国指定史跡「水口岡山城跡」② 本丸跡、眺望良好!

2021-11-25 12:56:39 | 伊賀忍者回廊巡り
 「古城山展望図」
ほぼ頂上近くまで来ているので、おおよそこんな感じに見えます。
上下二段に分かれていますが、滋賀県南西側(湖南と言っていいのか?)を
グルっと3/4くらいは見渡せるいい場所だと思います。
お殿様なら、お城を造るならここでしょ! と思うはず。
(ワタシはこの景色にほぼ100%満足しています(笑)。)
前回の「天翔の櫓」という「展望台」は、現在の櫓みたいなもので、
「水口の城下町」の様子も良く見えました。

まだまだこの先「伝本丸」「伝二の丸」「伝三の丸」と続くようです…
 
「堅掘跡」を覗きつつ、前進あるのみ。

  「本丸跡石碑」
同じ石碑ですが左右から撮ってます、標高282.9m。
やっぱりここに立つと「お山の大将」になった気分になります、
ここからの眺めはやはり「動画」(再掲)にします。


ここでちょっと余談ですが、標高282.9mというのは
「川上ダム」の堤体の標高280mとほぼ同じ高さです。
ダムからの眺めはこんなんでしたけど、
   
北に見える山々の向こうには同じ高さに「山城」があったのか、と。
重機もない時代に「城」を造っていたという事実、
ちょっと感慨深いものがありました。
そしてこの先の「木津川の水運」の歴史、「水口」からの川の流れと合流して
「淀川」に流れ込むのかと思うと壮大なロマンも感じました(話飛び過ぎ? )。

さて、
 「長束正家」さんの案内で
この先を進むと「伝二の丸・三の丸」があったというところに出ます。
かなり広い、幼子たちの運動会くらいならできそうな広場です。(写真はなし)
  
「伝二の丸」には、『長束正家』さんが祀られているという「阿伽之宮」、
「伝三の丸」(東櫓)には「石仏群」。

 二の丸の説明版
水口岡山城跡 東海道の拠点城郭
≪水口岡山城は、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の家臣である中村一氏によって築城
(中略)山頂からは近江国の広範囲を望むことができ、
東海道を眼下に見据え、鈴鹿峠を望む立地も秀吉にとっては、
東国制覇の足がかりとして重要だった。

城主は、中村一氏、増田長盛、長束正家と5年ごとに入れ替わり、
正家が慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、
戦の後に自刃して、廃城となる。
長盛と一氏は豊臣家の奉行衆に名を連ねていた。

南山麓に広がる三筋(ミスジ)の町並みは、東海道五十三次の水口宿として知られ、
水口岡山城の築城と共に整備された城下町がその基盤となっている。(後略)≫


突如思い立ち立ち寄ることになった「水口岡山城跡」でしたが、
なかなか見ごたえのあるいい山城跡で、駆け足のような報告しかできないのが残念。

より詳しいことは☞「滋賀県公式HPより『水口岡山城跡』PDF」をどうぞ。

改めて行くチャンスがあった時は、もっと奥深いところまで見てみたいものだと思いました。

帰り道も「山茶花」の花に癒されつつ、急降下小走りで下りました(笑)。

ワタシの間抜けなところは、「西口」から上ったのに…
「北口」へ下りてしまったこと
西と北では風景が違うので、「ワタシは一体どこにいるの?」
「ワタシの🚙はどこ?」と、
近くの運動場でグランドゴルフをされている方々に尋ねる始末、
半べそ をかきながら、やっとのことで「西口駐車場」へ戻りました
今度行くときは絶対間違えないぞ!と誓いつつ、水口を後にしました🚙

さて、やっとの思いで「甲賀三大仏巡り・櫟野寺」編へ
コメント
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