しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

阿寒湖:アイヌコタン!

2010年10月22日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・        【一見、砦のような建物集落が密集しています】

観光アイヌ集落だと思いますので行くの止したらと申しましたが、ママの着眼点は意外な
所に興味を持つようです

木彫り彫刻や織物、生活様式に興味が尽きないようでした!

(僕ならば間違い無く素通りなのです)



観光の目玉であれば草に埋もれる事のないように展示して貰いたい!


・            【「森の精」が顔を出しています】

奥に展示博物館のような民芸品を展示した建物ありました
有料施設なので僕は遠慮、建物の前で見学ですが、ママは一向に出てくる気配がありません
「アイヌ織り」について質問をしているようです!

こんな所にも「ライダーハウス」がありました、時代がかった古い建物でママに泊まろう
と言おうものなら完全に怒りまくるでしょうね!



今が一番の稼ぎ時にしては観光客が少ないね!世界遺産知床(ウトロ)の人出は
すごかったのにこちらは少ないね

(50年以上前ならば「阿寒湖」は道東の観光地として一番栄華を誇っていました)


・            【「ニタイトー」とは何!】

アイヌ芸術、生活様式体験館、アイヌの踊りを披露してくれる会館などがありまして
ママは熱心に見学ですが、観光化されて雰囲気が少し嘘ポク感じられて僕はただ待っている
だけです

やはりアイヌ文化の伝承は「平取」方面の素朴な文化が僕に合っているような気がします
「アイヌ」と「阿寒湖」は観光で結ばれているような気がします!

よくわかりませんが北海道のアイヌ民族は差別の歴史で日本人との同化が進められて
純粋の「アイヌ」は少ないのではと思います

北海道の先住民族はアイヌです、アイヌなくして蝦夷地開拓はできなかったと思います
アイヌと共同で探検した間宮林蔵によれば、樺太南部は江戸幕府の支配下にあって、北部:サハリン
地区はロシアでなく中国の支配が強かったようです

(間宮海峡の発見までは樺太は大陸の半島と思われていまして、大陸からアムール川を
 登ってきた中国の影響が強かったのです)

戦争で日本は固有の領土までロシアに取られてしまいました、従って【返せ北方4島】ではなく
本来は【返せ北方4島+樺太南部】なのです
古いJR路線図には宗谷連絡船が就航、樺太から宗谷本線が繋がっておりました

いまやロシアの石油戦略に翻弄されているサハリン油田開発、元を正せば戦争が悪いのです
戦争さえしなければ良かったのです

(鎖国から開放されて開国した時、坂本竜馬の「大政奉還」が良かったのか?桂小五郎の
 【武力倒幕】によるフランス革命方式が良かったのかまで歴史を遡る必要がありますねえ!)






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