草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

国旗掲揚を目指そう

2008-03-16 23:08:50 | Weblog
 昨日、昼間、車にて名古屋行き。約束の時間に間に合うように行くつもりが途中二箇所寄り道することに。国旗掲揚の話である。

 祝日でないため、国旗が掲げられているのは消防署と高校。嬉しいなと思いながら走ると、企業も掲揚してくれている。 

 トヨタ市に入ると、国旗がボツボツ出してある。いいことだと思いつついるとどうも変だ。よく見ると三本のポールの中央に国旗がなく、低い、左側のポールに掲揚されているではないか。中央には社旗が翩翻と掲げられている。

 徒然草の丹波詣ではないが、不思議に思って大企業の事務所に訪問して、そのわけを伺う。しかし、特に意味がないとの返事。掲揚のお礼は言いながらも国家あっての御社の繁栄と思いますので、国旗を高々と中央に掲揚願いたいとお願いした。

 しばらく走るとそれがまたもや。再度お寄りし、要請する。ついでに国家問題についてお話してきたのですが。無論全く知らぬ方でしたが。

 かつて、とある高校に国旗がびりびりのままかけてあった。あげっぱなしで相当たっていた。余りにひどいので交換をお願いしたのが教頭先生。答えて言われるのは、「校長が不在のためわかりません。」何と。いないときは自分が責任者でしょう。「恥ずかしきこと早速変えましょう」との返事が返ってくると思っていたのに驚いた。「換えなければ国家に対し非礼ですよ。」
 そうはいっても、言葉の端々に(出したくない、ぼろで何が悪い)というニュアンスを感じ、「それじゃあ、教育委員会にお願いして換えていただきましょう。」

 こう啖呵をきって帰ったが、程なく変わっていた。教育委員会の名は効きますね。
 小学校の運動会でも半旗になっていてもそのままだったのを注意したことも。出ていれば良いのではなく気持ちが入っていなければ。

 三月二十日の掲揚状況に何かしらの変化がでてくれればと願う。

チベットを守れ

2008-03-16 22:00:38 | Weblog

 遂に恐れていたことが起こった。チベットにおいて血の粛清がなされてのである。
 報道によれば四百名を越すラマ教僧侶や国民の自治権の求める平和なデモに対して中国兵が発砲、死傷者は百名を越すと見られている。 

 かつて、独立国家であったチベットに弾圧を加えた中国は、遂に宗教的指導者ダライ・ラマ氏を国外追放に成功。国土を呑飲し、漢民族の植民の地とした。形式的には宗教の自由を認めさせながら、実質上、僧侶は中国政府に追随するもののみを任命し、ダライ・ラマ批判をしない僧侶は追放したのである。
 新たな少年をラマ十一世でしたかに任じ、ラマ教を政府の支配下に置いた。その後、その聖職者はインド亡命政府を頼ってダライ・ラマ師のもとに亡命したと聞いていたが、久しくペマギャルポ氏のお話を伺う機会に恵まれず、その後の経緯を知らずにいた。  

 亡命政府、ダライ・ラマ氏は、国家再建の願いを当然持ってみえるはずであるが、武力による解決は望まれず、自治権の拡充を希望してみえたという。
 アメリカ議会の人権問題小委員会での「チベットに関する5項目の和平案」で 、チベット全土を平和地域とする。チベット民族の存続を脅かす中国の人口移動政策を放棄する 。チベット民族の基本的人権および民主主義に基づく自由を尊重する。 チベットの自然環境を保護し、回復させる。チベットでの核兵器の製造、核廃棄物の投棄をしない。チベットの将来の地位について、また、チベット人と中国人との関係について、真剣な交渉を開始する。そして、チベット人による本当の自治権が得られれば独立は求めない、と譲歩もしている。

 となりの新疆自治区(東トルキスタン)では核実験により数十万人が死亡しており、氏の希望は余りに当たり前すぎる要望に過ぎないのだ。

 しかし、中国政府は植民地政策を強力に推し進めた。中国共産党は中国の他の地方で共産主義による急速な「民主改革」を進めていたが、協定後は、チベットの事情に配慮して「チベットには改革を強制しない」と約束した。しかしまったくことばだけ。現在にいたるまで、「銃口から政権が生まれる」という有名な言葉どおり、中国はチベットに銃口を向けつづけたのである。

 仏教国であったチベットの九十五%以上の僧院を破壊し、多くの僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を持ち去って溶かした。また、僧院を中心とした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に分配し、遊牧民から放牧地を取り上げて定住させた。

 チベット人の中国への抵抗はしかし根強い。中国に従わない者は容赦なく投獄されたり殺された。もともとそれほど多くの人間を養うような肥沃な土地の少ないチベットに軍人などが急に流れ込んだために食糧事情が悪化し、大量の餓死者もでた。
  チベットの文化やチベット人のアイデンティティの破壊、人権の抑圧は、現在も着々と進む。僧院などの宗教施設は形だけは復活しましたが、僧侶の数に制限が設けられ、共産党のチームが駐屯して「愛国教育」と称する講習をなす。そこでは、チベット人の指導者であるダライ・ラマ法王をののしることが強制され、嫌がる者は僧籍を剥奪されて追い出されたり「分離主義者」として投獄されて拷問を受ける。
 中国支配の下でチベット語を教える教師が減り、したがって、チベットを学ぶ機会が減り、中国語しか話せないチベット人ばかりが増える。多くの役所や職場を牛耳っているのは中国人。中国語ができないと就職すらできぬという。 その中での平和なデモの実施であったに過ぎぬのだ。それに対して、中国は何をなしたのか。目をそむけては断じてならない。

 われらは思い出さなければならない。ナチスドイツがベルリンにてオリンピックを開催した。そのとき、各国首脳が参列していた事を。ヒトラーは、そのまえで自国の誇りをうたい上げ、国内矛盾を昇華し、遂に何を始めたかを。

 しかし、日本は、国是として民族平等の精神を打ち出していた.杉原千畝氏や、東條英機氏・樋口李一郎氏などの関東軍が、どれほど多くのユダヤ人を救い出したかを。

 いかに強大な軍事力を誇るシナとはいえ、われらは大東亜解放、アジア解放に命をかけられた先人に恥じる行為はできぬ。

 今こそチベット国民の救済に立ち上がるべきである。