大雨で隠れてしまった橋(笠置潜没橋と恋路橋)…

2024-06-22 01:29:42 | 花や風景など
月ヶ瀬を訪れて、五月川の水位が低いとかなんとか書いていた6/21。
実際の訪問日は6/16でしたが、本日6/21に再び国道163号線を通ることがあって、
やはり気になりました。昨夜からの雨が凄かったので💦

「恋路橋」(JR大河原駅前)と笠置の「潜没橋」の過去ログをご覧いただいて、
実に多くの写真を撮っているのです。

が、さすがに「潜水」してしまっているところは見たことがなく…
最近では6/8に訪れたばかりでした。その時と比べてやはり怖かったです。
伊賀で3つの川(柘植・服部・木津川)が合流し本流の木津川となり、
高山ダム辺りで名張川と伊賀からの木津川が合流する地点ですので、
水量が増えるのは当たり前なんですが、なんだか川の風景が変わってしまったような様子です。

笠置潜没橋と木津川橋梁
  

南山城恋路橋
   

やまなみホール前にて
 



う回路はあるとはいえ、大変不便なこととお察し申し上げます。
ほんにたまたま通ってのことでしたが、午前中まで残っていた雨でした。
いきなり豪雨になることも、降り方が急に変わる最近の様子に、
雨の日のお出かけも注意深くしないとな、と言い聞かせております。

ではまた

2024/6/26追記
昨日、moni5187からコメントに頂いた詳しい街道情報、
そして観光パンフレット、我が家にありましたのでココに掲載。
 


混んだ仕事が入っており、更新できずにいます。
もう少し…💦💦
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潜没橋を渡り、「木津川橋梁(土木遺産)」と「(関電)相楽発電所」へ。

2024-06-08 23:48:24 | つれづれ思うまま
午前中所用を済ませ、久しぶりに南山城辺りへ。
関西本線:大河原駅前のあの「恋路橋」を歩いてみたくなり、
過去ログから「恋路橋


この橋を歩いたら、ちょっとその先の「潜没橋」も当然歩きたくなる。
ということで、2年ほど前は確か工事中だった記憶ですが…
2024/6/8現在、しっかり工事は完了しており、橋の近辺には釣り人多し。
 渡り切ったところで撮影
釣りには良き日和らしく、夕刻に近い時間にもかかわらず釣り人は多し。
橋の端から「木津川橋梁」と白い水の流れ幾筋、
あの橋を「列車」が通れば言う事ないのになぁ…と思いつつ撮影してました。
  
飛鳥路~有市の「潜没橋」を渡ったところで「紫陽花」てんこ盛り。
川沿いに「東海自然歩道」、
この道を下流方面に歩いて行けばあの橋梁に近づけるかもと歩いてみる。

すると、突然列車現る!15時55分。
   
ほんとにビックリの列車(一両だけど)だったのでスマホを構えるだけで必死、
それでも何とか「姿」は見えたか?

そんなことより、この「木津川橋梁」って実は立派な「土木遺産」。
以下、そのネット情報をいくつか・・・
土木学会選奨土木遺産/関西本線木津川橋梁

笠置町観光サイト/木津川橋梁

改良を重ね現代に息づく―明治時代に造られた『関西本線木津川橋梁』

 
もう少し近づけるものならいいのですが、これが限界の「煉瓦積み」。
≪橋台と橋脚は石材と煉瓦で造られ、ほぼ明治の建設当時まま≫とのこと。
たまたまとはいえ、今日ここで見られたこと感動しました

もう少し先に進んで、
 
1928年に運用が開始されたという「関電/相楽発電所」。
これも見たかったのです。

   
潜没橋から見えていた白い幾筋もの水の流れはこれだったのね…
これも調べれば、
≪3メートル強という落差はおそらく日本一(?)の超低落差ダム≫だそう。
凄いもん見たね、嬉しかったです。

笠置町観光情報/相楽発電所

関西電力株式会社/相楽発電所

帰り道、16時22分、再び列車が通る、なんてこと!
  
これも慌ててスマホを構えたもの、列車の端っこばかりしか撮れないけど💦
思うに「踏み切りのカンカンカン・・・」という音が聞こえないので、
いつもそれは突然やってくるのです!

  
潜没橋の真ん中から下流側と上流を見いていたら、なんと

三度目、16時33分列車が通る。
今度は「お茶の京都列車」、なんと!

今日のワタシはなんとなく運が良い
帰り道「有市の国津神社」に寄って、帰りました、とさ。


いい日、でした。
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「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング② 恋路橋・恋志谷神社・大河原大橋へ

2023-03-13 14:43:36 | 関西本線木津亀山間活性化
昭和28年のいわゆる「二八災害」では、一部が大量の土石流で壊れてしまったそう。
それ以後70年間「荒波が襲い掛かっても、逆らわずに静かに身を潜めてやり過ごす」橋。
だからこそ、壊れることなく末永く続いていく…
そんな「恋の路を説いているかのごとき『恋路橋』」と語り部の橋本さんはおっしゃいます。
うまいなぁ、そりゃ「パワースポット」になりますわ(笑)。
それもこれも、この先に秘密があるのだとか。
 (再掲)

  (2021/3/15撮影)
西北側橋標「恋路橋」って彫られているんですが、
ちょっと読めないかも、ごめん。(ぜひ、現地でご確認くださいな)
川幅約100mあり、橋がなかった時代「ここは船で渡っていました」と。

当然「高山ダム」などなかった時代、水量も多く、
渡し舟に乗り、張られたロープを伝いつつ渡る難行だったとか。

※過去動画「恋路橋~大河原大橋」国道163号線(修正:現在は「府道82号線」)と関西本線をバックに



そのまま川沿いの道を歩くこと数分、突き当たりはココ。
恋志谷神社及び天満宮社
 (2021/3/15撮影)

 
(左)「恋志谷神社」、(右)「天満宮」(いずれも2021/3/15訪問時撮影)
今回はグループウォークだったので「本殿」撮影はしませんでした、あしからず。
ここは元々、『天満宮』があったところ。
かつては「古森」という地に「斎(イツキノミヤ)神社」があり、江戸末期元治元年(1864)に合祀。
その神社が「恋志谷神社」といわれ、
≪良縁、恋愛成就、安産にご利益がある≫とか。

どうして?の気持ちを紐解く話がこちら↓(南山城村史より)
≪元弘の乱(1331~1333)で、後醍醐天皇が政治の実権を
 鎌倉幕府から奪い返したいと企図したこと、笠置の僧兵、
 山城加茂や笠置の悪党たちとともに、大河原左衛門尉有重と
 名乗る武士が後醍醐天皇に味方し、笠置城に籠城して
 鎌倉幕府と戦ったという記録が『太平記』に見えます。
 また笠置町の有市や南大河原に地頭が配置されていた≫とか。
≪恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったようで、
 姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。病気が治った後に
 後醍醐天皇がいた笠置へと向う途中で、ここ南大河原の古森に着いたものの
 姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、
 あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
 姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、
 また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けます、
 とあったと言い伝えられています。≫と、話は続き、
700年もの間『恋志谷神社』は、人間関係が希薄になりつつある現代でも
「心の拠り所」としてお参りされる方が多いのでは?…というお話でした。 

   
この時期、「椿の花」の手水舎。
神社境内にてお話を聞き、
今では珍しい「茅葺き吹き抜けの拝殿」(現在はトタンで覆われている)。
  
天満宮拝殿を下から覗き、「天神さんの『紋様』」を見つけ、
そこに「梅の花」が丁度咲いており、自画自賛の写真になりました(笑)。

さぁ、神社に別れを告げますが、
 防火水槽の恋、いや鯉かな?
今日の予定に時間限定「お茶席体験」企画があるので、少々忙しい…
行程表通りに進みたい関係者のみなさん、
少々遅れ気味になる「写真撮りたい人」、申し訳ないと思っています💦

神社から歩くこと10数分、あちこちで梅満開!香りに癒されつつ歩きます。
旧街道沿いのせいか、家紋付きの立派な蔵を持つ家が多いです。


やがて視界が広がり、素晴らしい景観の待つ「大河原大橋」を渡り
現役稼働中の「大河原発電所」へ
では橋から見た「上流側の木津川と大河原ダム」と
「笠置山地の風景」をどうぞ~~
 

下の写真は、2021/3/15「大河原大橋」の橋脚の下から撮りました。
この岸の辺りが昔「船付き場」であった場所かな…と。
  

次回は未だ現役稼働中「大河原発電所(土木建造物遺産)」と「甌穴」からはじめます。
 
ではまたつづく。
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関西本線「大河原駅」から「南山城村の歴史とお茶を巡る・感じる」ウォーキング①

2023-03-12 23:17:00 | 関西本線木津亀山間活性化
2023年2月号の「広報いが」で見て、翌日に応募して間に合った定員25名のツアーでした。
以前、一人で旅したものの詳しいことは何もわからず歩いていたので、
今回は大河原駅界隈の説明をしてくださる「語り部」さんが案内とのこと。
今回デビューとおっしゃってましたがとてもわかりやすいお話で、
見習うべきところ多々、素晴らしい案内をしていただきました。

知人に8時前にお迎えに来てもらい🚙、約20分で「やまなみホール駐車場」到着。
びっくりするほど早かった…(スピードが速い!という意味ではなく)
駐車場の端っこには「農林産物直売所」、まだ開店前。
   
咲き始めの八重の椿と共に、鉄路は北側上方、鉄格子に囲まれた感じの半トンネル?
3枚目写真では「女官谷橋りょう」とのこと。
(個人的感想、うん?「恋志谷神社」に関係ありそうな名前か?)
この半トンネル風、正式名称はわかりませんが(洞門かな?)…調べれば、
二八災害(1953/)時の「大河原駅付近写真」(wikipedeaより)
があり、
ここら辺り、相当な被害だった様子。
確か上野の西山地区も「山津波」が起こった災害でした。
それ以降に出来た土砂災害対策用トンネルかと思われますが…

8時半丁度に「関西本線:大河原駅」到着。(リンク写真は過去撮影のモノ)
 
8時32分、加茂方面から列車も到着。
ホームの外で皆が集まるのを待ちます、
伊賀上野の語り部さん仲間、多し(笑)…

「関西本線木津亀山間活性化同盟会」主催なのですが、
笠置町・南山城村・伊賀市・亀山市・甲賀市が会員となり、
いろんなイベント企画をしてくれ、先ず「残そう!」と活動しています。
それに我々も楽しみつつ相乗りしている感じです。
さて、9時になり主催者や本日お世話になる「語り部」橋本さんのご挨拶。
資料も充実、案内していただけることはとても心強い
 

 当日資料から
関西本線『大河原駅』。

では「南山城の歴史とお茶を巡るメモ」を見ながら「いざ、行かん!」。

国道165号線を渡り、木津川にかかる「潜没橋(沈下橋)」へ。
  
正式には「大河原橋」または「恋路橋」とも呼ばれています。
まぁ「二人で渡ると恋が叶うかも」なんてスポット的な扱い方されていますが、
歴史的には、この橋が完成するまでは「渡し舟」で材木などを大阪まで運んでいたそう。
ここらで採掘される「亜炭(アタン)」「石材」(花崗岩)を大河原駅へ搬出のため、
この橋が昭和20年にできたとのこと。
大雨時には、岸にある目印のところまで大水がきたそうで、

水没したとしても「欄干」がないので引っかかるものがなく、
橋ごと流されることは滅多にないとのことでした。
 
※途中に見えたこの石は、二八災害時に崩壊したもの、
相当な水の威力だったことをうかがい知ることができます。

長さ95.3m、幅3.6mの「石橋」で、
村内の田山や大河原で切り出された延べ石や切り石が使われているそう。
では、丈夫な石橋を自分の脚で確認しつつ渡ります。
川面が近く、流れは光り、遠くに「やまなみホール」。
西に東に壮大な景色を見、木津川の流れを近くに感じながら渡ります。
   

今日はここまでで、
ではまた次回。
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そして「やまなみホール」・「大河原駅」へ

2021-03-21 10:16:30 | 南山城村へ行ったよ
100年以上稼働している「大河原発電所」を後にして、
大河原大橋」に戻り、府道を横断して川沿いに降ります。
   橋の下から、ここは釣り場のようです、
(左)上流側・(中、右)下流側「やまなみホール」裏側が見えます…
ちょっと残念なのは弁当の残骸やペットボトルなどゴミが落ちていたこと。
「ゴミは持ち帰りましょう!」と書かれているにも拘らずです

もひとつ大事なこと!
 「あぶない

府道に出なくても川沿いに歩けることがわかったので、そのまま細い道を進むと…
  
弥陀六地蔵摩崖仏(別名:かくれ地蔵)」の大岩に遭遇
今歩いてきたこの道こそ≪実は昔のままの大和街道≫のようです。
知らないまま歩き始めましたが、意外と奥深い道、ここら辺りは
遠い昔は、「高瀬舟の水運」があったとか…
近い昔、島ケ原から笠置まで船に乗って観光してる写真を見たことがあります(笑)。

 「大河原大橋」と「摩崖仏」を

迷うことなく進むと
 「水辺広場」案内…
ずっと進めば
  
やまなみホール」裏に出ます。
(内緒の話、伊賀にあるホールは大きすぎて、このホールまで「発表会」しに来たもんです(笑))
川側に大きなガラス張りのテラスが見えますが、
このホールに入ってこの場所から見た景色がコレ
 遠くに「恋路橋」です
ここら辺は「桜並木」になっているので
 「水辺のテラス」が用意されてますよ~~
ホールの2階屋上から
 関西線大河原駅手前のトンネルが見え
表の外観は
 コレ!
「表」と「裏」の景観の違いに です。

あちこち歩き廻った散策もいよいよ大詰め、
府道に出て「大河原駅」に向かいます。
 駅前の花壇に春!

  南山城観光案内&恋路橋標識

 
府道から左へ、、、元居た場所に(駐車したところ)、
新たな「バイク&恋路橋」撮影者がおりました、とさ。
やっぱりココはビュースポット でした。

歩いた道を辿るだけで精いっぱい
もうすぐですけど、「桜」の頃など デス。

ではまた(伊賀では「市議選」始まります、新旧交代でもあれば何か変わるかなぁ…)
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「恋路橋」はビュースポット、そして「恋志谷神社」へ

2021-03-18 11:08:46 | 南山城村へ行ったよ
晴れて、気持ちの良い朝、吹く風に心地よさを感じる…
いいですねぇ、新鮮な空気と川の流れと山々の空気…
前の日(3/14)、眠る前に「明日は沈下橋わたろう!」と決めた。
ワタシにしては計画的です(笑)。

伊賀市とは「定住自立圏内」の南山城村、京都府で唯一の「村」です。
国道163号線(「京都いづみチャーミングロード」というらしい)から外れ旧国道へ入る、そこは「府道82号線」。
 ここを左折、
このバイパス道ができるまでこの道は普通に走っていた道なので、ちょっと過去に戻る感じ…
今では出会う車も少ない、けどね、ここ(南山城村)には「たからものが一杯」。
 こんなルートで歩きました、
長いようで長くない、丁度いい塩梅の散策ルートでしたよ。

JR関西線「大河原駅前、左斜めに下る道があります(伊賀から行った場合デス)、
その先にいわゆる「沈下橋」があって、傍らには駐車できるスペースあり、
そこに車を止めて、しばしの散策に出かけます。
 
ここがかの有名な(知る人ぞ知る)「恋路橋(コイジバシ)」です
「マイ二輪車と恋路橋」を撮りに来る人、先ず一人お目にかかりました(笑)。

  
(右)上流側、(左)下流側、やまなみホールを見る、歩いて渡るとゾクゾクします(ワタシ 泳ゲナイノデ)。
対岸に渡って振り返る…
 「恋路橋」は、川の高さで川を見る感じ
そのあと一本道を進みますが
 この注意書きは行く先々で見かけます。
このまま道なりに行けば、
 「恋志谷神社&天満宮」に突き当たります。

この二つの神社は同じ敷地内にあるので、
(詳細は「村へ行こう!南山城村へ!」HPをリンクしています。
かなり詳しく書かれていて「南山城村体験観光推進協議会」さん、すごいなぁ!と感心しています。
ワタシはこのHPを読んで行きたくなったので…(笑))

天満宮社
   
「天満宮鳥居」「手水舎」「境内への石段」「梅と拝殿」です。
≪「天満宮の拝殿」はトタンでおおってありますが茅葺きです。
天井がなく吹き抜けになっています
江戸時代には、ここで雨乞いの花踊りが奉納されていたようです。≫(HPより)
  こんな風に造られているのか!
覗くとよくわかります、保存のためのご苦労がしのばれる…

恋志谷神社】(コイシダニジンジャ)
 「恋志谷神社(左)と天満宮(右)」本殿
ココで、「恋志谷の悲しい物語を」~~

≪「恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側女であったといわれています。
後醍醐天皇は元弘元年(1331年)に笠置山で北条高時を打ち破りましたが、
天皇の軍勢は旗色も悪く敗れてしまい、翌元弘2年3月に隠岐へ配流されました。
一方その時、姫は病気を治すため伊勢の海辺にいました。
そして病気が治った後に後醍醐天皇がいた笠置へと向う途中で、
ここ南大河原の古森に着きました。姫は後醍醐天皇が既に笠置山を去った後であることを聞き、
あまりの悲しみのため持病が再発し、自らの命を絶ったのでした。
姫が遺した辞世の句は後醍醐天皇を愛慕していること、
また自分の病気を歎きながら後の世の人の病気や苦難をわが身に受けますとあったと言い伝えられています。
そのためその言葉を人々に伝え、これを永遠に伝えます。」
南山城村教育委員会≫とのことです。

名前と言い、この物語といい、乙女心?をくすぐる話です。
そんな伝説につられて、3度目の訪問です(笑)。
 全景になります。

 東海自然歩道案内板(押原~柳生版)

隣には、
真輪院(十輪寺跡)
ここは、「柳生友矩」のお墓があるそうです…
  


ここから、一気に歴史は進み「大正時代」、
「大河原発電所」(土木建築遺産指定)へ…
通るたびに「景色」として知っていたのですが、実際に行くのは今回が初めて、
だから余計ワクワクなのです
今回の行程は全て車で行けるのですが、季節も進み、
木津川を挟んで歩くのもまた風景が変わって楽しいかなと思いました…
あちこち巡りながらなので全行程4㌔ほど、約8000歩です(笑)。

では、大正時代のレンガ造り、現役で働く発電所へ
つづく
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伊賀城和訪問第2弾「笠置の國津神社」、恋路橋へ

2020-12-08 00:21:08 | 南山城村へ行ったよ
JR関西本線の大河原-笠置間で木津川を跨ぐ鉄橋が見える川沿いにこの神社はありました。
ここは、国道163号線も通ってます、ほんにすぐそばです
ここから汽車は川を渡っていきます…

たまたま、鉄橋下で工事をしているらしく、
ガードマンさんがおられ、駐車できるスペースがあったのでそこに止め、
ガードマンさんに「この近くに神社があるらしいので、見学に来ました…」
「へぇ、そんな神社があるって知らんわ、でも行くなら気ぃつけてな、車が多いから…」
ということで、駐車OKでした(笑)。

場所はココ☟


 
笠置の山々と木津川を跨ぐJRの鉄橋。(実はココ駐車場になってました 3t車以下って…)
ここら辺は砂州!?上空写真を見ると荒ぶる川を過ぎてホッと一息のところ、
笠置のキャンプ場はすぐそこ。

   
なんだかね、異次元の静寂に誘われた気分です。
国道を通る車の音もほとんど聞こえません、
でもね、ここにいる間に姿は見ませんでしたけど
ガタンゴトンと列車が通過する音は聞こえました…。
そして4枚目、木立の向こうは木津川、
その川の流れる音は確かに聞こえてきます。

    
こもれびの中、二つ目の鳥居、本殿横から国道が見え、狛犬さんも
  本殿前の狛犬さん
勇ましそうだけど、なぜかかわいい

境内横には杉木立、車が通る臨場感、半端ない!
 
参道から進んで、一周してきたかんじになります。
「由緒書き」や「説明書」等何もないので、「広報いが」の資料によりますと
≪春日造りの本殿、南を正面に建てられている。
現在の本殿は、元禄3年(1690)に建てられた春日大社の本殿を移したもので、
棟札から正徳元年(1711)に移されたことがわかる。
春日大社の本殿を移していることから、春日大社と国津神社は
深い関わりがあったことがうかがえます≫とのことです。

  
(左)笠置方面から、(右)大河原方面から
対面から見ると
 こんな所に、、、
一瞬で通り過ぎてしまうので、なかなか気が付かない由縁です。

本殿そのものがなかなか見られなかったのですが
国道を歩きつつ戻って、微かに見えた
 本殿後姿です。
【國津神社】(笠置)は、京都府の登録有形文化財となっております。

なかなか私的に謎の多い神社でしたが、国道傍のわりには静かで、
木津川の水運と何かしら関わりもあるのかなぁ?なんて想像力を掻き立てられました。

さて、帰り道、バイパスではなく旧道を通ります。(すっごく懐かしいかんじ…)
「JR関西線/大河原駅」、乗降したことはない駅ですが、
高校の先輩がここから通っているというのを聞いた記憶があって、
きっと昔から変わることのない駅なんだろうなぁ~~と。
   大河原駅、線路が近い!

その大河原駅前の木津川には…
   
魅力的な名前の南山城の「恋路橋」(沈下橋)、そこを通る車、東には「やまなみホール」が見えます。
近くに「恋志谷神社」があり、悲しい物語が語り継がれている歴史ある場所につながる橋です。
  
話せばきりがなくなる…またいつか「南山城紀行」を書いてみたいものです。

ではまた
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