココロは―。以下、まえがきから。


 「虎を描いて猫」というのは、絵の下手な者をからかった言葉である。
 しかし私のように、とりわけ絵の下手な者にとっては「虎が猫ていどに描けたら上出来ではないか」という受け取り方もある。言ってみれば「当たらずといえども遠からず」くらい。したがって、題名の「虎を描いて猫」は猫ていどにしか描けなくてすみません、という謙遜の意味は少なくて、猫ていどに描けたのだから読んでねという、厚かましいお願いのつもりである。(中略)
 書いてあるのは「分からなかった事」を一夜漬けでまとめたものばかり。どうオチをつけたかという報告書のつもりです。タイトルに疑問形が多いのはそのせいです。
 読み進めるうちに、自分なら結論は違うな…とお感じになる方々も多いでしょう。そんな時は「虎のつもりらしいが、まあ、猫だなあ」と、つぶやきながら読んで下されば本望であります。(後略)

 今回は大した部数を刷っていないので、10月5日の刊行日前ではあるが、Web上でも公開することといたします。「前に一度読んだことがあるな」と感じる方が居られるかもしれない。論旨は全く変わっていないのですが、原本から本筋に関係のないところを削ったり、レトリックに難がある場合は差し替えたりしています。

 本にしてよかったと思うことは、似たようなテーマで書いてきた記事をまとめられたこと。具体的には、大東亜~太平洋戦争の評価の問題(目次の7)、戦後75年たって「保守と革新の混乱」が目に余るようになったこと(目次の12)、この二つについて特集を組みました。目次から公開した方が良さそう、ですね。

1.自分はどこまで信用できるか?
2.日本における恋愛と不倫の系譜
3.希望をもたないとは?―樹木希林さんを悼む―
4.国の会計と家計簿はどう違うか?
5.美空ひばりとカラヤン―カラオケ余話―
6.「空気」の正体
7.大東亜~太平洋戦争の謎
 ① 何故、不利と分かっていて開戦したのか?
 ②東條英機のメンタリティは一揆だ
 ③経済に翻弄される
 ④幻の文書にみる開戦と敗戦の実相
 ⑤過去への対処―ドイツと日本
 ⑥まとめ―戦争は避けられたか、否か?
8.地球は丸いか?
9.大相撲は生きた博物館だ―貴乃花を扇動したマスコミの鶏アタマ―
10.「論語」の罠
11.フェミニズム・違和感の正体
12.保守と革新の混乱
 ①保守と復古右翼は違う
 ②左翼とサヨクはどう違うか?
 ③戦後の既得権益者は誰だ?
 ④右翼と左翼の共依存について
13.リベラルとコンサバ
14.「表現の不自由展・その後」のインチキ
15.日本語の3人称はまぼろし?
16.火中の・天皇制
17.火中の・靖国不参拝
18.E・トッドを理解すると、世界はどう見えるか?

では、「1.自分はどこまで信用できるか?」から。

               自分はどこまで信用できるか?
                                        (初出2017年12月20日) 

 四年前に発売されて、ベストセラーになった池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(講談社)の中に、気になる挿絵を見つけた。

(「脳で脳を見る」リカージョンの図.。「入れ子構造」を絵にしたもの。少年の像が奥に向かって、無限に伸びている)

 この絵には「リカージョン」というタイトルがついている。日本語で言うと「入れ子構造」のこと。説明に、「脳で脳を考える。自分で自分を見る。この繰り返しによって、人間は『心』の不思議さを知る」とある。私が気になったのも当然である。
 絵の手前に合わせ鏡があって、互いに少年の像を映し合って奥の方に伸びている。理論上、少年の像は無限に続いていく。

 この絵を見て、私が二十三、四歳の頃を思い出し、人間について語ろうとするのは、池谷先生の説いていた内容とは全く無関係の類推である。

 日本人は「建前」「本音」を使い分けるといわれる。「建前」はいわば他人に合わせた仮の意見で「本音」が自分の本来の姿である…みたいに思っている人も多いだろう。
 しかし、その「本音」を支えているのは何かと省みると、意外にも「利益」が優先したりしている。それじゃあ、何故「利益」なのかと問えば、近所や親戚への「虚栄」が動機だったりする。
 「虚栄」は「競争心」の賜物であったり、その「競争心」は「嫉妬」の産物だったり、「嫉妬」は「自尊心」が異様に高いせいだったり、更にその「自尊心」は「自己正当化」の欲求にまみれていたりする。
 いったい何が本当なのだ? 「これこそ本心」と思われる「心」には次から次へと「裏」があらわれる。若かった私は「心」が一筋縄ではいかないことに混乱していた。行きつく先は得体の知れない、不気味なもので、もう「心」とは呼べないものかもしれない。
 そのとき、私が思い浮かべたのが、前の像に似ていたわけである。一番手前の少年が「建前」をあらわしているとすると、二番目の後ろを向いている少年は、「本音」をかたる。その奥の少年は「利益」を象徴し、更に奥へ向かうと「虚栄」「競争心」「嫉妬」「自尊心」「自己正当化」と、予期せざる面が次々にあらわれる。

 これは喩え話である。人によって心を支える順番はいろいろだろうが、幾重にも重なった心がどこに行きつくのか、はっきりと分からないところが怖い。洞穴がどこまでも続いているみたいで不気味でもある。 

(私が若いころに想像した心の構造。底は無意識になっている。もっとも、今では上に伸びる元の図を加えて一対にした方がいい、と感じる)

 しかも、当時の私が想像した無限の像は、井戸のように下に向かっていた。少年の像はずっと下へ降りたあげく暗闇に消えていて、絵を倒してみると、少しはその感じが出てくる。心は何層にもなっていて、底は無意識につながっている。本心が何であるか、など簡単に言えるものではない。

 そして私は直感した。自分を100%信じるということは間違いだ、と。
 もう今から60年も前の話になるが、大学生の私はフロイトの本を読んでいて「人間の意識は氷山の一角で、大部分は無意識の領域」だと理解していたから、これは当然の結論のように思えた。
 ヒトの脳には、古い発生のものもあって、ワニの脳と同じ部分もある。無意識には何があっても不思議ではないからである。その証拠に、世の中には、不自由と不平等が遍在し、価値は常に混沌としていて、信じられない犯罪が生まれる。

 表題の答えは、こうである。私はいつでも、どこでも間違いを起こしうる存在だ。無条件に、信用するわけには行かない。ここからある種の人間観が生まれてくる。
 無条件に自己主張する人間は偽者であるという感覚で、私が貴乃花親方を評価しないのも、彼が一〇〇%の確信をもって、自己正当化を図っているように見えるからである。サヨク嫌いも復古右翼を許したくないのも、動機は同じ。要するに、ノー天気に自分自身を主張するから信用できないのである。

 なお、挿図を拝借した池谷氏の本は発見と驚きに満ちた、知的冒険の本である。著者が母校の藤枝東高校で講義をしたあと、更に九名の高校生と交わした問答が基礎になっている。高卒の思考力があれば、知的好奇心の赴くままに、「脳」を通じて人間の不思議が展開するという仕組み。ベストセラーになるのも当然である。タイトルの小見出しを見るだけで、ヨダレが出る(?)人もいるかもしれない。いわく
 ・吊り橋上の告白は成功率が高い?
 ・「勘」をサイエンスが扱うと
 ・ひらめきは寝て待て
 ・なぜか答えだけわかる
 ・昨日の自分と今日の自分は同じ?
 ・「正しい」は「好き」の言い換えにすぎない
 ・記憶そのものがすり替わる
 ・身体は真実を知っている
 ・お金をたくさんもらうと仕事は楽しくなくなる?
 ・幽体離脱を生じさせる脳部位がある
 ・実際に「動く」よりも前に「動いた」と感じる 
 ・ひとつの脳に複数の人格が存在する驚き

 どうでしょう? 読みたくなりませんか?
 池谷氏の本から挿図だけ拝借するのは気が引ける、それもあるが、中味が掛け値なしに凄いので推薦いたします。もう一冊の姉妹本とともに是非。
池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』(講談社、2013年)
池谷裕二『進化しすぎた脳』(講談社、2007年)

蛇足これを書いたとき、はっきりと意識はしていなかったが、自分自身を懐疑的にみる、この人間観は保守的なんだそうである。我田引水を承知でいえば、懐疑的人間観は他人に優しい。犯罪者であろうが、破廉恥漢であろうが、自分が無条件で裁く権利をもっているとは考えない。不倫をバッシングする仲間に無条件で入ることはしない。なにしろ、自分だって、ワニと共通の脳をもっているかもしれないのだ。
 保守とはどういう態度か? 「13 リベラルとコンサバ」の項でくわしく解説しよう。文中で貴乃花親方を引き合いに出しているのは、モンゴル力士の暴力で、横綱・日馬富士が引退に追い込まれた事件での態度を指している。これも「9 大相撲は生きた博物館だ」で。
 これは2年4ヶ月前のブログであるが、今では(無意識につながる)下向きの心だけでなく、(より良く自分を変えようとする)上向きの心も認めたいと思っている。バランスが大事だと思うから。池谷先生の示した元の図も生きてくるわけだ。
(2020年5月1日)

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2020年 エッセイ・雲5 デジタル化の基礎

2020-09-20 11:38:22 | 雲エッセイ
                個人情報偏重をやめよ

 この度のコロナ禍にあって、官民とも日本のデジタル化が遅れていたことは衆目の一致するところとなった。コロナウィルスの感染者情報を、病院と保健所、保健所と厚生労働省の間でやり取りしていた手段がFAXであった、という話は世界中に広く知れ渡るところとなり、外国の新聞は「別世界の出来事」として大々的に報じた。

 給付金を受け取るのに、マイナンバーで申し込んだところ、個人と世帯との関連付けがなされていなかったため、申し込みを受けた自治体では、マイナンバーの申し込み事項をプリントし、あらためて住居基本情報とつきあわせるという二重手間におちいり、かえって時間がかかった、という笑えない話も出ている。

 日本の組織では、老害が進んでいるという話は以前からあったが、そのあらわれの一つがデジタル化の遅れであろう。一般社員はデジタル化が便利だと分かっていても、部長が「よく分からん」といえば、誰も積極的に導入しようとはしない。それが「優しさ」だと日本人は錯覚している。

 老人だって本当はITを使いこなしたいのだ。近くに子供がいるとか、孫がいるという好条件に恵まれた人なら、失敗を恐れずデジタル機器に取り組むことだってできるが、近くに相談できる人がいない高齢者は、失敗した場合の収拾方法が分からなくて、つい敬遠してしまう。市役所などで大学生のアルバイトを雇えば、利用する老人は多くなるだろう。そうした機転がきかないのが日本の病気である。

 同時にデジタル化に抵抗する組織の高齢者は、引退してもらうという手段も必要になる。名づけてシルバーパージと呼ぼうか。戦後まもなく、朝鮮戦争が始まって、共産党など革命勢力を追放したレッドパージにちなむものである。なにも自分が万能に使いこなせなくてもいいのだ。少なくとも、デジタル化に抵抗しなければパージには遭わない。

 安倍内閣はデジタル化を軽視していた。そのあらわれが、IT担当大臣のお粗末さである。パソコンを持っていない大臣がいた。ITに関連するカタカナ用語で、舌がもつれた大臣もいた。現在の菅内閣は政策の柱に「デジタル化」をあげ、専任の大臣もおいた。マイナンバーの加入者を増やすとも言っている。結構なことである。

 ただ、ハードやソフトを充実させても、まだ、抵抗勢力は残っている。個人情報擁護を盾に、マイナンバーなどの導入に反対してきた野党の連中である。連中は「国民総背番号制」などといって、政府が管理する(まるでチャイナのような)イメージをばらまいた。また、こうしたデマに簡単にのる怠け者が多くいる。怠け者というのは、自分で考えようとしない、単純な条件反射のみで生きているゆえの命名で、金切り声をあげる野党の専売特許である。立憲民主党の枝野党首はよく通るいい声をしていると思ったが、最近演説を聞いていると、金切り声に聞こえるのが不思議である。(金切り声の発祥は、戦争指導者とは思えない、上ずった声を出した東條英機で、声も人格もヒステリックであった)

 そもそも、なぜ個人情報保護法案が出たかといえば、昭和63年に当時の厚生省事務次官が自宅で暴漢に襲われて亡くなった事件があったからである。官僚の自宅開示を防ぐという端緒から、「国民すべての個人情報」を保護するまでに暴走した。確かに犯罪組織から個人を守ることは大事だが、たとえば、被災者の情報までシャットアウトするのはいかがなものか?

 今回のコロナ禍で台湾や(初動の)韓国が称賛されているが、日本とはまるで違う条件があったことを無視してはいけない。いずれの国でも、コロナの感染者は行政当局や警察からの指示を受け入れていたのである。個人情報だから、といって感染者が登録を拒否しなかった、というより拒否できない体制をしいていたのである。つまり、公共の福祉の範囲内で個人情報は開示される、ということだ。
(写真は、コロナ禍の中で見事な手腕を発揮した、台湾のIT大臣、オードリー・タン氏)

 開示といっても、一般の国民にまで知られるわけではない。しかも、コロナの感染者である間だけの、時限的な開示である。この辺を「なんでも反対」の野党は、「全国民に知れ渡る」といったデマで応酬するに違いないからご注意のほどを。私に限って言えば、私の個人情報なんていくら開示されても痛くもかゆくもない。国民の大半はそうであろう。個人情報が大事…と言っている輩は、相当悪いことしているに違いない。脱税とか、不倫とか。どっちにせよ、大した個人情報ではない。誰も野党の諸君の個人生活なんぞに興味はない。
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