絆の法則

澤谷 鑛

本物 ~「魂の対談」感想文~

2015-03-31 | 牽引の法則
                    ゆらり(養成講座5期・6期・7期)

澤谷先生と入江富美子先生の「対談」を楽しく聞かせていただきました。
こんな風に書くと失礼かもしれませんが、とても伸び伸びとおおらかに話されていて、こちらまで楽しくなってくる、というのが印象に残っています。

私は、昨年の今頃でしょうか。本物を常に意識したい、と思うようになりました。
今というのは、息する間、という意味なんだそうですが、今に生きようと思っていても、どうしても現象に振り回されている自分、家族や仕事のことで精一杯で、結局、過去や未来に生きている自分に気づくばかり……。人はこんなにも今に生きられないものなんだ、と思います。
よくよく自分の心を扱えるようになりたいと思い、自分の心をよく観察してみると、結局、起こったことで同じような経験をしたときの過去の感情が出てきているだけで、楽しいというのも、過去に同じような体験をして、楽しかったのが出ているだけだったりで、びっくりするくらい、今、この瞬間に生きていないのです。今を見ていない。
今、この瞬間の目の前の人・もの・事、目の前の風景の美しさ、目の前の花の匂い、目の前の人の本物につながろうとするとき、自分も今に在り、自分の本物ともつながっていられるのではないだろうか? ウキウキするような楽しさでもなく、悲しみでもなく、穏やかで、静かな、ほわっと暖かいような、ただ美しい言葉で表現しがたい本物。
どうしてもしなくてはいけないことばかりで毎日が過ぎていくので、本物・今を意識するどころでなくなっている自分。まずしたいことを先にしてみよう。自分を大切にすること、ちょっとでもほっとできること、余裕のある時間を少しでもとってみよう。他人からみたらおかしいことでも、自分がやりたいことをちょっとしたことでもしていこう。好きな音楽を聴く。映画を見る。など絶対的に子供・家族優先でいたのを少し自分の時間を先にとることにしていきました。いつしかしなくてはいけないことに追い回されて、自分のしたいこともわからなくなっていたから、そこからはじめようと思って、昨年は過ぎていきました。

そして「対談」の音声を聞かせていただきました。
最後の方で澤谷先生が、徹底的に「しい」を使うと話されていて、徹底的に「しい」を使うというのは??? と戸惑いつつ、「しい」を、感情を、ダメなものと無自覚に思っていた自分に気づきました。

『へそ道』のご本も再び読ませていただききました。以前購入して既に読んでいたのですが、すべては今のためにあったことをご本を読み返し気づきました。
私は入江富美子先生と山本加津子さんのご本は全て持っています。映画も見ていますので、なんだか縁を感じつつ感想を書こうとしたら、風邪を引き、治ってまた聴き直しました。
以前、自我執着心について、澤谷先生からお聴きしてきたことが、少し体感的にわかってきたような気がしていました。うまく表現できないのですが、冷暖自治していこうと思います。

『へそ道』にある「ほこり」というのが、自我執着心なのでしょうか?
私の場合、今、お義母さんが退院後、すぐ転倒したり、足取りがおぼつかず、お世話が必要な状況です。
入院前は、一人で家事もこなされていたので、また家事が増えることになり、あ~めんどくさい、嫌だ、と思ってしまいます。
嫌だ、メンドくさい、と思っているな~、で終わればいいのですが、そんな自分はダメだと思い、できるだけ頑張らなくては、とがんばり、無理してイライラして……。でもそれを言えず、そのうち子供が小さい時や私が病気したときなど、ひとつも手伝ってくださらず、「私はあんたの世話にならんから自分たちのことは自分でしなさい」と迷惑そうに言われたことなどを思い出し、引っ張り出してきて自己正当化しようとしつつも、結局、いやいや無視もできない、と食事・洗濯・掃除をなどしている自分です。
嫌だ、で流してしまう、そこからあれこれ思考しないで、嫌だという感情を感じきる、嫌だと思うのは自分を守りたいから、という不完全で可哀想な自分がいるからで、嫌な気持ちが湧くのは、デトックスすべきものがあるという真我からのメッセージであり、そこに気付いて、何が嫌か? どうしたいのか? 不完全な可哀想な自分をみている自分がいるわけで、完成されたものを持っているから不完全がわかるのです。不完全が不完全をみて不完全とは思いません。
本物の自分はどうしたいのか? ほわっと暖かくなるような思いをさがして、そこに行動していくといいのだろうな~、と思いつつ、思考を止められない私です。

真我・本物はいつも自分のなかにあり、本当のあり方をいつも伝えてくれているのでしょう。欠落ではなく希にフォーカスし、現実に抵抗しないで、その本質に調和し、行動していくことが私の課題です。

結局、全て愛なのだから、安心して、どんなことが起ころうと、どんな感情がおきようと、安心して、嫌な気持ちは感じつくし、快の心に変換して、いつもいい気持ちでいられたら素敵です。いかに、今、この瞬間を感じきれるか? いつも今、愛されていて幸せなのだから。

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