こないだ「永遠」なんて存在しない、っていう記事を書きましたが、
最近、「絶対」という言葉にも畏怖の念を覚えます。
わりと使用頻度の高い言葉だと思います。
ゆえに簡単に口にしてしまう部分がなきにしもあらずかなあ、と感じます。
「これ、絶対に美味しいって!」
「絶対、明日持ってくるから。」
そもそも【絶対】とは「対(あいて)」を「絶」つ。
つまり、相手を必要とせずに完全独立の状態で存在するという意なわけです。
そのように、高く険しい山がそびえ立つような言葉を簡単に口にしてしまうと、
その内容がどんなに美しくとも空々しくなってしまう危険性があります。
「今日のことは絶対に忘れないから。」
「あなたと仲が悪くなるなんてことは絶対にない。」
「永遠」という言葉とともに信じて良いのか迷う言葉です。
まあ、いろいろ言っても使っちゃうんですけどね。
あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない
(椎名林檎「ギブス」)
最近、「絶対」という言葉にも畏怖の念を覚えます。
わりと使用頻度の高い言葉だと思います。
ゆえに簡単に口にしてしまう部分がなきにしもあらずかなあ、と感じます。
「これ、絶対に美味しいって!」
「絶対、明日持ってくるから。」
そもそも【絶対】とは「対(あいて)」を「絶」つ。
つまり、相手を必要とせずに完全独立の状態で存在するという意なわけです。
そのように、高く険しい山がそびえ立つような言葉を簡単に口にしてしまうと、
その内容がどんなに美しくとも空々しくなってしまう危険性があります。
「今日のことは絶対に忘れないから。」
「あなたと仲が悪くなるなんてことは絶対にない。」
「永遠」という言葉とともに信じて良いのか迷う言葉です。
まあ、いろいろ言っても使っちゃうんですけどね。
あなたはすぐに絶対などと云う
あたしは何時も其れを厭がるの
だって冷めてしまっちゃえば 其れすら嘘になるじゃない
(椎名林檎「ギブス」)
悲しいけど、それが解ってしまうのも、折り合いを付けるのも大人になってしまったのかな…?
私にとって一つだけ確実にあるもの。
永遠は子供への愛情、本能\ですかね?これは揺るぎないと思う。
(だってメチャクチャ子供嫌いやのに、愛せるんやし…)
絶対は自分へのコンプレックス。これは、尽きないと思うな…(o _ _)o
どちらも最近、つくもが信じることができなくなってしまったものです。
もしくは、失ってしまったもの。
こういうことをあと何度か繰り返して良くも悪くも人生に折り合いをつけていくのかなって思うと、
言いようのない寂しさに襲われます。
特に若い人間を目の前にする仕事をしてますからね…。
お子さんへの愛情、いつまでも大事にして下さい。
最近、哀しい事件が多すぎますから。
流石も、最初は尊敬からかもしれないけれどいつか「当然」に変わる日がくるのかと思うと、怖いです。
そして「絶対」は・・・・・・「絶対なことなんてない」という「絶対の絶対的否定」なよくある発言。
まぁ、やっぱり私も使ってしまうのですが^^;
昔、なんかの本で絶対なるものをすべて相対化してしまおうとする傾向のことを、
「相対化の病」と言ってバブル期の潮流だった、というようなことを読んだような気がします。
「最悪」なんてのも「最も悪い」わけですから、
本来なら絶対的なものですけど乱用することにより程度を表す形容詞みたいになっちゃうんですよね。
絶対的なものを背負うのは重いですから。
まあ、それが良いか悪いかというと、大人の立場からは大きな声では言えなくなってしまうんですが…。