「伊賀の里歴史ウォーキング2023」前編、上野台地への坂道で汗をかく…

2023-04-03 13:39:48 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
2023/4/2(日)、10時30分「JR伊賀上野駅」を出発。
 
満開のと、スタッフさんの笑顔に送られ、いざ
目指すは「伊賀上野城」「俳聖殿」のある上野公園。

伊賀上野駅から真っ直ぐ南に進むので「お城」は見えている…
そこまでがなかなか遠い、参加者20名が5グループに分かれ、
それぞれに「語り部」2名が前後に付き、
主催である商工会議所のスタッフも「交通安全第一!」の見守り隊に入り、
和気あいあいと進みます。

「服部川」を渡る橋の上では、振り返って「お斎峠」のある信楽の山々を見る。
あの山を越えれば「京都・滋賀」へ、

西の山を抜ければ「奈良」へ、
これらの府県はみなお隣同士、伊賀は国境・秘蔵の国
大河ドラマ「どうする家康」では「神君伊賀越え」はどのように描かれるのでしょうね?
ドラマはドラマとして、
「お斎峠」からずっと東へ続く山並みの獣道のような山中の道を
小走りで進み、途中土豪に襲われつつも、柘植の「徳永寺」で小休止。
一気に「白子の海」まで行った、と書くのは簡単ですが、
天正10年(1582)6月2日に堺を出て、2日後の6月4日に本国の三河に着いた(通説)とのこと。
家康さま一向にしてみれば「命からがら必死の道行き」だったと思われます。


橋を渡り終え、信号をそのまま真っ直ぐ。
右手には「エクセディ」(旧:大金製作所)の工場群・社宅群、広いですね。
各種クラッチを世界25ヶ国44社で生産販売しています。
「なでしこリーグ」で活躍する『伊賀FCくノ一三重』のスポンサーでもあり、
選手のほとんどは当社社員として働きつつ、活躍しています。

 開化寺を裏から見る
「お城」はそこに見えているけど、少し右へ逸れ気味に「開化寺」「小六坂」へ。
では『開化寺』(小田町)見学。(リンクは「伊賀へいらっしゃい」より)
「開化寺山門」「観音堂」「三重塔」は『国登録有形文化財」。
*明治11年開基
*寺名の由来は、明治の文明〝開化゛からといわれる
開化寺山門」は「薬居門形式」で装飾性に富み、明治に移築されている。
 

三重塔
*日本で一番低いとも、県下でも木造層塔はこれ一基
*上層:法隆寺、中層:四天王寺、下層:京都八坂の塔の合体型
 

観音堂

*明治時代に、江戸時代に建てられた菅原神社の「庚申堂」を購入、移築
*堂内に「身代わり十一面観音立像」あり

「三重塔」南側に、上野小田村出身の俳人「橋本鶏二」(ハシモトケイジ/1907~1990)の句碑
「鷹の巣や 太虚に澄める 日一つ」(太虚(タイキョ)=おおぞらのこと、季語は鷹)
 

小六坂』とは、(薄暗く写真は撮れず、あしからず)
*開化寺から藤堂藩鉄砲練習場のあった「西之丸」へ上る竹林
*開削者:田村小六から名前がついた
*平成9年の「上野市ウォーキングトレイル事業」の一環で整備される
*坂の途中に、中世伊賀の守護職であった「仁木(ニツキ)義視」の城館あり
*丸山城ともよばれ、筒井定次も一時居住していたとか…

 
「西之丸」台地の北側の縁を下ります、ここからは正面に「お城」が見える、
でもまだ遠い…外堀があったであろう道を渡り「旧小田小学校」へ。

待ち受けた景色…そして「小休止」。


つづく

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