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・ 【お風呂で館内放送を聞いていると敷地内の食堂で割安な昼食が案内されてました】
地元の野菜天丼にそばが付いて700円とお手頃です、お風呂から上がってこれを頂きましょうとお隣の
「旬鮮かぐらさん」に飛び込みました、入った瞬間にお店を間違えた事に気が付きました
(館内放送では外の和食レストランではなく、館内の食事処の案内なのでして、勘違いした僕が悪いのです)
・ 【お風呂の中にも食堂はあるのです】
紛らわしいね、同じ敷地内に和食レストランと食堂があるのでした、食堂の方は立ち食いのおそばやうどんなどが
食券でスタイルになってました、ここでの天丼セットが700円だったのです
今まで気が付かなかった道の駅にある泥除けカーペットです
・ 【同じ図柄で色が違ってました、泥を落としたくないですね】
旭川市がやる事に力が入ってます、泥除けカーペットの次に絵面のカーペットの二重敷でした
・ 【大雪山連邦を背景にしていました】
左端の黒岳から続いて最高峰の旭岳があって、十勝岳、富良野岳と続いていました
久しぶりに竹馬の友とあいました
・ 【僕の携帯番号のスマフォ切り替え時に番号をミスったのでした】
ママから年賀状住所録からやっと電話が繋がりました、お互いに年取ってしまいました
・ 【彼は元北海ホテルのコックでした】
ホテル時代の後輩が休業中のところわざわざお店を開いてくれたのです、僅か小学2年間の付き合いでした
後輩といっても年齢は30才くらい若いそうです、コック見習いで入社した時、大きなアラスカ鮭を一刀のもとにさばき切った
彼のコックとしての腕前に驚いたそうです、最も輝いていた時の彼を知ってました、コックの修行もきついのでして
鍋洗い包丁研ぎ下働きから始まって教えてくれない、見て覚えろ、間違ったら鉄拳が飛んでくる社会だったそうです
(高校卒業時に会った時今はこれしか作れないと言って、別れ際に出してくれたサンドイッチの味が忘れられません)
小学時代にクラス替えがあって同級になりました、付き合ったのは正味1年の仲なのです、喧嘩仲間までもあっても
家が前同士であったので急速に仲が良くなったのは覚えています、僕には強烈な思い出でも彼にとっては
その後の長い時代の一コマに過ぎないですから思い出の共有はできません、僕にとっては数多い転校生活で得た少ない思い出が蘇ります
(彼とは家が目の前でクラスが違っても知っていました、クラス替えになって5年次の時一緒になったのでした)
彼にとっては僕はお坊ちゃまで、付き合い難そうな相手だったそうです、悪ガキ時代の事で僕程の思いは
彼の人生の中にはありません、思い出しながら話しますが、僕の方が空回りして話が奥に進みません
彼は3度目の癌を患ってまして、腺がん、胃がんの果てに今度は喉頭がんです、今回は以前の癌で早期発見ができたそうです
家族の中で俺だけが癌に見込まれてしまったと屈託なく話します、凡庸そうな人生でも壮絶な歩み方をしておりました
(腕に自信のある方は羨ましく、今でもゴルフ場の食堂で腕を振るってます、冬場は仕事がないので丁度いいと申します)
故郷は遠くにありて思うものですね、現実に行って見るとおじさん、おばさんは亡くなっておりました
従妹はいますが、この65年で不慮の事故や病死で亡くなったり、大きく成っておじさんと呼ばれる年になっています
友達だけがいつもと変わらぬ付き合いをしてくれました
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