風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1155)房総ワンデイハイク 佐倉市臼井(5景目 雷電2景)

2011年12月01日 | 千葉彷徨
 いよいよ師走。春先の自粛ムードは彼方に消え去り、忘年会が例年どおり全国あちこちで行われるのでしょうが、最近周囲からはお酒で失敗した話が聞こえてきます。かくいう私も数度失敗したことがありますので偉そうな事は言えませんが、人様にこれ以上迷惑かけないようにして過ごして行きたいものです。


 「房総ワンデイハイク」の続きです。京成臼井駅をご覧いただいた時に「長島茂雄終身名誉監督の生まれた町」と申しましたが、この町で晩年を過ごした有名人に「雷電為右ヱ門(らいでんためえもん)」がいます。江戸時代の相撲取りで非常に強く、「史上最強の力士」とも言われています。

 雷電は44歳で現役を引退し、奥さんが臼井の人だったこともあり晩年は佐倉市臼井で過ごしました。1825(文政8)年2月に没しましたがその墓は全国に4箇所あり、その1つが佐倉市臼井の浄行寺(じょうぎょうじ)跡に建っています。雷電が没して2年後に後を追った妻と、幼くして亡くなった娘と共に眠っています。


(木陰で眠る雷電一家 -佐倉市臼井台 2011/10/16-)

 この妻の名、「千葉県の歴史散歩(山川出版社)」では「八重(やえ)」とありましたが、実際の墓石脇の石碑には「おはん」と刻まれていました。妻が二人いたのかと思いましたが、「八重」の前名が「はん」なのだと分かりました。

 雷電の墓から国道296号線に戻ると、反対側に上り坂があります。その途中には「雷電公園・稲荷神社」があり、真新しい階段が伸びています。


(稲荷神社への参道 -佐倉市臼井台 2011/10/16-)

 その階段を上りきると古めかしい敷石がお稲荷さんに向かって続いていました。雷電が寄進した敷石で、元々階段に使われていましたが、石段改修の際に保存のため敷石に再利用したのだそうです。


(200年以上踏まれ続けた石段 -佐倉市臼井台 2011/10/16-)

 何故でしょう?この石段に趣きを感じてシャッターを切りました。どすこい。




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