草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

大阪の下品な中核派を府民の名で放擲すべし

2008-03-17 22:48:21 | Weblog
 織田信長の非常さは今の世の中から見れば異常にさえ映る。本願寺の焼きうちや、一銭切り。一銭でも盗めば死刑というのはあまりにむごい。しかし、時は幕府権力など機能せず無法状態。戦国の世であり、治安は強力な政権が立ち上がらなければ確立しない。この一銭切りは盗みが犯罪であることを徹底するに大成果があったという。一罰百戒である。

 信長が非情とされるのはあくまで、今の治安国家の目からであり、当時においては重要な選択であったことを見なければ正しいとはいえない。

 比叡山や本願寺焼き討ちなどはその典型的例である。当時の寺社は強大な武装僧兵を持ち「座」などの商人や関所からの莫大な利益を守るため、軍事力で戦国大名にも勝っていた。信長は楽市楽座の政策を推し進める上で、敵に回った利権集団である寺社を倒した。その戦で息子さえ失う。停戦のたびに約束をたがえて攻めたのは寺社側であったことを忘れてはならない。

 最後の和睦で、一切の咎めをしないと信長は宣言する。なぜか。

 今後、坊主は武装しない。武力を放棄すると寺社側が申し出たからである。秀吉の「刀狩」の寺社バージョンであり、抵抗と重みが秀吉とは大いに異なる。これを守ると約束したから今までの反逆は罪を問わない。

 なぜにでは信長は強硬なる手段を講じたのか。誰よりも先に地球が丸く日本は小さな東洋のはずれの国であったことに気付いていた。献上された地球儀により、すでにヨーロッパが大陸シナのすきをうかがっていた、なろうことなら支配下に置こうとしていた、それを読み取ったのである。急がねば必ずその勢いがわが宇内に押し寄せるはずである。

 家来にも威圧的にあたる。有無を言わさぬためには言葉で飾るものを切り捨てる。非情に徹するのである。狂人の如き振る舞いをするのも自己保身に走りがちな家来に甘えを峻拒させるためであったろう。

 大阪府の職員が橋下知事にたてついて朝礼を団交の場にしようとたくらんだ映像が流された。その言葉使いの横柄さにはニュースを見ていて腹が立った。ネットにて知ったところによれば彼女は中核系の組合員。サービス残業をしてまでがんばっているんですと大見得切ってテレビに登場したにかかわらず、どれほどのの残業ですかと記者に問われて「実はしてません。」

何たる下品。何たる愚弄。

 月曜になり、朝一番で大阪水道局に抗議の電話を入れた。上司と本人を処分せよと。
 かかる利権集団が大阪を働かぬ公務員天国にしていたのだ。

 借金だらけの職場にあって税金をうまく手に入れようとするグループの温床であったら改革はなしえない。

 一銭切りこそ、いまの大阪に必要なのである。即刻処分しなくてはならない。ついてこない職員はお引取り願うしかないのである。

 危機意識を持った橋下氏が公務員の一銭切りと利権集団の刀狩とを狂気にみえる勢いで成し遂げてもらいたい。きっと天下の流れになりうるはずである。

チベット侵略を即時中断せよ  中国領事館への要望書

2008-03-17 15:01:49 | Weblog
チベット自治区への弾圧を即時中止せよ

 そもそもチベットは独立国家であった。貴国の侵攻により国家の自治を失い、はや半世紀。ダライ・ラマ氏はインドに亡命政府を立ち上げ、チベット国民の平和的生存を国外から希望してみえるにかかわらず、貴国は軍事侵攻のみか、自由なる反対勢力を刑務所、強制収容所に収容、さらに住民虐殺を繰り広げた。また宗教弾圧を繰り広げ、九割を越す寺院の破壊と僧侶追放、さらに強制的民族同化政策、植民政策を繰り広げ、チベットの文化宗教を根絶やししようとしている。許しがたきことである。

 一九五〇年の貴国解放軍によるチベット侵攻は、「チベットを含む中国の総ての領土の解放を求める」などと勝手なる理屈に基づき行なわれた。そして「チベット人を外国の帝国主義者より解放するための進軍」と理不尽な進軍理由を発表した。

 チベットはすぐに、「中国とチベットの関係は、施主とラマのそれであり、チベットは中国の一部であったことは一度もなく、またチベットを支配する外的勢力などそもそも存在しない以上、外国の帝国主義者よりの解放など必要ない」と強く抗議した。にもかかわらず貴国は軍事侵攻を繰り広げたのである。

 一九五〇年の十月インドのデリーにおいて中国とチベット政府の間に代表交渉がなされた。この交渉において中国側はチベット側に対し(1)中華人民共和国はチベットの国防問題を処理する(2)チベットは中華人民共和国の一部であること認めるという2点に同意し、協約を結ぶことを迫った。理不尽な要求を認める理由も必要もなんら存在しなかったためチベットはこの要求を拒否した。貴国のこの要求は明らかに今日確立されている自決権の内容に著しく抵触するものであり、当然チベット側が納得できるものではなかった。

 その交渉の最中、一九五〇年十月七日に人民解放軍は宣戦の布告なしに東チベットに急襲をかけ侵攻を開始し、「チベット人を帝国主義者の弾圧より解放するため、また中国西部国境線の防衛強化のため、人民解放軍のチベット進軍を命令した」と公式に発表したのであった。

 しかし、チベットはまったくの独立した「国家」であったばかりか、「外国の帝国主義者による弾圧」はそもそも存在しなかったのである。

 チベットの国家存在の根拠は一九一二年の辛亥革命により清朝が滅亡後、亡命先のインドからイギリスの支援を受けたダライ・ラマ十三世がチベット本国に帰還して行なったチベット帝国独立宣言である。十三年にはその独立宣言に基づきチベットとモンゴルの間で満州人(清国)からの独立を宣言し両国の友好の強化、相互の独立の承認を内容とするウルガ条約が結ばれた。

、チベット語を話し独自の文化・価値観を有するチベット人の現チベット領域への定住とその後二千百年間のチベット文化の隆盛は歴史的事実であり、その政府組織や、内閣制度も確立しており、内政・外交ともによく整備・統治されていた。チベットは中国の主張するような「切り離すことのできない中国の一部」ではなく、明らかに一つの独立した「国家」であった。 

 そして、何よりも、一九四七年の毛沢東によるチベット独立を認め、それを歓迎するとした発言の存在は中華人民共和国自身がチベットの国家としての独立を認めていたことを示す明白な証拠である。

 一九五一年五月、事態打開のため北京を訪れていたザサー・ソナム・ワンドウー氏、トウプテン・テンダル氏らの代表団ならびに、人民解放軍侵攻の初期の戦闘で捕虜になったカプー・カワン・ジグメ氏らにたいし、貴中華人民共和国政府はかれらを軟禁状態におき、脅迫・恫喝・強制の下、やむなくいわゆる十七条協約に調印させた。この際、この調印に関してチベット代表団は本国チベット政府に対してなんら支持を仰ぐことも許されず、また連絡も一切とることのできない状況に追いこまれた。
また北京で偽造された印璽による調印であった。

国際法的観点から見て、このいわゆる十七条協約の法的効力は明らかに否定されるべきものである。強制の下で締結された条約の法的効力については、伝統的国際慣習上からも明らかに無効であるとされている。

 また、強制の下で締結された条約が無効とされることは「条約法に関するウイーン条約」でも認められている。
 十七条協約の法的効力の無効は明らかであり、この協定を根拠とする中華人民共和国の一連の侵略行動は正当性を有しない。

 しかし、協約調印以降、中華人民共和国はチベットにおけるあらゆる行動の正当化の根拠としてこのいわゆる十七条協約を振りかざすことになり、中華人民共和国はチベットにおける侵略行為をさらにエスカレートしていった。

 一九五九年三月、それまでの中華人民共和国による暴虐な振る舞いに対してチベット人は決起した。しかしこの決起も、質・量に勝る人民解放軍はこれを鎮圧、チベット軍人・ゲリラ兵のみならず、何万という民衆が殺された。この決起後、中華人民共和国は「民主改革」という名による虐殺・民族浄化・ジェノサイドをおこない、今日でもその惨劇は断続的に続けられている。

 しかしこの頃まで、チベット使節団がチベットのパスポートで世界中を回り救援・支援を訴えつづけてきた。このパスポートがアメリカ、イギリスその他の国で法的に正式な書類として認められたことは、すなわちそれらの国々がチベットを一個の国家として認識していたことを示す確たる証拠であるといえるだろう。

 以上の如くチベットは明らかに、独立した一個の国家であり、中国の行動はそのチベットへの武力による侵略であり、現在のチベットのおかれている状況はそのような中華人民共和国による不当な占領下にあると断言できる。

 中華人民共和国は非常に残虐な方法をもって、刑罰という名の虐殺を行なった。公開処刑、絞首刑、銃殺はまだ幸運なものであったという。はりつけ、生きながら焼かれる、生き埋め、餓死、といったもの。さらには、父は子を、子は母をと家族の者同士によって殺されるよう強制された。生きながらに解剖されるといったこともされたという。女性は処刑前に老いも若きもことごとく強姦された。年端の行かない少年僧、少女尼僧にもそれは行なわれた。

 拷問による死者も多数に上る。爪の間に竹串を刺すと言ったものから、指を一本づつ切断する、電気ショック、身体中に長いくぎを打ちこまれる、ガソリンをかけ火をつける、零下の中裸で放置されるといったものまであるという。さらに女性強姦。

 侵攻以来、今日までに、貴国政府の入植政策により一千万人もの中国人が入植し、チベット人の民族的独自性は完全に危機に瀕している。

 今日、チベットの学校ではチベット語はほとんど教えられていないという。また、八十五年から一万八千人の子供が「中国本土で教育を受けさせる」という名目で中国本土の民族学院へつれて行かれ、一万人以上が帰ってこなかったという。

 さらに貴国がチベットに放射性核廃棄物を野ざらしで投棄しているというチベット亡命政府高官の証言がある。実際、亡命者の中には原因不明のガン、白血病患者がいるという。もしこれが事実ならば、IAEAの「重大関心事項」に該当する事柄として監査されるべき事柄である。
 
 最近では一九九九年前半に中華人民共和国・ウイグル自治区で起こったテロ事件や同年後半に都市部で起こった法輪功事件以降、中華人民共和国内における少数民族・宗教に対する警戒・弾圧は激しさを増してきている。

 カルマパ十七世のインド亡命後にはその責任を口実に多くの僧侶が逮捕・投獄されているという。さきの全人代ではダライ・ラマ十四世を反動分離主義者として激しく非難し、最近ではダライ・ラマ十四世の訪日に対したいへんに強い圧力を日本政府に対してかけた。今日のチベットの情勢は悪化する一方である。

 貴国のチベットに対する侵略行為は明らかに違法であり、中華人民共和国のチベットに対する虐殺・人権侵害事件は、「人類の平和と安全に対する罪」に他ならないのである。

 まさに悲劇である。

そうした屈辱の中で遂にチベット国民は民族の存亡の危機に直面し、今回のデモ行動にたったという。然るに貴国政府は必死の民族自立の叫びに耳を貸すどころか、これを軍により弾圧し、1節には百人以上の多数の死傷者をだすにいたったと報道されている。

 大虐殺である。しかも外国のメデイア取材すら受け入れようとしない。
 あまりにも理想論にさえ思えるダライ・ラマ十四世の、これに抗議する言葉にさえ耳を貸そうとしないどころか、逆に首謀者発言すらしていることは容認できるものではない。

 わが国、町村官房長官の「双方が自制して混乱が拡大しない事を望む」などの自制要請に何らこたえようとしない貴国政府の行動は、国際道義にもとる人類に対する重大なる挑戦である。

 一刻も早く弾圧の放棄をし、チベット民族への侵略をやめるよう強く要請する。

                   チベット国民に連帯する市民の会