私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

建築関連関係資材市場-58

2008-09-20 10:04:55 | Weblog

瀋陽建築資材関連市場   中国では一般的には各地域に大変大きな建築関連展示市場(写真は瀋陽家具売り場)が在ります。意図的に集められたその市場にはありとあらゆる資材・製品が売られており、市場を見て回るにはあまりに大きく、大変な努力と体力が必要です。何故この様な大きな市場が必要なのか日本的感覚では不思議です。各製品の流通経路の確立、中国では信用の醸成が今一つで、専門職に全面的に委ねる習慣があまり無いようです。それ故、例えば改装・改築などでは、施主が各資材をこの様な場所で調達・購入し与え、仕事をして頂くという習慣があるよります。勿論素人ばかりが購入しているわけではありません。都心の百貨店地下などに、昔は小型の各部材類等の資材が売られておりました。工事を受注し図面を書き、それにより計画的に順序よく工事を進めないため配管などの工事では壁面を仕上げ、その後、露出配管等をするためあまり仕上がりが良くないケースが多くみられます。投稿53番などは其の例でしょう。      

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旧市内有名商店街-57

2008-09-15 12:58:07 | Weblog

旧市内商店街風景    広州の古い地域にて電柱に取り付けられたトランスです。その昔はこの地域には電気がなく、道の両脇は木が茂り、近世取り付けられたためらしくスペースの問題等、そして1F店舗、2・3Fは居宅のためかトランス・電線の位置が少し低く取り付けられ怖いですよ。狭い古い地域は一般的にはこの様な配電方法ですが新しく開けた地域は違います。建物・自動車の高さから測って下さい。この写真は1車線対面交通道路の車中(左へ進行)から写したものです。写真で見てトランス位置と建物の間が歩道です。又、もっと大きなトランスも同じ高さに据え付けられておりました。      

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広州携帯電話の街-56

2008-09-14 22:18:10 | Weblog

市内携帯電話街    市内中山三路北広州紀文烈士稜園近く、写真の場所は稜園西路の携帯関連の店が並ぶ街です。取敢えず携帯関連の店が連なり、我が国ではこの様に電話に関する店が多くならぶとは考えられないです。携帯関連のみの店が並び日本橋(大阪)、秋葉原(東京)のような地域です。繁華街等にて人だかりがする処の多くは若者に人気がある電子機器(パソコン・カメラ・携帯関連機器等)が陳列されている店です。昔中国では電話は金持・企業の物で一般人は町の公衆電話でした(公衆電話は日本とは少し異なる)。携帯の機能は皆様も承知の如く日本とは異なります。電話番号は電話機器の中にチップをはめ入れ使います。4~5年程前までは機器が高額のためチップのみ保持する人多く、機器を借り自分のチップを入れて一時的に使用する人が若者に多くおりました。今は機器も少し安くなり若者の流行の一部となり機器をよく買い換えます。その様な為に店が多く在るのではないでしょうか。又、中国では電話が掛ってきても料金が必要な番号が多くあります。プリペイド方式の電話番号も多くあります。私も最初は上海の番号(紛失)、2番目はシンセンの番号、3番目は広州の番号と替わり、その方式の携帯を保持します。     

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広東仏山集合住宅ー55

2008-09-11 20:25:08 | Weblog

広東仏山市集合住宅    広州市の西南の方向に位置する隣の仏山市の集合住宅です。少し前には南海市と呼ばれた地域で、仏山市に統合された地域です。人口は数百万人で広州市からは高速道路が通じております。10数年前は隣の江門市と同じく泊まりがけで出かけ地域です。この写真は2003年に写した写真で市中心部の建築物です。日本では人口からゆえばかなり大きな県に相当します。建物は新しくタイル貼り推定4~7年程度の中層建築居住マンションです。この写真は1F階段横に電気メーターが設置された場所です。日本では考えられないむき出しの危険な状態を感じ写真にしたものです。     

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上海古鎮朱家角-54

2008-09-10 20:58:01 | 中国写真・風景撮影

古鎮朱家角   この写真は古鎮内城隍廟橋と呼ばれる橋上より写したものです(2002年4月)。この地は多くの観光客が訪れる地域で観光された人も多いと思います。先ずは古鎮景区入口にてチケットを買い約4000年前の人々の生活風俗・景観を残すといわれる迷路のようなクリーク沿いの地域に入ります。路沿いに屋台が並び、その屋台の中で真珠を売る店がありました。この店舗の店員は中国少数民族だと思いますが大変変った顔で、凝視するのも憚るため、店内に入り買い物をしながら観察をしました。顔の輪郭がビックリするほど四角かった事が思い出されます。解り易くゆえば昔の角型の凧のような感じです。その当時一緒に観光した中国人と現在でも酒を飲みながらの話題になります。又、清代に設けられた郵便局・大清郵局も見ものです。

   

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