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・ 【おばさん、おじさん、お兄さんもなくして身寄りも少なくなりました】
旭川の母方一族を代表する男の子として頑張って貰いたい、今日も椎間板ヘルニアを患って医者通いですが、無理に会ってくれました
母の兄弟の元子おばさんの孫は美瑛と黒松内にいます、新旭川にいた謹子おばさんの子供は二人とも女性です、身寄りが少なくなりましたが
一族の代表として立ち振る舞って貰いたい
(おじさんで生きてるの上川のおじさんだけ、いとこの代で連絡が取れるのは旭川にいるのはあなただけです)
・ 【JRの旭川駅も新しくなりました】
夏の終わり開かれる道の駅の催事場で繰り広げられる陶器市、駅前から市街に広がるイベント、北のマルシェはたくさんのテント村が林立します
(僕も去年参加してみたら北のマルシェには沢山の模擬店が参加する盛り上がりで全道や全国から人が集まります)
陶器市も小さな窯元さんからの手造り作品が道の駅のイベント会場に終結です、見てるだけでも楽しいです、去年はママがコーヒカップを購入でした
(ママは見るものがあると鉄砲玉ですから何時までも戻って来ませんでした、旭川の道の駅は珍しく市街地にあって僕のキャンカー旅の起点になってます)
・ 【旭川の観光は少ない空港があるのでホテルが多い街です】
旭川は人口が札幌の次ですから行政の中心なのです、観光の目玉は富良野のような観光スポットはありません、観光の目玉として旭山動物園ぐらいです
従って交通が便利な分ホテルが沢山出来てます、200km離れた稚内迄が旭川ナンバーなのです
(この部分は釧路にも似た所があります)
旭川は僕が生まれた町で小学校入学までの思い出が残ってます、親の転勤で北海道内をぐるぐる回ってるうちに小学4,5年次の2年間も旭川で暮らしました
僕にとって小学2年間も同じ学校にいたのは初めての体験で、貴重な小学時代の友人なのです、彼もホテルのコックさんでバブル時期に
コックさんの料理大会などがあって、東京で出席するおりは横浜の我が家にエゾ鹿の肉など持って来てくれました、彼もその後病気になったり、洋食店を出したり
いろいろ苦労があったようです、当時ホテルの厨房の裏方はげんこつが飛んでくる職人世界で、高校生の頃、今の僕にはこれしか作れないと別れ際に出された
お弁当のサンドイッチの味は忘れられないです、彼も僕と同じ後期高齢の老人となりました、今もゴルフ場の厨房で働いています
僕もできるだけ旭川に行くおりは彼を訪問します、今回は母の病気もあって連絡しないままに帰ってきました
(僕には友達がいませんから、話ができる貴重な友人で親友というべき存在です)
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