草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

日本人の矜持  帝国軍人のますらをぶり

2008-03-09 11:59:59 | Weblog

 明日への遺言。サンケイにてキャンペーンをしていただき実にありがたい。
実在の大英雄をこの映画で知り、なろうことなら三ヶ根に慰霊碑を作り行きたい気持ちである。県の護国神社に有るのだろうか。臼井宮司に伺ってみたいものである。ご遺族の意向もあるであろう。何しろ愛知での矜持であるから。

 昨年の、硫黄島の戦い。暫く前にはアメリカのエリートは全員知っているのに、ほとんどの日本人が知らぬ栗林中将のこと。長野松代出身の立派な軍人です。事実の重みは、魂を抜かれた日本人にさえこれだけの感動を与えているのです。岡田資記念館などどこかに残すべきでしょう。

 私は十五年ほど前に家族を連れて松代の大本営跡と、中将の記念館に行って涙してきました。友人N君の父が硫黄島でなくなられたり、尊敬するS先生が硫黄島の生き残りだったこともあったから。
 決して犬死をするな。の精神で、五日でおとせると思った米軍を二ヵ月も食い止めた。日本軍人死傷者は米軍のほうが多かったというのですから。見事な軍でした。最後の兵は昭和二十四年になって見つかったのでした。戦後4年もたってからです。

 その前のぺリリュー島の戦いも中川大佐の指揮の下、見事な抗戦をしました。一万名の尊い犠牲のもと、本土防衛の前線基地として戦われたのでした。

二年まえ、慰霊に行ってきましたが、無数のご遺骨がまだ島に残されたままです。沖縄慰霊にも行きました。台湾にも行ってきました。行く度に涙してきました。
 硫黄島、ぺリリュー島、沖縄の激戦を含め「大変な犠牲を受けるであろう」と判断したアメリカは日本上陸作戦を取らなかったのです。もし日本弱しと見れば、国土はどうなっていたか想像もできません。

 それまでの日本の完全無条件降伏戦略を放棄せしめ、ポツダムの「有条件降伏」に変えさせたのもこの日本軍の勇猛果敢な戦いのお陰であったのです。
 そして、結果、戦後、安保条約も日本に圧倒的に有利なものとなった。ただで守らせ、戦争に出て死ぬことのない自衛隊が存在できてきた。敗戦国であった日本が経済の復興のみに全力を注ぐことができたのも、敵国アメリカの、日本強しの畏れの故といえましょう。
 善悪は別として、また今日的判断は当然別のことでありますが。

 イラクでも日本だけが戦闘なく、やってこられた。日本の強さ、硫黄島での果敢な奇跡のたたかいが世界の敬意を集めたからでしょう。水なき灼熱地獄に耐えた幾多の人々には申し訳なき思いで一杯になります。将来の日本と日本人の立派な国造りだけを祈り命を捧げられた方々に深く深く感謝尊敬しないわけにはいかないのです。
 
 日本人の琴線に触れる良き映画が数多くつくられる事を期待したい。