国指定史跡「水口岡山城跡」(日本遺産 忍者の里 甲賀・伊賀) ① 登山道中

2021-11-24 14:50:00 | 伊賀忍者回廊巡り
  (再掲)
国指定史跡 水口岡山城跡】[標高282m]
先に説明版を転写
水口岡山城は、天正十三(1585)年、水口平野の独立丘陵「古城山」(コジョウザン)
豊臣秀吉の命を受けた中村一氏(カズウジ)によって築城されました。
戦国時代の甲賀は、拮抗した力を持つ甲賀衆(コウカシュウ)と呼ばれる土豪(ドゴウ)たちが、
甲賀郡中惣(コウカグンチュウソウ)という自治的な組織を作って治めていました。
しかし、水口岡山城の築城によって、甲賀衆による自治から、
統一政権による支配体制が変わり、甲賀の歴史にとって大きな転換期となりました。

水口岡山城には、本丸に二つの櫓台(ヤグタダイ)がありました。
そのうちの西櫓台での発掘調査では、甲賀衆の合議の場でもあった
矢川(ヤガワ)神社の神宮寺「矢川寺」の瓦が城に転用されたことがわかりました。
また、本丸が総石垣だったと推定されています。

甲賀衆が築いた戦国時代の城は土づくりの城でしたが、
水口岡山城は石垣を築き、周辺寺院から集めた資材によって建てられた
瓦葺建物(カワラブキタテモノ)を備えた、これまでの甲賀にはなかった新しい形態の城です。
水口岡山城の登場は、当時の甲賀の人々に大きな衝撃を与え、
統一政権による支配という新たな時代の到来を視覚的に示したと考えられます。』

「大池寺」から「櫟野寺」へスッと行こうと思っていたのに、
県道沿いにこんな看板を見たばっかりに、伊賀忍者の血が騒いでしまって…
甲賀と伊賀は仲間ですし、「忍者は日本遺産」だしね、素通りはできません! 
  
「登り口西口頂上まで820m」、駐車場はこの左手側にあります。
(「登り口北口」というのもありますが)
水口城下町の方たちの「城山お散歩コース」のようです…
そして「山茶花並木」がずっと続くので癒されます、が、
登りかけてすぐ「杖」を持って来れば良かった、とちょっと後悔。

 
かなりの急坂でしたが、10分ほど頑張れば「児童公園風」の広場に出ます。
【水口岡山城と城下町】
『山麓に広がる通称「三筋町(ミスジマチ)」は、
築城とともに整備された城下町が基盤となり、
近世東海道の水口宿(ミナクチシュク)として江戸時代に栄えました。
現在、水口小学校 の南側を流れる水路が
城郭と城下町を区画する堀の痕跡と推定されます。
城下町の町割りと城の構造を比較する と、
伝本丸の西櫓(デンホンマル ニシヤグラ)を基準として設計されたと考えられ、
築城当初から城郭と城下を一体的に整備した様子がうかがえます。
「江州水口城図」(部分 国立公文書館蔵) 』
  城山(古城)児童遊園地作成
  水口宿をよくする会
  甲賀ロータリークラブ
  水口岡山城の会   

参考記事「水口宿」(いま滋賀.jpより)

こういう説明版が多くあるのでとても分かり易い、さすが国指定史跡。

そしてこの登山道には、応援団がたくさんいて励ましてくれるので嬉しいですよ(笑)。
   

「児童公園」から先を進むと石仏群が並んでいますが、
時間の都合もあって「石仏群」は、いつか機会があれば…ということで省略。
公園から上に登る階段がありそれが頂上への道になります。
  
途中、山城を構成していた建築物の道標は至る所にあり、
石垣もあったようですが、ワタシは頂上に行くことしか頭になかったので
道標は割愛、スミマセン。

  
ここで「広場」に出ます、そしてトイレ、沙弥さんに励まされる…
 頂上まで200m
最後の急坂、少し頑張れば、、、「児童公園」から約15分。
伝西の丸」と呼ばれる広場に出ました!
そこには「櫓」、真っ先に登る…
   
そして、景色はスゴイです、圧倒されます
4枚に撮ったモノを下手だけどつなげてみました…
 小さいか💦


左から「甲南・甲賀方面」、「奥に信楽・飯道山方面」
「手前辺り水口界隈」、「右奥に琵琶湖方面」。
こういう時はやっぱり「動画」かな(笑)。
 
さぁ、頂上まであと130mです。

「頂上本丸跡」「二の丸」は、次にします💦
コメント
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