しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

今回の地震被害最大の地域だと思います!(陸前高田市)

2013年12月28日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・              【ここまで破壊つくせるものでしょうか】

人々が募って、家族の団欒があったと思います、2年前には呆然と立ちすくんだ場所です
2年前も余りの被害のショックでそれ以上進めなくなり、一関方面に迂回しました、川はがれきで埋まり、
橋の下には運ばれる途中で寄せ集められ民家が埋まってました

(2年前はすべて流されていました、海には高田松原が存在していたのです、動いているのは
 自衛隊の作業車と自衛隊員だけでした)

住民避難先がどこか何も無いのでわかりませんでした



立体交差の土台の橋げただったのでしょうか


・               【町には電柱だけしか立っていません】

リアス海岸は町に用事の無い方はバイパスされるようになっています、従って街のはずれに分岐があります
ここから陸前高田の町が広がっていくのですが、何もない無の世界になっています



まず驚かされるのが御馴染みの写真ですが、アパートは取り壊されずに被害の跡形を
残しております、後ろにもアパートがありましたが津波の第一波は最前線のアパートを直撃した為
後ろの建物の被害の方が少ないように見えます、津波直撃の圧力は素ざましいわりに後方は津波直撃より水に浸かる
状況に見えます、全てが一旬で水底に沈みますから被害は同じようなものです


・               【アパートに刻まれた津波の高さです】

5階建てアパートの4階部分までが破壊されています、コンクリートの建物は壊されませんが
建物は2年たってもそのままです、改築すれば使えそうですが、陸前高田は将来高台化します



高田の松原が海に向かって広がってました


・               【港は地盤沈下が激しいです】

地震による地盤沈下が激しく、水溜りができています

【名勝 高田松原】
「高田松原は寛文8年(1668)~延宝元年(1673)の間に完成されたが、寛文7年10年の間に海浜における
 田地風除松林の手入れについての盛岡藩の令達があり、気仙町の松原は、享保10年(1725)に植栽され
 「天保年間(1830~1843)の凶年に際し、海岸筋は須賀松立のため、田畑指障り等の事もあり、
 その伐採を戒め、同時に諭示を与えたり」とあるをみても、この地方における海岸防汐林の歴史は
 相当古いものとみとめることが出来る」

高田の松原は市民の公園となっておりました



野球場の照明鉄塔だけが目立っています


・               【廃墟と化した野球場です】      

野球場の中はどうなっているのでしょうか?



解体が決まりました、海の中の市民球場

市民球場(高田松原第1球場)の解体が始まりました、高田松原第1球場はチリ地震以後に建設され、
市民だけでなく県大会などが開催されて、多くの地元野球人の憧れの球場として役目を果たしてきました。
震災前、設備の老朽化のため半年かけて大改修工事が行われ、4月には改修記念の野球大会が開催される予定でした。
しかし、改修終了目前に大津波に襲われ設備は無残にも破壊され4機の照明だけが虚しくそびえていました。
残念なことですが、大改修後一度も使用されることなく解体され3月中にはその姿もなくなります。



道の駅 高田松原の建物はたっていますが・・・
         

・              【高田松原には1本の松もありません】

廃墟のようになって残っています、駐車場には車が停まっていますが、何をする人達でしょうか

住民はどこに避難しいるのでしょうか、町に人々はいません


・               【2年もたつのに人気がありません】

町全体が高台化するのでしょうか、今は何も出来ていません。この町に軽自動車のトラックを2台も寄付した人を知っています
震災の最中にナンバーつけて新品の車を送る人は普通の人ではありません、2年もたってお礼の一言もありません
東京ナンバーなので税金は毎年こっちに来るので適わないと仰ってます

(良く怒る人ですが、本心はやさしい人だと思います)



町は2年立っても荒涼としています


・               【町の佇まいは荒涼としています】

人が生活している気配が感じられません。

土台だけが存在しています
 

・              【何か頑丈な建物が建っていたはずです】

上物は何処にあったのでしょうか?

みんな流されてがれきとなってしまったのでしょう、2年前には自衛隊の姿しかなかったです


・               【本日、これ以上はいけません】

国道45号線を下ってきましたが、この景色を見せられるにつけこれ以上まえには進めません

この辺りが奇跡の一本松のところです


・               【残った奇跡の一本松看板です】

松原の中で1本だけ生き残りましたが。幹周りが縄でしばれてグルグル巻きで痛々しい
クレーンにぶら下げて立たされています、遺伝子だけが残されるとお聞きいたしました

(松はそんなに目面しい訳ではありません、震災メモリアルと復興の象徴にしたいのでしょう)



何もなくなっても雑草だけは生えてきます


・               【何もない土地にでも雑草は生えますね】

ここにも民家があったのです、押し流されて川を遡り、崩れてがれきとなりました

これだけの土地を高台化なんてできません


・               【これだけ広大な土地は高台化できません】

鉄塔のような避難用の高台を作れば良いと思います、津波の襲来には時間があります、近くに避難場所を
作れば犠牲者は少なくなりますが、高齢者や災害難民には手が届くのでしょうか



今日の散歩は1時間半、東急ストアーまで行きましたが、先生は散歩して血管柔らかくして
薬をキチッと飲んで、水も飲んで血をサラサラにしてと言ってました、

(家族は3リットル飲みなさい言明です、意識すると難しい量です)

血圧計も買いました、頻繁にチエックを入れてます、食事もカロリー気にしながらですが本日、ラーメンの外食でした



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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