パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

230719 非常時の手法

2023-07-19 16:13:46 | パロディ短歌(2011年事件簿)
   最低賃金の引き上げ(D・アトキンソン氏の提言)

  

 前回、戦後の体制を一新しなければならないだろう―と書いた。実は話が大きすぎて、どこから手をつけていいのか分からないまま記した文言である。ただし、日本の国が急速に実力を下げているのは間違いのない事実である。実質賃金の推移を見ても、日本は独り負けだし、世界の競争力ランキング凋落ぶりは目を覆うばかり。このまま推移すれば、日本人はアジアへ出稼ぎにいくのが常態となり、チャイナには好きなように蹂躙され、立派な(?)後進国になり下がるだろう。



 思えば1868年に明治維新があって、世界の五大国になり上がって間もなく1945年の第二次大戦敗北まで77年間。1945年の再出発から、奇跡の経済復興を遂げながら2022年の諸統計では独り負けの経済状況まで77年。別に数字の語呂合わせにこだわるわけではないが、そろそろ、戦後体制にもガタがきて、大掃除の時期に来ているのではないか、という思いが消えない。

 霞が関に代表される中央集権制は国民の生活にとって有効なのか、それとも邪魔をしている面が多いのか? たとえば、税の取りはぐれをなくす唯一の策として、税や年金、健康保険税などを一体として徴収する「歳入庁設置」のアイデアが披露されてから久しい。税務署をかかえもつ財務省が反対しているというが、国益よりも省益を重んずる態度は、実はすべての日本人が隠れもっている性癖で、組織が惰性に流れると露わになる。したがって、財務省を解体したところで、また同じような組織が芽吹いてくるだけになりやすい。根本から考え直さなければ、改革を志すといっても、一筋縄ではいかないのである。

 日本経済の低迷―それはもう30年も続いているといわれるが、根本の原因は何か、についてのコンセンサスはない。この30年間続いている現象はデフレである、デフレを対峙すれば日本経済は元の軌道に乗るのではないか―識者の認識はこのあたりで一致して、たとえば小渕内閣では財政出動を極限までひろげ、安倍内閣ではアベノミクスで、金利をマイナスにしてまで金融緩和を続けたが、民間のマインドは冷えたままである。

 デフレを経済不振の原因と取り違えてはならない。それは結果なのだ、という言い分は正しいだろう。実はこれ、デービッド・アトキンソン『国運の分岐点』(講談社α文庫、2019年)に出てくる言葉なのである。著者は1965年生まれのイギリス人。世界第二位の証券会社ゴールドマンサックスでアナリストをつとめ、バブル崩壊後の日本経済を分析し、銀行の不良債権を見積もり、債権放棄への道筋をつけて、不動産業界の再生を手掛けたり、観光資源を活用する方策を政府に提言したりした人物である。データ分析には定評があり、レポートを発表する度に、当の業界から激しいバッシングを受けながら、最終的には彼の分析が正しいと皆が認める…こういう経緯を辿ってきたのが、来日30年の歴史である。2009年に国宝や重文の修復を手掛ける小西美術工藝社に入社、2011年から代表取締役に就任。鮮やかな転身をみせた。

 『国運の分岐点』の中で、著者が吐露しているのは次のような疑問だ。技術力の高さに定評があり、国民の教育水準も高く、しかも労働者は勤勉である。にもかかわらず、日本の経済が低迷し、賃金も20年間あがらないという惨状を招いたのは何故なのか? 日本の生産性が低い、ということは最近知られてきた。会議が長いだとか、ハンコ文化が悪いだとか、もっぱら日本の企業文化をあげつらう向きもあったが、そんな小手先の問題ではなさそうだ。生産性を上げるのが課題、という目標は正しいが。

 アトキンソン氏が指摘するのは、あらゆる経済理論が人口増加を前提としている点。急激な形で人口減少と少子高齢化を迎えている日本は、過去の理論が通じない。度重なる財政出動をかけても、マイナス金利にしてまで、資金の流動性を高めても、実効に乏しかったのはそのせい。それじゃあ、どこに手をつけたらいいのか?

 彼はヨーロッパの国で、日本と同じように生産性が低いとされる国を調べてみた。イタリアとスペインである。日本との共通項を探すうち、三国とも中小企業・零細企業の多いことに気づいた。「これは奇跡的な発見だ」と著者自身が自負する探索であった。

 零細企業ほど生産性が低いのは、つとに知られた法則である。資金的な余裕がないので、女性活躍の場も設けづらいし、社員教育の時間も割けない。デジタル化の資金も用意できないし、そもそも十数人の規模なら表計算ソフトでデジタル化には間に合ってしまう。何よりも賃金が安くなってしまう。生産性の低さとは、賃金の低さとイコールなのだ。大雑把に言って、企業の規模と生産性は正比例すると考えてよいし実証もされている。

 しかも、歴史をひも解いていくと、前の東京オリンピックが開催された前年、1963年に中小企業基本法が施行されている。この法律で政府は中小企業・零細企業への手厚い保護を打ち出し、集団保護行政を駆使して大事に育てた。折しも、高度経済成長の時期で、経済規模は年々拡大し、増加する労働人口を吸収する手段として、中小企業の存在はプラスに働いたという。

 ただ、イタリアやスペインをのぞく欧米諸国では、中小企業が年々規模を拡大していったのに対し、日本では中小企業のまま止まる企業が多かった。ソニーやホンダなど町工場から世界的な企業に発展した例もあるが、これは例外で大半の中小企業は中小企業にとどまったのである。経営コンサルタントや税理士の世界では、企業から相談を受けた時「これ以上規模を大きくすると、税法上の特典を受けられなくなるから」といって成長を止めるようにアドバイスをすることがある。中小企業の世界では「あるある神話」。結果として日本には約360万社の中小企業・零細企業があふれている。1963年の中小企業基本法の施行から、ざっと200万社が増えた勘定になる。

 「経済成長できない」「デフレから脱却できない」という問題は、「人口減少」と「生産性の低さ」が大きな影響を与えている。「人口減少」は消費の減退を招く。少ないパイを巡って企業は値下げに走るから、デフレを招き、デフレ下では賃金を上げることができないから、さらに消費減退を招く。賃金が低いということが即生産性の低さでもある。これが日本の現状。ただし、人口減少を解決するには、今すぐ実行性の高い政策を打っても、20年かかる。まず「生産性向上」に注力すべきなのではないか。

 中小企業が多すぎる…と発言すれば、中小企業を淘汰せよというのか、との反発を招く。でもアトキンソン氏が提言しているのは、多すぎる中小企業を中堅企業にレベルアップ(統合)せよ、そうすることが日本企業の生産性アップに直結するというお話。前提になっているのは、企業は大規模になるほど生産性が向上し、結果として労働者の賃金も上がるという法則である。しかも、労働者の賃金を上げるため、最低賃金を年々5%ずつ上げていこうという提言である。

 そんな政策は「中小企業に死ね」と言ってることと同じ。そう言って反発したのが、中小企業の団体、経済同友会と日商である。中小企業の倒産が相次ぎ、労働者は失業する…と反対のキャンペーンをはった。これに対し「賃金を上げるだけで倒産するのは、経営者としての努力が足りないのではないか。人口減少の時代、人手は不足しており、労働者は失業することなく優良企業に吸収されていく」と再反論を受けた。いまは「最低賃金を先に上げるのは無理がある。生産性が上がってから賃金を上げるのが自然である」と見解を改めた。しかし、もう何十年も経営者に任せてきた結果が、経済の低迷を招いている、今更信用してくれというのは虫が良すぎないか。

 アトキンソン氏が強硬なのは、ここ20年間、海外では最低賃金を経済政策として考えるようになり、イギリスでは1999年から最低賃金を年々4.2%ずつ上げてきている例があるから。政府が大学に依頼して分析したところでは、企業の倒産も失業者も、大して出さずに企業の規模は年々向上し、生産性も上がっているからである。特筆すべきは、リーマンショックがあった2008年にも4.2%の引き上げを行っていること。不退転の決意こそが大事と示唆しているのではないか。

 現在、日本では最低賃金を1000円に上げるかどうかの審議中である。そのためには一挙に39円もの大幅引き上げが必要で、答申がどうなるか予断を許さない…とニュースで報じていた。日本の生産性を上げるという問題に対して、審議会がどう結論を出すか、によって将来像が変わってくる。

 当のアトキンソン氏は皮肉な見解を述べている。バブル崩壊時、銀行は債権放棄して担保に取った土地を供出すべきと提言したのに、当の銀行は「そのうち地下は回復する」だとか屁理屈を言って10年間実行しなかった。その間に負債は20兆円から100兆円にまで無駄に膨らんだ―と。最低賃金引き上げで生産性向上を図ることの本質は、労働者でなく社長の失業率が上がることである、と喝破している。

 『国運の分岐点』が出版されたのが2019年9月だから、もうすでに4年近くたっている。この本の中には、日商や経済同友会との軋轢も描かれているから、アトキンソン氏の提案は、更にさかのぼるわけである。この国では、論理的に事が運ばず、何かとサボタージュの種を見つけて、先送りする弊害が常態なので、今回もその轍を踏んでいるかのようだ。

 GDPの生産性と労働生産性の話など、この本の中では、小学生でもわかる算数を使って、丁寧に解説されている。話はいつでも論理的で、さすがに元ゴールドマン・サックスのトップアナリストだと感心する。興味をもたれた方は、ぜひ一読を。もっとも、私の気づくのが遅くて、読者諸氏からは「なんだ。いまさら!」とお𠮟りを受けるかもしれない。
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230715 道を間違うな!

2023-07-15 10:14:30 | パロディ短歌(2011年事件簿)
          資本主義を嫌悪する人々

 前回、83~84歳の同窓会の顛末を報告した。結論めいたものは出さずに次のように書いた。―あらためて考えると、日本のかかっている病気の元は「資本主義嫌悪」という症状にあるような気がする。これは俗にいう「失われた30年」をどう見るか、という問題でもあるような気がする。次回のテーマにしよう。

 資本主義「嫌悪」にあてた論点は、なかなかいい線を行っている。これは日本特有の心理だから。たとえば、こんな言説を聞いたことはないだろうか?
 ①資本主義は人間の欲望に根ざすのでキリがないし暴走しやすい。
 ②環境問題にしても、無軌道な資本主義が生み出したもの。利益優先の資本主義体制では解決できない。
 ③そもそも経済に成長は必要なのか?
 ④人口減少は歓迎すべき。日本の人口の適正規模はせいぜい7,000万人から8,000万人程度で、そこまで人口が減れば、今よりはるかに充実した国になる。

 一見したところ、正しそうな命題で「その通り」とうなずく人も多いだろう。こうした言説は、手を変え品を変えあらわれて日本の社会に蔓延している。新聞の論説に現れることもあるし、テレビで厳かに資本主義の悪をのたまう論者もいる。ネットの世界は、言説というより罵詈雑言の世界だが、ここでも資本主義への嫌悪や呪詛が顕著だ。そして私が真の意味で「怖いなあ」と思うのが、このような資本主義嫌悪が霞が関にも大学にも蔓延しているという事実である。

 私が何故「資本主義嫌悪」と書き「資本主義断罪」と書かないか? 実は「嫌悪」論者はかつて「断罪」論者であった。資本主義を断罪したといえば、カール・マルクス資本主義にとって代わる経済として共産主義を掲げたことでも有名である。彼の思想は20世紀を支配した。

 第二次大戦後の世界を分断したのは、資本主義陣営と共産主義陣営という二つの世界だった。今の若い人には想像もつかないだろうが、ソビエト連邦と中華人民共和国という共産主義大国があって、日本でも革命を起こそうという気運はあった。特に私の育った京都は戦前から共産党が強く、大学の教員や学生を主とした革新気分があって、マルクス主義政党の王国といってもいいような状況にあった。

 結果的には、ソビエト連邦は解体したので、資本主義にとってかわる(と言われてきた)共産主義体制はつぶれてしまった。中国共産党も政治上は一党独裁を堅持したものの、経済は資本主義の論理をとりいれざるを得なくなって変質した。要するに、国家主義と統制経済VS自由主義と資本主義のタッグマッチは後者の圧勝に終わったのである。

 資本主義を断罪していた人々は「共産主義の実現」という目標を失ってしまった。バラバラになって漂流し始めた…はずだが、でも、様子が変だ。資本主義への反感をいまだに隠そうとしない人々がいる。つまり、マルクスの予言した「共産主義の実現」こそ画餅に帰したが、彼の言った前半部分「資本主義の悪」はまだ生きている…と考えるのである。しかし、彼らのアキレス腱は、資本主義に代わる経済体制を示すことができない点。したがって、彼らの「資本主義嫌悪」は単に社会不安をあおるだけ、になりやすい。

 初めに示した4つの言説もその典型で、主張に裏付けを欠いている。
 ①は人間の欲望や自由を敵視しているが果たしてそうか? 産業革命が我々の生活を充実させ現代の繁栄を築いたのは、科学技術の発展もさることながら、生活を便利にしたいという、われわれの欲望に忠実だったからではないか? 確かに一時的な行きすぎはあっただろう。しかし、それなら修正しながら実現していけばいいだけである。資本主義体制そのものを敵視するのは、論理の飛躍でないのか?

 ②環境問題をテコにマルクス主義の復権を図ったのが、斉藤幸平『人新世の「資本論」』である。5月25日に「気候変動阻止にマルクス?」と題したブログで詳しく論じているので、そちらを参照してもらいたいが、斉藤は資本主義全否定で、それどころか、いかなる経済成長も認めない…という極端な「定常的経済」を主張している。これがいかなる災禍を招くかは次に論じよう。

 ③経済成長が必要なのか?…という問いを立てる人は少なくない。②で引用した斉藤幸平もその一人である。この論調にはある種の既視感がある。新聞記者、医師、中央の役人、大学教授、弁護士など社会の中枢に位置する人々からの疑問で、あくまで疑問にとどまる。斉藤をのぞいて、彼らが経済成長不要論を提言したことはない。資本主義不信のムードを振りまくにとどまる。何故か? 彼らは既得権益を守りたいだけなのだ。事実として、全世界が資本主義体制をとっている限り、一国で経済成長ゼロを採用すれば、あっという間に最貧国への転落が待っているからである。北朝鮮をみればいい。あの国こそ経済成長ゼロの理想国なのではないか? 経済成長1%台を長年続けてきた日本だって、世界経済の流れから取り残されて、他の国民から見たら、物価も株価も賃金も「日本は安い」と言われ、実質的には中進国扱いなのである。

 ④の人口減少肯定論者も経済成長のことは念頭にない。というより③と同じく経済成長否定論者とみていい。彼らの特徴は、日本一国の問題として(まるで日本が鎖国状態にあるかのごとく)論じる点にある。目が世界に届いていない。もう一つの欠点は、経済が縮小するということが、どれだけの社会不安を引きおこすかに無頓着な点。③の論者と同じく、既得権益層が主張するだけであって、経済の縮小が失業者を生み、自殺者や犯罪者を増大させて、社会全体が暗くなる側面には目が向けられていない。人口が減少しようとも、経済は発展する必要がある。また、発展を目指してこそ、現状維持ができるというもの。最初から経済成長を放棄するという選択肢は、怠け者の論理にみえる。人生そのものが否応なく挑戦の連続であるという事実を、この人たちは忘れているように思える。

 リベラルを標榜する立憲民主党は、アメリカの民主党を念頭に置いているようである。人権に重きを置き、性的マイノリティの平等に異様な熱意を示すなど、アメリカ民主党のカーボンコピーと見まがうばかり。ただし、本家のアメリカ民主党が性的マイノリティの平等に力を入れるのは、キリスト教の教義が男性・女性で完結しているから。同性愛などは神の名のもとに悪として断罪され続けてきたからである。社会の存立の根本にかかわる問題なのであって、文字通り命がけという側面をもつ。

 もうひとつ大事な側面があって、アメリカ民主党には、資本主義を嫌悪し、否定するイデオロギーはない。その点は、日本共産党との共闘を模索する立憲民主党の左派と大違いである。ただ、筆者には懸念がある。情緒的に反応する日本人はまだ多い。現状維持を期待する既得権益者がまいた資本主義嫌悪の言説は、見てきた通り単なるムードにすぎないのだが、否それ故に一定の支持を得ているようである。

 「失われた30年」とは、「日本経済が世界一」ともてはやされた1980年代にいい気になって、その後のバブル崩壊で虚脱状態に入った指導層(それは取りも直さず既得権益層なのだが)が、怠け者の論理=資本主義の第一線で戦わず現状維持に終始する態度をとってきたからだと筆者は見る。上記の言説はその一例を示したに過ぎない。

 多分、ここ2,3年のうちに、先進国で日本の独り負けが明らかになるだろう。挽回するためには、明治維新並みの改革(今の私たちにとってみれば革命にも匹敵する)が必要である。霞が関も解体しなければならないし、政治も経済も戦後の体制を一新しなければならないだろう。次回は一新の対象と方法について考えることにする。
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230702 83歳の同窓会

2023-07-03 09:49:42 | パロディ短歌(2011年事件簿)
         未来への危惧

 もう一か月以上前になるのだが、中学校の同級生4人が集まる機会があった。83歳3人と84歳1人の4人である。中学校で一緒に学んだのはもう70年近く前になるのだ、と感慨深かった。話はあっちへ飛びこっちへ飛びで、まとまった話はできなかったが、意外なことに日本の現状や将来に関しては、それぞれに憂慮している事柄があり、話に刺激を受けて思うところは多々あって、これを機会に自分の考えをまとめてみたい意欲に駆られた。以下はその報告書のつもりである。

 ――メンバーは現役のバレエ団代表(これは女性)、京大名誉教授、アメリカで建築設計事務所を起業して今は悠々自適の境遇(今回は彼の来日を聞いて集まった)の3人に私を加えた4人である。

 私が今の日本に不満を抱いているのは「老害」である、と言ったときの皆の反応は面白かった。「われわれが対象なのか?」と大笑いになったのである。いやいや、そうではない。言葉を変えて言えば、「現状維持派」が日本を支配していて、進取の気性が薄れているのが不満だ、と言い変えたら話を聞いてくれた。

 その時に例として挙げたのは、①経済界を引っ張るべき大企業が、実際には利益をあげているにもかかわらず、投資に振り向けるより「リーマンショックのようなことが起きた場合に備えて」という理由で、いたずらに内部留保を増やすという「現状維持」をとっていること。
 ②日本医師会が旧厚生省と組んで築いた健康保険制度は確かに世界一だが、先日のコロナ下では医療施設の3%くらいしかコロナの診療にあたれなかった。進めてきた青写真が開業医主体で、公営病院の充実には手を抜いた結果である。日本医師会と厚生労働省がタッグを組んで、医大の卒業生の数を抑えていて(目的は既存の開業医の保護である)、医療の世界に公正な競争原理が働いていない。獣医の世界でも、文部科学省が獣医学科の新設を一切認めてこなかった。あからさまな「現状維持」という既得権益者保護行政では、医師の世界と獣医の世界は同一歩調をとっている。更につけ加えると、医師の世界も高齢化が進んでおり、彼らがデジタル化に消極的なため、電子カルテの導入も10年遅れたという報告がある。
 NHKの番組で、若者がオーストラリアに出稼ぎに行っている、という報告があった。農産物の収穫を手伝う単純労働で、週に10万円の収入がある(もちろん8時間労働)。1カ月に直すと約40万円の収入だ。ある女性が老人ホームの正規社員として就職したら、同じく週8時間労働で月収80万円を得たという。日本の老人ホームで働くヘルパーが、20万円くらいの収入で、土日の別なく働いているのに比べると、同じ地球上でこれだけの差がつくのは異常ではないか。ドル高円安が続いて、海外の観光客は「日本の物価が安い」といってやってくる。物価が安いだけではない。ついでに給与も安くなっているのが問題で、数年前に平均給与では日本は韓国にも抜かれている。そのうち、オーストラリアだけでなく、韓国やインドネシアやタイに日本人が出稼ぎに行く時代が来るのではないか、と心配である。日本の社会は暮らしやすい。いろんなサービスは世界一だろう。ただ、現状維持を旨とする戦後体制の既得権益者がハバをきかせている状態が続けば、日本が先進国から転落するのは火を見るより明らかだろう。

 言いたかった主旨はこのようなものである。酒も入っているし、理路整然と喋ったわけではなく、あちこち脱線しながらの話だったが、3人は(礼儀も兼ねて)静聴してくれた。論旨に賛成だったのか、反対だったのかはよく分からないが、私なりにいろいろ熟考した上での意見なので、意見を変えるつもりはない。以上は俗にいう「失われた30年」をどう見るかという問題であって、あらためて考えると、日本のかかっている病気には「資本主義嫌悪」という症状がつきもののような気がする。次回のテーマはこれで。
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