風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1157)私的岩手通史の旅 第102回(奥州平泉氏 第8幕)

2011年12月03日 | 私的岩手通史の旅
 千葉県もそれなりに寒くなり、昨日は通勤時にコートが欲しくなりました。が、宇都宮在住だった4年前(2007年)の前説を読み返すと、12月5日に初コートと書いてありました。宇都宮より暖かい千葉県に居ながら5日以前に着るわけにはいきません。次の出勤日はその5日、何とか乗り切りたいものです。


第102回 奥州藤原氏-第8幕-(紫波町 五郎沼)

 前九年合戦の最中に生まれ、後三年合戦を乗り切り平泉に仏教都市を開いた藤原清衡は1128(大治3)年、その波乱に満ちた73年の人生を終えました。

 清衡には複数の妻に幾人もの息子がおり、彼らの中から基衡(もとひら)が後を継ぎましたが、「平泉と奥州藤原四代のひみつ(新人物往来社)」を読むと、すんなりと清衡から基衡に家督が継がれたわけではないようです。

 同書によると基衡が清衡の後を継ぐことに他の兄弟達は不満を持ち、特に異母兄弟の惟人・惟常との間での対立は激しくなりました。そこに複数いた清衡の妻が絡んだりしてややこしくなるのですが、最終的に基衡は対立する兄弟を葬り、清衡の後継者としての地位を確立しました。

 奥州藤原氏の歴史の中では大きな出来事だと思うのですが、にわか勉強ではこの骨肉の争いの史跡が見つからなかったので、今回は基衡の兄弟に因む史跡「五郎沼」をご覧いただきます。

 基衡の兄弟で清衡の四男だった清綱は、平泉より北の紫波地域に派遣され樋爪(ひづめ)氏の始祖となりました。樋爪氏の本拠となった樋爪館跡は日詰駅から徒歩15分程の場所にありますが、その南にある小さな沼が「五郎沼」と呼ばれています。


(桜の時期に再訪したい五郎沼 -紫波町南日詰 2011/06/25-)

 五郎とは清綱の子である五郎季衡(すえひら)のことで、彼がこの沼を好みよく遊んだ事に由来して五郎沼となったと伝えられています。樋爪館や五郎沼は陸運と水運の要所に位置し、樋爪氏は砂金採取や馬産によって本家の藤原氏を支えたそうです。ということは基衡と清綱は仲が良かったのかなと思います。


(別方向からの五郎沼 -紫波町南日詰 2011/06/25-)

 訪れたのは東日本大震災から3ヶ月半後でした。まだ東北新幹線は多くの区間で徐行運転しており、迷走する国の羅針盤、放射能・節電と問題山積でした。それから5ヶ月程った昨今、周囲で話題になることや全国のメディアで取り上げられる機会は随分減りましたが、何が解決して何が未解決なのかすっきりしない状況が続いています。

 本筋からは少々「遠い」史跡でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。


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