草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

硫黄島のこと

2008-10-20 08:43:46 | Weblog
こんな日本人がいた

 先の大戦で最大の激戦地の一つであった硫黄島のでの話です。ある日本人が米国から返還されてまもなく硫黄島に渡ったときのこと。ある米兵に声をかけられた。「私の父はこの硫黄島作戦の最高司令官でした。硫黄島で戦う日本の将兵を見て、終戦後にアメリカに帰って十数年間、死ぬまで、アメリカの青年よ立ち上がれ。アジアにはすばらしい国があるぞ。それは日本と言う国だ。そこにはお前たちが想像もできない立派な青年たちがおる。ああいう青年がおるのなら、ほっておいてもやがて日本は世界の名手になるだろう。」司令官の体験は次のとおり。
 
 硫黄島の南の擂鉢山の中腹に穴があり、陥落した日にそこから陸軍少佐が出てきた。木の枝に白いハンカチを巻いて右足はもう飛んでない。左足で這ってきた。真っ青な顔をしている。「司令官はいないか。司令官はいないか。「何だ」と言ったら、「あの穴に私の部下がまだ三十人ばかり生きている。その中にすばらしい青年が一人いる。日本の東京大学の学生だが、、あの男を生かしておくと日本だけじゃない。地球を救うぞ。世界中探してもあんな立派な青年はいないと思う、どうかわしの首を切って代わって彼を助けてくれ。」と言って日本式の挨拶をしたから、司令官が「心配するな。君も助けるが彼も助ける。」と言ったら「サンキュー。」と息が絶えた。

 司令官が穴のところへ行って、「おい、いるか、浅田中尉はいるか。今、君の隊長が君を救うために死んでいかれた。出て来い。もう戦争は終わったんだ。内地では君のお父さん、お母さんが待っているぞ。捕虜にしないから出て来い。」と言ったら、中から「黙れ、、自分のことは自分で決めるんだ。お前たちの指示を受けない。」「煙草はあるか」「煙草なんてあるか」「よし、やるぞ」と煙草を投げ込むと中からさーと煙が出てきて「サンキュー。口に二本も三本もくわえとる。もう何ヶ月も煙草なんて呑んだことは無いんだ。」「菓子はあるか」「菓子なんかない」「よーし」とチョコレートを投げ込むと「ありがとう」と中で大騒ぎ。「食料あるか」「ない」「よーし」と缶詰を投げ込むと「ありがとう」と丁寧に挨拶をする。缶詰なんて食べたことがない。それが二月のことであります。それから毎日のように行って勧告するが出てこない。三月四月五月まで頑張って、五月の朝、暗いうちにドーンとその穴で、大きい音がしたのでいってみたら手榴弾で自決して死んでいた。その入り口にその東大の学生が日本語と英語と両方で遺書を書いて置いてあったそうです。

 「閣下の私たちに対するご親切の行為、誠に感謝感激に絶えません。閣下より頂きました煙草も肉の缶詰も皆で有難く頂戴致しました。お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることは出来ません。もはや、水も無く食も無ければ十三日午前四時を期して全員自決して、天国に参ります。終わりに貴軍の武運長久を祈って筆を置きます。
 昭和二十年五月十三日  日本陸軍中尉浅田信二
米軍司令官 スプルアンヌ大将殿 」

 部下の救済を命を懸けて願い出る上官。武士道の精神で降伏をしない部下。栗林中将以下日本人二万の兵が亡くなられ、米国も七千人。建国以来最大の犠牲者が出た。尊い犠牲の結果、今の日本があることを僕らは忘れてはならない。僕らの勉学の道には真心はあるか。如何。           

 

ペマ・ギャルポ氏の叫びに応えよう

2008-03-25 09:12:09 | Weblog
メールにて敬愛する憂国の人井上氏より資料送付あり。以下掲載。

各位
井上寛康
チベット人のペマ・ギャルポ氏のチベット動乱の論評を御参考に
転送いたします。


【チベットの哀しみ】挑発に怨念噴出 

産経新聞2008年3月22日


中国のチベット族居住地域で騒乱が続発している。チベット自治区の区都ラサだけ
でなく、四川省など近隣の各省に住むチベット族も中国当局とぶつかっている。チ
ベット族はいま、なぜ、このような行動に出ているのか。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のアジア・太平洋地区担当初代代表を務めたペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授(54)は21日、産経新聞に対し、中国共産党の支配下に入ったあとのチベット族の悲惨な境遇を振り返りながら、今回の騒乱に至る経緯などを、以下のように説明した。
                   

                  ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授

 ≪チベット族釈放要求≫

 今回の騒乱は3月10日から始まった。1959年、ダライ・ラマがインドに亡命することになったチベット決起(動乱)からちょうど49年にあたるこの日、ラサでは僧侶たちが平和的にデモを行った。それが、死者99人(チベット亡命政府発表)を生む騒乱に拡大した。

 中国の温家宝首相はダライ集団が背後で糸を引いた「計画的」な騒乱と主張している。だが、報道された映像をみると、僧侶は素手で店を壊したり、石を投げたりしていた。計画的であれば何らかの武器を持っているはずだ。むしろ、当局側の挑発行為があり、民衆が興奮したのが事実だろう。

 3月10日のデモは毎年、中国国内のチベット族、海外のチベット人亡命者で行われている。だが、今年はこれまでのデモと違う点が3つあった。

 昨年10月、ダライ・ラマは米議会から「議会名誉黄金章」を受章した。チベットでは祝賀会が全土で行われたが、この際、多くのチベット族が当局に逮捕された。今回のデモは拘束されているチベット族の釈放を求めることが目的のひとつだった。

 ≪五輪を政治利用≫

 今年開催される北京五輪のため、中国政府がチベットを「政治利用」していることに対する抗議の意味も強い。聖火リレーがチョモランマ(英語名エベレスト)を通過するのはチベットが中国の一部であることを誇示するためだ。チベット人にとっては、それぞれの山に神がいる。山に登られること自体、抵抗がある。五輪のマスコットに使われているのはチベットの動物であるパンダとチベット・カモシカだ。チベットにおける植民地支配を正当化するために、オリンピックを政治の道具にしている。

 ラサまでのびる青蔵鉄道の開通により、チベットへの「経済的侵略」が明確になってきたことに対する反発もある。鉄道開通によりコレクターらが文化財である寺院の骨董(こっとう)品や床の石などを買いあさっていく。だから、中国人の店が抗議対象になった。

 また、チベットは希少金属などの鉱物資源も豊富だ。鉱物資源は青蔵鉄道で運ばれているともいわれている。鉄道は軍事的な目的も大きい。中国はソ連解体時、ミサイルを列車に乗せる技術を入手したといわれている。

 中国政府は五輪開催が近づいてから問題が起きるより、3月10日のタイミング
使って、捕まえるべき人を捕まえようとしたのではないか。そのために、平和的なデモに対して挑発的な行為に出て、騒乱を引き起こしたと考える。

 中国政府は暴動のシーンを発信することで、「仕方なく騒乱に対処するのだ」との印象を世界に与えようとしたのだろう。だが、チベットには観光客がいた。IT(情報技術)も発達していた。中国が伝えようとしたことと異なる事実が世界に流れた。

 ≪雰囲気一転≫

 私は53年6月、現在の四川省の甘孜(ガンズ)チベット自治州で生まれた。父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は、私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私にもあめ玉をくれたりしたことがある。

 ところが、それがある日、雰囲気ががらりと変わる。子供でも、毛沢東の写真に、傷を付けたりして喜ぶようになった。

 私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが、女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで、摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。

 ■中国指導部 決断の時

 ■交渉相手 ダライ・ラマだけ

 それは1958年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か、追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな集団だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたりしたらしい。

 人々の話では、一番つらかったのは、人民裁判で、奥さんがだんなさんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなければならなかっ
た。

 私の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの一人だ。

 その下の母にはそっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺し、見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。

 80年5月、パンチェン・ラマと北京で会ったとき、一番つらかったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間、独房に入っていたので、私たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。

 チベット全土では、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。

 ≪住職・檀家の関係≫

 中国はあれだけ広いのに、北京の時間で国を統一している。チベットと中国は、2時間半から3時間の時差がある。しかし、北京の時間がチベットに適用されているので、チベットではまだ明るいのに、夕食を食べなくてはいけない。これが現実で、いかに北京中心の価値観が押しつけられているかということだ。

 チベットの面積は中国全体の960万平方キロメートルのうち、250万平方キロメートル。チベット人居住地域にはチベット自治区とかチベット自治州とか、「自治」という言葉がついている。

 チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは吐蕃(とばん)王朝(7世紀ごろから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。

 中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは、元の時代である。それから、明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ、国民に対して正統性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)(中国)とお寺の住職(チベット)の関係だった。

 檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。

 30年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。その証拠に、日本と中国が戦争したときに、チベット人は中国からかり出されなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍がチベットに入ってきた。

 ≪権威、いまだ健在≫

 中国政府は、今回のチベット騒乱を押さえ込んで正常に戻ったと言っているが、実際にしているのは、戦車を町に巡回させ、公安当局が疑わしい人物を捕まえることだ。これが世界中に知られれば、波紋を呼び、問題となるだろう。チベット族の運動の火山帯は活発であり、今後、どういうきっかけで何が起こるかは予想がつかない。そうならないためにも、中国政府は一日も早くダライ・ラマと真剣に対話すべきだ。

 チベット側に、ダライ・ラマが重視する対話などの穏健路線に不満を持っている人がいるのは事実だ。しかし、最終的にはダライ・ラマに逆らうわけにはいかない。ダライ・ラマの権威は、いまだに健在といえる。

 中国政府はダライ・ラマの悪口を言っているが、もしダライ・ラマに何かがあれ
ば、中国政府は交渉相手がいなくなるということを真剣に考えるべきだ。ダライ・ラマの下で問題を解決できれば、後遺症を残さない軟着陸が可能だ。

 ただ、中国側との話し合いがうまくいっていないのは、中国指導部のなかに完全に強い人がいないためだ。これまでの話し合いのなかで、かなり具体的な話はできているが、それを実行するには決断が必要だ。その決断ができないから、話し合いを引き延ばしたりするのではないか。

 もしかすると、中国指導部は現場の状況を把握していないのかもしれない。胡錦濤総書記(国家主席)は昨年秋の中国共産党大会で2期目を迎えたが、彼が力を持てば、チベット情勢は変わるかもしれない。

以上。

 私もサンケイ紙上でのこの文に触れた際に、ペマ氏が心の中ではおそらく相当悲しみと打ちひしがれ、憤っているであろうに、よく冷静に語ってみえると、学者のつらさというか良心を感じていた。

 しかし長年のペマ氏のご活躍を思うと、日本よ、かつての良き隣人愛の精神をどこに追いやったのか。アジア同胞の危機に立ち上がった先人の魂をうしなってどこに漂流していこうとするのか。日本精神の後継者はいないのか。
 
 この叫びがひしひしと、その穏健な言葉の奥から伝わってきてならなかった。長年、日本にみえて、日本人よ、アイデンティティを回復せよと語ってみえる氏の思いにこたえずして何の日本人か。

 現在進行中の虐殺を即刻中止させねば。あらゆる個人、団体で、抗議の声を上げて行こうではないか。

馬台湾総統の尖閣発言に注意すべし。(ロシアの千島根拠なし)

2008-03-25 00:25:48 | Weblog
 領土の画定における紛争当事国は、国際条約や取り決めに敬虔に従わなくてはならない。独善的反国際社会を標榜する国においても。

 わが国は、北にロシア東に中国朝鮮と主張をことにする国と領土の領有の争いがある。いわずと知れた北方領土と竹島、尖閣である。沖ノ鳥島を島でなく岩礁に過ぎなく領海認定できぬなどと、言ったもの勝ちの主張をなす国も在るにはあるが、国際社会のルールはそんなエゴは通さない。国際ルールに基き決せられるものである。
しかし姑息な手段で利益を確保しようとするやからは軽蔑されようと、お構いなく、主張する。人気キャラクターをまねて、国内にコピー商品を売り出し、本家より先に特許申請してしまう不埒な企業や当局を持つ国があるのも不思議なことであるが現実にはある。

 さて台湾馬政権が尖閣領有意志を持ち出すのは、かつての竹島騒動の如き危うさを感じるのは私だけではあるまい。注意を要することである。

 わが政府が台湾領有を放棄したのは法的にはサンフランシスコ条約。この条約を元に戦後の諸問題が整理された。つまり日本は台湾放棄は受け入れたが、その帰属を中国としてはいない。中国が二つの中国は認めないと言っても、わが国は関知せず。あくまで放棄したのみで、帰属を決める立場にないと一貫して発言してきている。それ以上でも以下でもない。しかし尖閣は放棄地にあらず。アメリカも沖縄返還時に日本の説を諒解したことである。

 同様に、樺太・千島。日本が放棄はした。しかしその帰属は決まっていないのだ。では放棄は事実なのか。以下サンフランシスコ条約より抜粋。

 日本国は、一九四二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼされなければならない。

 ここに日本の義務は三年で満了とあり、サンフランシスコ条約で日本が受け入れたのは調印諸国家との間にて決定された事項のみ。

 サンフランシスコに調印しなかった国との責務関係は三年で満了。
つまり調印していないロシアとの間で、放棄義務は三年で消滅しているのである。

つまり放棄の約束は反故になったと解せられねばならぬ。

つまり樺太や千島は関係諸国政府の過半数の同意をとりつけ、日本に返却されるべき島なのだ。

 竹島の帰属も歴史上余りに確実な資料を基に明らかな日本領。
政府は友好の旗を降ろすべきではないが、こと領土問題では親日国といえどもゆずってはならない。

中国知識人の自己反省声明

2008-03-24 10:08:28 | Weblog
サンケイ新聞福島香織記者のブログにチベット独立運動の時系列が詳細に書かれているので、是非お読みいただきたい。ブログ名は「福島香織の北京特派員ブログ」

余りに深刻な、しかも独立を求めるチベットの人々の強い願いが読み取れる。

 いままで知ってはいても記事にならなかったため、平穏に、見過ごして来た北京政府の行為。考えれば、南京三十万虐殺論などの荒唐無稽な話をでっち上げて我田引水している政府が、日本だけに虚偽を捏造していることはありえない話である。

 じつにうかつだった。周辺民族を痛めつけ、チベットだけでも120万殺してきた罪悪を、言論統制で海外に出さないでこれたのもその、独裁の成果であり、対日でっち上げの姿勢から、チベットや東トルキスタンなどの悲劇を憶念類推しておくべきことであった。

外国人記者の立ち入りを拒絶する姿勢は断固糾弾するべきである。
 
しかし、ここに来て中国の良心的と思える学者が声明を出したと記事にある。御用学者ばかりと思っていたが、もしこんな学者たちがいるのならチベット問題の解決の一筋の光となるやも知れないのでここに引用しておきたい。

 
■王力雄、劉暁波、張祖樺、沙葉新、于浩成、丁子霖、蒋培坤、余傑、孫文広、冉雲飛、浦志強、滕彪、廖亦武、江棋生、張先玲、徐珏、李駿、高瑜、王徳邦、趙達功、蒋亶文、劉毅、許暉、王天成、温克堅、李海、田永徳、劉荻ら30人の中国知識分子が、連名で、チベットのこの局面の処理に関する意見を表明。

■①目下、中国公式メディアの偏った宣伝的報道は、民族の仇敵を煽動し、状況の緊張を激化させる効果があり、国家統一維持の長期的目標に非常に有害であり、これを停止することをもとめる。

■②われわれは、善意、平和、非暴力の原則を遵守し妥当に民族問題を処理したいとするダライ・ラマの平和的呼びかけを支持する。無辜の平民に対するいかなる暴力行為を譴責し、中国政府に暴力的鎮圧を停止するよう強烈に促し、チベット族民衆に暴力活動を行わないように求める。

■③中国政府は「ダライ集団が組織的にあらかじめ策謀を練った計画的な事とするにたる証拠がある」というが、ならば、その証拠を提示し、国連人権理事会に対し、その証拠、事実過程、死傷者数などについての独立調査を求めるよう、政府に提案する。それをもって、国際社会の相反する見方や不信感を改変すべきである。

■④われわれは、チベット自治区中国共産党指導者がいうところの、「ダライは袈裟を着たけだもの、人面獣心の悪魔」といった文革時代みたいな言葉が事態の収束になんの役にもたたず、中国政府のイメージに不利であると認識する。我々は、国際社会にとけ込もうとする中国のために尽力し、現代文明にふさわしい、執政の風格を示してゆくべきであると思う。

■⑤われわれは、ラサで暴力行為が発生した当日(3月14日)、チベット自治区で責任者が「ダライ集団の組織的であらかじめ策を念入りに練った計画的事件であるとするになる十分な証拠がある」と説明したことに注目している。つまり、チベット当局は早くから暴乱が発生しうると知っていたわけで、それをむしろ有効に阻止できず事態を発生、拡大させたわけであり、これは内部に汚職が存在する、ということではないだろうか。厳粛な調査、処置を行うべきだ。

■⑥もし、最終的に、これが組織的、あらかじめ策を練った念力な計画的事件であると証明できないならば、これは民間暴動が惹起させられたものであり、暴動を惹起させ、かつ捏造、虚偽情報で中央と国民をだました責任者を追及すべきであり、教訓をまじめに反省し、経験を総括し、今後同じ轍を踏まぬように、しなくてはならない。

■⑦われわれは、チベット民衆に「踏み絵」を踏ませたりや後で責任を負わせるようなことをしないように強烈に要求し、逮捕者に対する審判は、公開、公正、透明な司法プロセスに従い、各方面が心から敬服するような効果に到達しなければならない。

■⑧中国政府が信頼できる国内外メディアにチベット自治区内で独立した取材報道を許可するよう求める。目下、この種のニュース封鎖は、国民、国際社会の信頼をえることがかなわず、中国政府の信と誠をそこなう。もし、政府が真相を昇格しているなら、あれこれあら探しされることを恐れないはず。ただ、開放的態度があってはじめて、目下の国際社会の我が国政府に対する不信感は転換できる。

■⑨われわれは、中国民衆と海外華人が冷静と寛容を保ち、深く物事を考えるよう呼びかける。激烈な民族主義の態度は、ただ国際社会の反感をまねき、中国の国際イメージを損なうだけだ。

■⑩1980年代、ラサに限定されていたチベットの動揺がこのように、チベット各地に拡大した。このような状況の悪化は、対チベット工作に重大な過失があったことを反映する。関係部門は痛恨の極みと反省し、失敗した民族政策を根本から改変すべきである。

■⑪今後、同類の事件発生をさけるため、政府は中国憲法で明記されている宗教信仰の自由と言論の自由の権利を遵守し、チベット族民衆に十分、彼らの不満と希望を表明させ、各民族国民に自由に政府の民族政策の批評と提案を表明させなくてはならない。

■⑫われわれは、漢族チベット族の誤解をなくし、交流を展開し、団結を実現し、政府部門であろうが、民間組織、宗教人士であろうが、すべてがこのために努力するよう希望する。われわれは民族の仇恨をなくし、民族和解を実現せねばならず、民族間の分裂拡大を継続させてはならない。ひとつの国家が領土の分裂をさけるには、まず民族間の分裂をさけなければならない。

 この声明がとりあえず全面的に政府の採用するところとなれば、現時点での危機はひとまずとどまるかと期待したいが。
 しかし120万虐殺とチベット独立への道は総統厳しい。国際機関が調査団を入れて侵略から今日までの徹底究明をはかる事なしに解決はない。






チベット情宣及び学習会

2008-03-23 22:48:36 | Weblog

豊橋にて街頭に立ち、チベット問題を訴えた。友からの誘いに答えて。
 仕事が何とか変更できたので急いで駆けつけた。マイクを持つのは一年ぶりであろうか。

 チベットの問題は台湾、日本の問題である。遠い他国の問題ではない。侵略を固定化しようとする中国政府に抗議しなければそのまま認めることになる。日本の正義に反する。いてもたってもいられないそんな思いからである。

道行く人になるべくわかりやすく語るように気を使ったつもりであるが果たして通じたであろうか。

 後、三十名ほどで講演会に参加。現在の中国の動きと経済的諸問題について危機意識が高まる話であった。

講師は宮本俊氏、博学な方である。
大いに共感。日本の国債地方債残高が千兆円。これを一家族で支払うには、全家庭で平均三千万から五千万位になろうかという膨大な借金大国に陥ってしまっている現実。恐ろしき限りである。

国際競争力は23位。国際信用度はボツアナなるどこかの国と同列。よくもここまで落ちたものだ。自立した国際人を育てなくては日本沈没は自明。そのためには日本自身の良き文化を徹底的に肯定する人材と成らねばならぬ。政治が悪いと責任転嫁してもなんともならぬ。自らがその責任を果たさなければ不可能であるとの厳しき提起であった。

 話は多岐にわたる。結論は教育を徹底的に立て直して国家を担う意識を持つ自立した日本人を育て上げるしかない。それも早急に。

売国親中派代議士には引退していただき親日代議士のみにしていかねば国の復活はない。おおよその議論はそこに行き着いた。

2011年プラスマイナス一年で日本は最大の危機を迎える。それまでにどれほど再興できるかが勝負。成し遂げえなければ日本は溶解してしまう。国家としての自立さえも。

心して国起こしに立ち上がらねばならない事を再度決意した。
 

中国代弁者虐殺容認凌星光の感性を疑う

2008-03-23 10:28:44 | Weblog
竹村健一氏の番組を見た。中国側に立った意見を話す。何と勝手な意見を述べているのかと憤怒しながら聞いていると名前が凌星光福井大学名誉教授とでた。

 調べてみると実にたちが悪い。中国政府の代弁者に過ぎぬ人物。ブログを開こうとしてもでてこない。抗議で炎上している模様。

 ペマギャルポ氏の姿に安堵を覚えた。さすが大人の風格。謙虚で日本人以上の奥ゆかしさと信念を持ってみえる方。知性の塊である。

 今回の中国軍事侵略行動に対しても感情を抑え、冷静に、しかも事実を正確に語る姿に気高き倫理観を感じた。軽挙妄動には走らず粘り強く外交をせよとのダライラマ氏の薫陶をうけた武士の姿を拝見させていただいた。

 三月十日の抗議行動に、棒切れ一つ持っていなかったチベット人の静かな弾圧抗議行動に軍を派遣し殺戮をはかる中国政府にあくまで非暴力をうったえ、解決、話し合いの姿勢を貫くチベット亡命政権に全幅の信頼と敬意を表したい。ペマ氏の如き忍耐強さは、ラマ教の教義のゆえか。かかる友人を日本が得ているのは国家にとって財産である。

 しかし心中はいかばかりであろう。郷土の侵略を受け、聖職者が多数虐殺され、しかも人質にとられた数多くのチベット人が苦難の道を歩いている中で、一国も早く国際社会の応援をと絶叫したいであろうに。

 義を見てせざるは勇なきなり。いやこれは台湾日本の問題である。中国による物的精神的侵略の末路はチベットの危うきと同じである。

 ダライラマの策動の証拠があるなどとよくもぬけぬけと凌教授はこの日本でいえたものだ。誰一人信じていないのに。かかる人がなぜに日本で教鞭がとれるのか、不思議である。

 日本政府は邦人保護のための軍派遣を要請しているのではない。マスコミと政府関係者の入国を要請しているに過ぎないのにそれをも拒絶し、虐殺を隠そうとする中国は断じて許されない。

奇跡は遂に起きなかったが

2008-03-22 23:32:37 | Weblog
台湾の民進党勝利をのがす

奇跡はついに起こらなかった。世界最大の政党国民党が遂に政権を奪取したのである。

「日本の影響力低下へ」 拓殖大学海外事情研究所 澁谷司准教授のコメントは以下の通り。

 クリーンなイメージの民進党も陳水扁総統の家族や側近らの汚職問題噴出で支持者は失望、民意を失った。謝長廷氏は陳氏との違いを打ち出したが党への不信感を覆すには至らなかった。一方で馬英九氏は甘いマスクで人気も高く、台北市長時代の特別費の使い込み疑惑は2審も無罪。致命傷を免れた。
 馬氏は総統就任後、対日関係よりも対中関係を重視し、台湾における日本の影響力は低下するだろう。
 馬政権で安価な中国製品が大量流入すれば台湾産業の空洞化がさらに進み、国民党の公約に対する大方の期待に反し、台湾経済が逆に悪化する恐れもある。米国は親米派の馬氏を御しやすいとみているかもしれないが、馬氏は必ずしも国民党内でイニシアチブをとれる力があるとはいえず、外交面でも波乱含みだ。(談)

 日本にとって厳しい結果となった。しかし民意が決した以上それなりの付き合い方をしなければならない。
 がしかし、国民党も変化しなければ国際的な台湾の沈没は免れないであろう。

 台湾国民がまさか中国に併呑される事を望むとは思えないが、中国の影響を相当受け入れた政局運営となる。台湾の国連復帰に強い期待を抱いてきた小生にとってはやや残念な結果ではある。今後、中国と人的交流や経済協力が大手をふってなされることになろう。
 台湾意識醸成にはまだまだ時間がかかることは仕方ないことであろう。中正記念館の改編も日が浅く、蒋介石へのノスタルジーを消し去るにまで至らなかった。前政権のスキャンダルの払拭に成功しなかったことも敗因であろう。しかしたとえ、政権が国民党にうつろうとも、台湾からの対日旅行者は年を追って増加し、日本との友好関係は損なわれるものではない。

 直前の、そして現在進行中のチベット虐殺に中国政府への不信感はさらに増大することは間違いなく、馬氏も北京とは一線を画さざるを得まい。民主的システムを李登輝氏が導入してからは、228虐殺事件などの事件を起こしようもないわけであるから。
 歴史は逆行できはしない。

 いまは民間での交流を通じて忍耐強く台湾の覚醒を待つときであろう。李登輝友の会など確実に育つ日台友好の動詞的つながりを、より太くしていくしかあるまい。台湾の真の独立のために。

台湾の今後

2008-03-22 15:17:41 | Weblog
台湾の今後
 まもなく台湾での総裁選挙の結果が判明する。情況ががまだわかってないので心配であるが、台湾国民はきっと懸命な選択をしてくれると信じたい。 

 一昨年、台湾にて李登輝元総統にお会いした時お話いただいた講演内容を振り返っておきたい。以下総統の講演の要旨。(口述

 台湾の近代歴史は三つの時代に分けられる。第一期一八九五年から一九四五年まで。二つ目が一九四五年から一九九〇年まで。三つ目が一九九〇年以降。

 第一の時代は近代社会建設にまい進する時代。全身全霊で取り組んだ。鉄道敷設。嘉南大洲、大農業地帯を作り上げてきた。台湾製糖等の産業育成。司法制度の確立。総督府国防学校、大学建設など。文学美術音楽などにおいて華僑の文化束縛から抜け出した時代である。
 八田与一技師は石川県では六聖人として尊敬されている方。台湾では国民の尊崇を集め毎年今でもお祭りしています。華僑文化から離れ台湾人に台湾意識が芽生えた。運命共同体であると。理念が力となっていく時代でした。この時代を見直そうと後藤新平の見直しが近年なされているのです。

 第二の時代、これは中国人の観点から、立場から、国民を支配しようとした時代です。日本語の取り締まり、反日政策、日本を知らなくする政策が徹底してとられた。勤勉責任感などの価値観が崩され、日本を語らない時代となった。数万人の犠牲者を出した二二八事件やその後の白色テロ。政治に口を突っ込む勇気を奪い去ったのです。堂々と意見をいえない。何時政府関係者に聞かれているかわからない。そんな国民党のワンマン独裁政治が徹底してなされた。戒厳令が三十八年間も敷かれた。こんな例は世界中に何処にもない。司馬遼太郎先生との出会いの中で「台湾人に生まれた悲哀」としてあらわされた世界でした。

 第三の時代は万年国会から人民による総統直接選挙がなされ、民主的な一つの主権国家が築き上げられた。台湾支庁はないのです.憲法が変わった。大陸を台湾の領土として国民に教えるのは現実的ではない。しかし大陸の一省としての存在ではない。終身国会議員などは不適切。正名運動を通して台湾人として自らを意識する国民が六十パーセントを超えるところまできましたがまだまだ。

 これを八十.九十パーセントに引き上げねばならない。

 台湾人としてのアイデンティを作り上げなくてはならない。わざわざ独立を言う必要もなく、中国とは国と国との関係になっている。名前は台湾か台湾共和国か呼び名は別にして、実態は主権ある国家として存在している。「屈してもなおやまず」の台湾精神を持って台湾の時代を変えていかねばならない。安定した国家を築かねばならない。

 日本文化の特徴は武士道や大和魂を基にした高い精神性にある。公に忠誠をつくす。危機にあってはおのれの身を捧げることをいとわない高貴な精神である。「板垣死すとも自由は死せず。」あの時、後藤新平はすぐに駆けつけたのです。医者であったから。正しきことの実現には生死すら問わない。この精神性の高さこそ日本文化です。
 さらに一つは自然の中ではぐくまれた情緒の豊かさでしょう。全てに人としての道を見出す。口であげつろうのではなく。生活にそのまま反映させる。華道も茶道も日々の立ち居振る舞いを芸術の世界にまで高めているでしょう。旅にせよ、感動を和歌に読みつづり行く。芭蕉の奥の細道の世界は情緒豊かな芸術の世界です。

 アジアはそんな日本が指導権を握らねばならない。二〇〇七年以降は世界情勢は大いに動くであろう。そのときこそ新しいリーダーシップを発揮するリーダーが必要である。日本の存在がいよいよ重要になるときであります。
                               以上。

 その予言が大きく実現し始めた。韓国は新大統領が誕生。日韓新時代を迎えつつある。果たして今日の選挙結果はどうなるのであろう。世界最大の政治資金を持つ国民党が政権を奪取し、親中政権を樹立するのか、民進党が台湾同胞意識を築きあげるのか。たとえ前者であろうと、北京オリンピックへのボイコット検討をせざるを得ない発言など、出さざるを得ないほど、台湾ナショナリズムは大きなうねりを生み出しているのは紛れもなき事実。スピードが違うだけであろう。チベット問題が自国問題となっている以上、大逆転は起こりうる。

 しかしそのスピードが問題。上海万博までに国民意識が醸成できるか。国家防衛にはアイデンティの創出が必須。いい選択である事を祈るのみである。

財界はいまこそチベット声明を

2008-03-22 09:09:51 | Weblog
 中国は国民国家になろうと必死になってきたはず。言語もあれだけ多い言葉を北京語に統一しようと躍起であると言う。国内矛盾を解決するにはと反日キャンペーンを徹底的になして国内統一をしてきたが、もはや時代の必然として統制が利かなくなってきている。 

 今回のチベット蜂起は単にチベットの自治問題にとどまらず、国内矛盾の露呈、国家崩壊ののほったんとなりうる。北京政府が躍起になるのも充分納得がいく。
 いままでのような国民弾圧が秘密裏になしえなかったのは情報開示政策の結果でもある。北京オリンピック開催に向け、海外メディアへの門戸開放が大きく作用している。封殺できなくなったのだ。海外マスコミの報道規制を再開したようだが、世界は機敏に反応したのだ。台湾も国民党すらオリンピックボイコットを言うようになった。

 さらに市民への携帯の普及が政府の意図を裏切り瞬時に情報を把握できるようになった。経済成長のためには外国資本の導入が不可欠で、今や共産党員以上の人数が外国企業に従事し、給料を働きに応じてもらえるようになった。価値観が変わってきたのである。役人のごまかしによって給料がもらえなくなる事態がなくなれば、媚びへつらう必要なく、結果考えられぬは政府暴動が起きている。

 いまだ報道の少ない反体制の法輪功だが、その組織なみの団体は今は数がぐんと増えている。おそらくチベットの蜂起に国内で共闘を始めているのではないか。

 是非その動きに注目したいが報道が全くされないのも不可解。マスコミに期待したいところだ。政府にとって悩みの種である。

 中国経済はバブルの域にある。日本のハイテクがどうしてもほしい。歴史や靖国に本気で批判しようとは思っていないふしもある。

 日本企業は今までどれほど中国政府にだまされてきたかわからないが、はめられたことを黙っていたから同じ徹を踏んではめられた企業は数知れなかった。しかし本気で抗議すれば一夜にして態度が変わってきたのが最近の中国。日本が撤退するのが怖いのである。日本企業は確かな戦略とこびない姿勢を持って中国政策を進めなくてはならない。

 いまはこの機に財界からの批判がどうしてもほしい。チベットの虐殺を止める鍵は財界からの抗議である。日本の財界が沈黙を守るのはどうしても解せない。

いまこそチベット国民を守るために財界の強いメッセージが必要である。

合格おめでとう 高校入試発表の日

2008-03-21 23:24:40 | Weblog
 今日は愛知県高校入試の発表日。

 生徒にはすぐ報告に来るように言ったあってのであるが、心配な生徒に限って報告がない。もうだめだったのだろうか。しかし、大丈夫だと思いますよと社員の言葉。しかし、心配でならない。

 今年の入試の事前予想は自分で驚くほど。読みどうり。

 数学の図形はほぼ一致。「明日の試験は俺が作ればこれ」と提示したのは三角形の面積だしと円がらみの相似三角形での辺の長さ出し。7・8・9センチで予想したが、入試は7・8・5センチだったか。ほぼ同じ。面積だしも方針は同じ。しかもヘロンの公式で答え合わせもしっかりやっておいた。見事的中の部類である。自分が恐ろしいほどである。自画自賛ではあるが。

 試験に出る出ない。これは生徒にとって最大の関心事であることかも知れない。入試に失敗するわけに行かぬからこちらも必死。生徒も限界に向かってくるしみながらも必死になる。その中で共に進んでいくのは貴重な体験である。

 しかし「それが勉強か」と思われてならない。どこか邪まさのただよう道である。常に自問する。

 かつて、とあるお坊さんに「生徒さんの指導はどうですか」と問われ、「生徒が東大受かりました」と得意げに語ったことがあった。一生懸命、ともにがんばってなしえた実績を誇ろうとしていたのでした。見透かしたごとく「杉田よ、それがなんだ」「勘ちがいしているぞ」と厳しい言葉。(別に聞かれたから答えたまでなんだ。)と心の中では反発していたのですが。

 しかし確かに大学が、高校が、目標ではない。人生に対する考え方を学ぶのが学問なのです。
 毎日の学問は己の忍耐力や向上心をどれだけ深め得たかによってはかられなければならない。自分がなせば済むことを、人のせいにして責任を逃れてはいなかったか。自分の気力の衰えを他人のせいにしていないだろうか。成績が本物になるものは逃げないで引き受けた者のみが成功できるんだ。日々そんな事を投げかけてきたつもりである。
 
 宮沢賢治の理想は雨にも負けずにあらわれている。でくの坊になりたいと彼は言う。僕らもでくの坊と呼ばれようじゃないか。友のためにたとえ何もできなくてもおろおろして心配する、そんな自分に。
 生徒に言っている言葉がいまの自分への言葉。おろおろしてるのはプロ教師じゃないと知っていても毎年同じ姿のまま。情けないと思っても進歩できない。

 勉学したものは心が養われなければうそである。やる気になれない自分があるとすれば、本物の勉学ができていない証拠。
 そんな言葉に賛同してくれる生徒が成果を出してくれともに人生の出発を喜べるものである。
 明日は卒業生と食事会。また金がかかるなあ。でも何にも代えがたい喜びである。彼らの決意を聞くことが。

 私の「草莽の記」は生徒にとって入試後解禁.何人が読んでくれるだろうか。

気になった二人見事合格したといってきたのは6時過ぎ。遅すぎるぞ。