私の大好きな国・バングラデシュ。
その国旗は、大地を照らす真っ赤な太陽が描かれた日章旗で、背景は豊かな大地を表す緑色です。
よく見ると太陽が中央より左によっていて、これは旗がなびいていている時でも太陽の存在がはっきりわかるようにと工夫されたためだといいます。
真っ赤な太陽が照らす大地は、昔から豊かな作物を作り、黄金の大地と形容されてきました。
人口の6割以上が農業に携わり、米は、世界でトップクラスに入るほどの生産量を保っています。
米の他にも、ジュート、茶などの作物が作られ、また、養殖や漁業も盛んに行われています。
インド洋に面した世界最大のデルタ地帯をもつバングラデシュは、ヒマラヤ山脈に水源を持つ大河ガンジス川、プラフマプトラ川、ベグナ川がもたらす土砂により、長い歳月をかけて世界でも有数の肥沃な大地を作られました。
平野がどこまでも続く環境に囲まれたバングラデシュでは、雨量の多い6月から8月には、国土の3分の1が水に覆われてしまうほどの大規模な洪水に見舞われることもしばしばあります。
肥沃な土壌をもたらしてくれる水の恩恵を受けながら、水害によって生活が左右されるこの国の人々。
しかし彼らは、自然の驚異を前にしながらも力強く生きている印象を受けます。
アジアで初めてのノーベル賞受賞者でバングラデシュの国歌「ショナル・バングラ」の作者ラビンドラナート・タゴールは、豊かな大地への感謝を気持ちと祖国愛をうたっています。
タゴールの詩が与えた影響は今の国民の支えになっているように思います。
バングラデシュの世界遺産のひとつは「パハルプルの仏教僧院跡」です。
現在は国民の約9割がイスラム教徒であるバングラデシュも、玄奘三蔵が大唐西域記の詳細に残しているように古くは仏教が盛んな地でした。
仏教が生まれたインドでは、ヒンドゥー教の興隆によって7世紀頃には仏教は衰退をはじめてしまいましたが、ここべンガルではパール王朝の手厚い保護のおかげで、インドや東南アジアから多くの修行僧が集まり、一大発信地として仏教世界の重要なセンターに発展しました。
多くの仏教用語がパーリ語に由来するのはこのためです。
しかし、「山のある場所」の意味を持つパハルプルは人々から忘れ去られ、19世紀初頭まで周辺の平野に囲まれただ単なる丘と思われていました。
外壁は無くなってしまっていますが、敷地内に残る僧院や寺院の後から十分に当時の壮大さが想像できます。
また、中央に三層になった基壇の上に大塔が置かれた中央寺院ソマプーラ・ヴィハーラには、数千のテラコッタ装飾が飾られ、やわらかな曲線の美しさと躍動感を感じされる装飾された人々の動きからは、当時の芸術性の高さもうかがい知ることもできます(写真)。
インドのナーランダー仏教僧院と共に南アジア最大の仏教遺跡ともいわれるパハルプルは、南アジア仏教の最後で最大の一大センターとしての姿を現在に残していいます。 つづく
(佐々木 優嘉)
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その国旗は、大地を照らす真っ赤な太陽が描かれた日章旗で、背景は豊かな大地を表す緑色です。
よく見ると太陽が中央より左によっていて、これは旗がなびいていている時でも太陽の存在がはっきりわかるようにと工夫されたためだといいます。
真っ赤な太陽が照らす大地は、昔から豊かな作物を作り、黄金の大地と形容されてきました。
人口の6割以上が農業に携わり、米は、世界でトップクラスに入るほどの生産量を保っています。
米の他にも、ジュート、茶などの作物が作られ、また、養殖や漁業も盛んに行われています。
インド洋に面した世界最大のデルタ地帯をもつバングラデシュは、ヒマラヤ山脈に水源を持つ大河ガンジス川、プラフマプトラ川、ベグナ川がもたらす土砂により、長い歳月をかけて世界でも有数の肥沃な大地を作られました。
平野がどこまでも続く環境に囲まれたバングラデシュでは、雨量の多い6月から8月には、国土の3分の1が水に覆われてしまうほどの大規模な洪水に見舞われることもしばしばあります。
肥沃な土壌をもたらしてくれる水の恩恵を受けながら、水害によって生活が左右されるこの国の人々。
しかし彼らは、自然の驚異を前にしながらも力強く生きている印象を受けます。
アジアで初めてのノーベル賞受賞者でバングラデシュの国歌「ショナル・バングラ」の作者ラビンドラナート・タゴールは、豊かな大地への感謝を気持ちと祖国愛をうたっています。
タゴールの詩が与えた影響は今の国民の支えになっているように思います。
バングラデシュの世界遺産のひとつは「パハルプルの仏教僧院跡」です。
現在は国民の約9割がイスラム教徒であるバングラデシュも、玄奘三蔵が大唐西域記の詳細に残しているように古くは仏教が盛んな地でした。
仏教が生まれたインドでは、ヒンドゥー教の興隆によって7世紀頃には仏教は衰退をはじめてしまいましたが、ここべンガルではパール王朝の手厚い保護のおかげで、インドや東南アジアから多くの修行僧が集まり、一大発信地として仏教世界の重要なセンターに発展しました。
多くの仏教用語がパーリ語に由来するのはこのためです。
しかし、「山のある場所」の意味を持つパハルプルは人々から忘れ去られ、19世紀初頭まで周辺の平野に囲まれただ単なる丘と思われていました。
外壁は無くなってしまっていますが、敷地内に残る僧院や寺院の後から十分に当時の壮大さが想像できます。
また、中央に三層になった基壇の上に大塔が置かれた中央寺院ソマプーラ・ヴィハーラには、数千のテラコッタ装飾が飾られ、やわらかな曲線の美しさと躍動感を感じされる装飾された人々の動きからは、当時の芸術性の高さもうかがい知ることもできます(写真)。
インドのナーランダー仏教僧院と共に南アジア最大の仏教遺跡ともいわれるパハルプルは、南アジア仏教の最後で最大の一大センターとしての姿を現在に残していいます。 つづく
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