今上天皇の意見表明
8月8日、今上天皇が「譲位」についてのお言葉を述べられた。新聞などマスメディアはしきりに「生前退位」という言葉を使っているが、これは生前分与などを連想させ、あまりにも下世話な印象がつきまとう。昔から「譲位」という優雅な言葉があるのだから、あまり生前退位などという言葉は使わない方がいいだろう。
さて、譲位であるが今上天皇および皇后さまのご年齢を考えれば、実現させてあげたいという国民が90%以上だろう。ただ、皇室典範の改正には、いろいろと困難が付きまとう…とマスコミは伝えている。すなわち、天皇が意に反して退位を迫られるようなことがあってはならないが、それをどうやって保証するのか、などが問題になるらしい。
法律の文章をもって、このような事態を防ごうとするのは極めて難しい。法というのは不便なもので、細かく規定しようとすればするほど、抜け道が生じるようになっているのである。ここは、あっさりと「天皇自身の意志があれば」とすればよかろう。もちろん、譲位問題を検討して勧告する機関は必要だ。
憲法では、天皇が政治的にふるまうことは禁止されており、政治の側が天皇を利用することも禁じられている。「天皇の意志」にならざるを得ない理由である。ここさえはっきりさせるならば、天皇は「元首」と定めてもよかろう。現に諸外国は「天皇は元首」の扱いをしている。例によって、軍国主義の復活―などとデマを流して、中国・韓国などが騒ぎ、それに呼応して朝日新聞・中日新聞・東京新聞・共同通信などが騒ぎたてると思うが、いつまでも憲法を実体のない幽霊にしてはならない。
実体を反映すれば、天皇は元首であるし、自衛隊という軍隊をもつ日本は、第9条の戦争放棄にはなじまない。第9条を普通に読めば、軍隊はもてない。それならば、自衛隊を解散するか(現に共産党はこの考えだ)、第9条を改正するかの二者択一になる。
今回の「お言葉」で、筆者が驚いたのは天皇が「個人として」話をすると述べたことであった。もちろん、天皇の政治的発言は禁じられており、それに抵触しないよう「個人」としての側面を強調されたのであろう。ただし、よく考えてほしい。天皇に「個人」としての側面があるのなら、靖国神社への参拝は可能になる。私が「個人」に驚いたわけである。
日本は政教分離の確立された国である。それならば、靖国への参拝はすべて「個人」の行為とすればよい。そもそも、靖国神社だって一宗教法人である。日本国民には、信教の自由がある。「個人」の信条に従って参拝するのに、何の遠慮があろうか。中国も朝鮮も口出しはできまい。まして朝日や東京などの新聞社においてをや。諸賢のご意向を賜りたいものである。
8月8日、今上天皇が「譲位」についてのお言葉を述べられた。新聞などマスメディアはしきりに「生前退位」という言葉を使っているが、これは生前分与などを連想させ、あまりにも下世話な印象がつきまとう。昔から「譲位」という優雅な言葉があるのだから、あまり生前退位などという言葉は使わない方がいいだろう。
さて、譲位であるが今上天皇および皇后さまのご年齢を考えれば、実現させてあげたいという国民が90%以上だろう。ただ、皇室典範の改正には、いろいろと困難が付きまとう…とマスコミは伝えている。すなわち、天皇が意に反して退位を迫られるようなことがあってはならないが、それをどうやって保証するのか、などが問題になるらしい。
法律の文章をもって、このような事態を防ごうとするのは極めて難しい。法というのは不便なもので、細かく規定しようとすればするほど、抜け道が生じるようになっているのである。ここは、あっさりと「天皇自身の意志があれば」とすればよかろう。もちろん、譲位問題を検討して勧告する機関は必要だ。
憲法では、天皇が政治的にふるまうことは禁止されており、政治の側が天皇を利用することも禁じられている。「天皇の意志」にならざるを得ない理由である。ここさえはっきりさせるならば、天皇は「元首」と定めてもよかろう。現に諸外国は「天皇は元首」の扱いをしている。例によって、軍国主義の復活―などとデマを流して、中国・韓国などが騒ぎ、それに呼応して朝日新聞・中日新聞・東京新聞・共同通信などが騒ぎたてると思うが、いつまでも憲法を実体のない幽霊にしてはならない。
実体を反映すれば、天皇は元首であるし、自衛隊という軍隊をもつ日本は、第9条の戦争放棄にはなじまない。第9条を普通に読めば、軍隊はもてない。それならば、自衛隊を解散するか(現に共産党はこの考えだ)、第9条を改正するかの二者択一になる。
今回の「お言葉」で、筆者が驚いたのは天皇が「個人として」話をすると述べたことであった。もちろん、天皇の政治的発言は禁じられており、それに抵触しないよう「個人」としての側面を強調されたのであろう。ただし、よく考えてほしい。天皇に「個人」としての側面があるのなら、靖国神社への参拝は可能になる。私が「個人」に驚いたわけである。
日本は政教分離の確立された国である。それならば、靖国への参拝はすべて「個人」の行為とすればよい。そもそも、靖国神社だって一宗教法人である。日本国民には、信教の自由がある。「個人」の信条に従って参拝するのに、何の遠慮があろうか。中国も朝鮮も口出しはできまい。まして朝日や東京などの新聞社においてをや。諸賢のご意向を賜りたいものである。