しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

鳥浜トメさんは「観音様」になりました!

2013年05月25日 | アウトドアキャンプ
・               【平和会館では生前の「トメさん」がビデオで話されています】

鳥浜トメさんの「観音様」は保存されている「冨屋旅館」の横に新しくできたようです!

(黒板塀で囲まれてました!)


・                【トメさんの年表です】


・                 【トメさんは89歳まで生きました】

戦争体験の生き証人、神風特攻隊の裏事情だって、隊員さんの本音だって知っていたはずです

(母さんはトメさんより長生きして良かったです、娘時分に苦労した分、親父が短い生涯を閉じた分長生きしてください!)



「トメ」さんは観音様になって見守ってくれます!


・                  【妙に新しい提灯です】

ご本人さまが希望して「観音様」になったのでしょうか?



戦後、トメは「お国のために散っていった」特攻隊員を供養するために、草ぼうぼうとなった飛行場跡に棒杭を墓標として立て
拝んだそうです。それからトメは、いろいろな方に呼びかけ続け、遺族の方や生き残った方々や各関係者の御尽力によって
「知覧特攻平和観音堂」ができあがったのです。


・                【右側は「水先案内地蔵」さんです】

トメは毎日供養にでかけ、まだ皆が観音堂を今ほど顧みなかった頃から近所の子供たちを集め、
お掃除や供養することを習慣とさせたそうです。そのご褒美にと飴やお菓子を子供たちにあげて皆が集まるように、
皆が手を合わせ合掌し供養してくれるようにと力を尽くしました。

平和の語り部として『戦争はね、あってはならないのですよ』と隊員さん達とのエピソードを交えながら語っておりました。



そんなある日、トメは「おばあちゃんの役目はもう終わったんだよ」と語り、「どうして?」とたずねると
「おばあちゃんがもうお参りに行かなくても、全国からお参りに来て下さるようになったから、おばあちゃんはそれでいいんだよ」と話してくれました。
         

・                 【左側には「愚痴聞地蔵」さんでした】

手を合わせることで、亡き命の供養とともに一人一人に平和は託されたとの思いだったのではないでしょうか。
トメは平成4年4月22日、桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。トメが拝み、最後まで大切にしていた観音様があります。
その観音様は、今もここ富屋旅館の一室にまつられています。



学生時代鹿児島出身のS君が繰り返し言ってました、鹿児島には特攻基地があってその中でも「知覧」という
地名を話していた記憶があります、彼は「軍歌」は好きでないと言って飲んでも一切歌いませんでした
今回指宿で予定外に長逗留した為にお会いできませんでした、年賀状のやり取り程度はあります

(卒業後鹿児島に帰っていきました、以来会ったのは出張で鹿児島へ行った時の一回だけです)

本当はお会いして旧交を温めたかった人だったのです、奥さんを早く亡くしましたが、子供は母校に進学させてます
立派に子育てを終えました、僕なぞママがいなければ何もできなかったでしょう!

(行く約束はしていなかったけれど、伺って二人で飲み明かしたかったのが今回旅行の心残りになりました)

事前に連絡しておかなかったのが幸いです、旅は予定通りには行きません!



これが本当の「冷えとり」の手引書
PHP研究所

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