風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1156)房総ワンデイハイク 佐倉市臼井(6景目 明倫中学跡)

2011年12月02日 | 千葉彷徨
 今年の新語・流行語大賞に、「震災に沈む日本を元気づけた」という理由で「なでしこジャパン」が選ばれました。しかし流行語は一過性、昨年の大賞も思い出せませんでした。と書いてから以前の前説を読み返したら、毎年似たような事を書いていました。進歩がありませんねぇ(2010年2009年2008年2007年)。


 「房総ワンデイハイク」佐倉市臼井の続きです。寺社が続きましたが、今回ご覧いただくのは中学校跡です。雷電の史跡から旧成田街道を北西に進めば近かったのですが、ちょっと遠回りをしてから旧成田街道に再び出、知らなければ住宅街の道に過ぎないような道を西に進むと、「西さくら道」と書かれた道標が建っていました。


(旧成田街道道標 -佐倉市臼井台 2011/10/16-)

 この道標を建つ交差点を折れずに進むと真言宗の実蔵院(じつぞういん)が建っていますが、かつてここには「明倫中学校」が建っていました。「農家の子弟に中等教育を授け、当時の疲弊した農村の振興を担う後継者を養成する」ことを目的として、1903(明治36)年に時の住職山口永隆(えいりゅう)が創立したものです。

 最盛期の1930(昭和5)年には500名の生徒増員の許可を得る程の規模になりましたが、その後の農村不況等により、1942(昭和17)年の卒業生を以って閉校となりました。説明板には書いてありませんが、閉校の背景には太平洋戦争もあったのかなと思いました。


(当時の明倫中学校校舎 -説明板より-)

 実蔵院の境内には明倫中学校跡を示す石碑が建っており、その脇には校歌を刻んだ石碑がありました。第1節(1番ではありません)の「平田萬里北総の 印旛湖畔の健男児」で始まり、第2節の「かくてぞ我等は奮闘努力 かくてぞ織りなす心の錦」で結ばれており、私の中高時代とは半世紀以上違うとはいえ中々勇ましい歌詞でした。


(実蔵院境内の記念碑と校歌碑 -佐倉市臼井田 2011/10/16-)




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