2023/4/2(日)、10時30分「JR伊賀上野駅」を出発。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/18/e72bd094dca15059093f8018a57bf830_s.jpg)
満開の
と、スタッフさんの笑顔に送られ、いざ
目指すは「伊賀上野城」「俳聖殿」のある上野公園。
伊賀上野駅から真っ直ぐ南に進むので「お城」は見えている…
そこまでがなかなか遠い、参加者20名が5グループに分かれ、
それぞれに「語り部」2名が前後に付き、
主催である商工会議所のスタッフも「交通安全第一!」の見守り隊に入り、
和気あいあいと進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/bd/3547a238350b8cddfad63884720a390f_s.jpg)
「服部川」を渡る橋の上では、振り返って「お斎峠」のある信楽の山々を見る。
あの山を越えれば「京都・滋賀」へ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/91/36b8652c2eb829be9152ce134ae06787_s.jpg)
西の山を抜ければ「奈良」へ、
これらの府県はみなお隣同士、伊賀は国境・秘蔵の国。
大河ドラマ「どうする家康」では「神君伊賀越え」はどのように描かれるのでしょうね?
ドラマはドラマとして、
「お斎峠」からずっと東へ続く山並みの獣道のような山中の道を
小走りで進み、途中土豪に襲われつつも、柘植の「徳永寺」で小休止。
一気に「白子の海」まで行った、と書くのは簡単ですが、
天正10年(1582)6月2日に堺を出て、2日後の6月4日に本国の三河に着いた(通説)とのこと。
家康さま一向にしてみれば「命からがら必死の道行き」だったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/5d/cf6d4baf2119625c24c6a497b1578f3a_s.jpg)
橋を渡り終え、信号をそのまま真っ直ぐ。
右手には「エクセディ」(旧:大金製作所)の工場群・社宅群、広いですね。
各種クラッチを世界25ヶ国44社で生産販売しています。
「なでしこリーグ」で活躍する『伊賀FCくノ一三重』のスポンサーでもあり、
選手のほとんどは当社社員として働きつつ、活躍しています。
開化寺を裏から見る
「お城」はそこに見えているけど、少し右へ逸れ気味に「開化寺」「小六坂」へ。
では『開化寺』(小田町)見学。(リンクは「伊賀へいらっしゃい」より)
「開化寺山門」「観音堂」「三重塔」は『国登録有形文化財」。
*明治11年開基
*寺名の由来は、明治の文明〝開化゛からといわれる
「開化寺山門」は「薬居門形式」で装飾性に富み、明治に移築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7f/16/77f5a6898bbc71ea16dae2693543f457_s.jpg)
「三重塔」
*日本で一番低いとも、県下でも木造層塔はこれ一基
*上層:法隆寺、中層:四天王寺、下層:京都八坂の塔の合体型
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/1c/f3d8a02d7b47909ae9a51a159f9dc649_s.jpg)
「観音堂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/53/17/6a19e5ea25f18509f3e58ea2ba04e6db_s.jpg)
*明治時代に、江戸時代に建てられた菅原神社の「庚申堂」を購入、移築
*堂内に「身代わり十一面観音立像」あり
「三重塔」南側に、上野小田村出身の俳人「橋本鶏二」(ハシモトケイジ/1907~1990)の句碑
「鷹の巣や 太虚に澄める 日一つ」(太虚(タイキョ)=おおぞらのこと、季語は鷹)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/01/6e86b83f459e93e3da23afd0c2d38ade_s.jpg)
『小六坂』とは、(薄暗く写真は撮れず、あしからず)
*開化寺から藤堂藩鉄砲練習場のあった「西之丸」へ上る竹林
*開削者:田村小六から名前がついた
*平成9年の「上野市ウォーキングトレイル事業」の一環で整備される
*坂の途中に、中世伊賀の守護職であった「仁木(ニツキ)義視」の城館あり
*丸山城ともよばれ、筒井定次も一時居住していたとか…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/f3/fce38a2c1458c788d9bffd070d4394d8_s.jpg)
「西之丸」台地の北側の縁を下ります、ここからは正面に「お城」が見える、
でもまだ遠い…外堀があったであろう道を渡り「旧小田小学校」へ。
待ち受けた景色…そして「小休止」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/6a/173df5adb5496382c8e0b74e485e255f_s.jpg)
つづく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6a/e9/2e521dabcceca36aef0b02ab72d07529_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/66/18/e72bd094dca15059093f8018a57bf830_s.jpg)
満開の
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目指すは「伊賀上野城」「俳聖殿」のある上野公園。
伊賀上野駅から真っ直ぐ南に進むので「お城」は見えている…
そこまでがなかなか遠い、参加者20名が5グループに分かれ、
それぞれに「語り部」2名が前後に付き、
主催である商工会議所のスタッフも「交通安全第一!」の見守り隊に入り、
和気あいあいと進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/bd/3547a238350b8cddfad63884720a390f_s.jpg)
「服部川」を渡る橋の上では、振り返って「お斎峠」のある信楽の山々を見る。
あの山を越えれば「京都・滋賀」へ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/91/36b8652c2eb829be9152ce134ae06787_s.jpg)
西の山を抜ければ「奈良」へ、
これらの府県はみなお隣同士、伊賀は国境・秘蔵の国。
大河ドラマ「どうする家康」では「神君伊賀越え」はどのように描かれるのでしょうね?
ドラマはドラマとして、
「お斎峠」からずっと東へ続く山並みの獣道のような山中の道を
小走りで進み、途中土豪に襲われつつも、柘植の「徳永寺」で小休止。
一気に「白子の海」まで行った、と書くのは簡単ですが、
天正10年(1582)6月2日に堺を出て、2日後の6月4日に本国の三河に着いた(通説)とのこと。
家康さま一向にしてみれば「命からがら必死の道行き」だったと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/5d/cf6d4baf2119625c24c6a497b1578f3a_s.jpg)
橋を渡り終え、信号をそのまま真っ直ぐ。
右手には「エクセディ」(旧:大金製作所)の工場群・社宅群、広いですね。
各種クラッチを世界25ヶ国44社で生産販売しています。
「なでしこリーグ」で活躍する『伊賀FCくノ一三重』のスポンサーでもあり、
選手のほとんどは当社社員として働きつつ、活躍しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/25/7459576d69202bc2091aa80e5b5bb96e_s.jpg)
「お城」はそこに見えているけど、少し右へ逸れ気味に「開化寺」「小六坂」へ。
では『開化寺』(小田町)見学。(リンクは「伊賀へいらっしゃい」より)
「開化寺山門」「観音堂」「三重塔」は『国登録有形文化財」。
*明治11年開基
*寺名の由来は、明治の文明〝開化゛からといわれる
「開化寺山門」は「薬居門形式」で装飾性に富み、明治に移築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/43/70a65839dc70cddd9ebf7d879b9a5316_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7f/16/77f5a6898bbc71ea16dae2693543f457_s.jpg)
「三重塔」
*日本で一番低いとも、県下でも木造層塔はこれ一基
*上層:法隆寺、中層:四天王寺、下層:京都八坂の塔の合体型
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/81/461adcd7a5700a573b129201752bb5e3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/1c/f3d8a02d7b47909ae9a51a159f9dc649_s.jpg)
「観音堂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/53/17/6a19e5ea25f18509f3e58ea2ba04e6db_s.jpg)
*明治時代に、江戸時代に建てられた菅原神社の「庚申堂」を購入、移築
*堂内に「身代わり十一面観音立像」あり
「三重塔」南側に、上野小田村出身の俳人「橋本鶏二」(ハシモトケイジ/1907~1990)の句碑
「鷹の巣や 太虚に澄める 日一つ」(太虚(タイキョ)=おおぞらのこと、季語は鷹)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/1f/37098a3bf2b50a47952a8e9752ac7df3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/01/6e86b83f459e93e3da23afd0c2d38ade_s.jpg)
『小六坂』とは、(薄暗く写真は撮れず、あしからず)
*開化寺から藤堂藩鉄砲練習場のあった「西之丸」へ上る竹林
*開削者:田村小六から名前がついた
*平成9年の「上野市ウォーキングトレイル事業」の一環で整備される
*坂の途中に、中世伊賀の守護職であった「仁木(ニツキ)義視」の城館あり
*丸山城ともよばれ、筒井定次も一時居住していたとか…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/76/11/db1382c5fdcce747f84ccf15dcdd9384_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/f3/fce38a2c1458c788d9bffd070d4394d8_s.jpg)
「西之丸」台地の北側の縁を下ります、ここからは正面に「お城」が見える、
でもまだ遠い…外堀があったであろう道を渡り「旧小田小学校」へ。
待ち受けた景色…そして「小休止」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/6a/173df5adb5496382c8e0b74e485e255f_s.jpg)
つづく
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