私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

済南滞在記⑪-103

2009-03-17 23:14:23 | Weblog

済南滞在記 ⑪    済南は春秋戦国時代には櫟邑(らくゆう)という名称で呼ばれ斉の都として栄えていたそうです。その後、漢代になり済水の南に位置する事から済南と改名された地です。現在は山東省の省都で古くからの景勝地で市内には多くの名泉があり別名『泉城』と呼ばれています。その地の〝南郊賓館〟は市内南にその当時はありました。正面入り口には兵士が番人として駐在し、その兵士は銃剣を保持しており塀でめぐらした敷地正面入り口は閉ざされ横の小さな通用門より出入りしました。その門より30メーター程度入った本館前(⑩の写真)で写した写真です。本館の入口を入り右側にうす暗いフロントがありました。フロントより1F宿泊部屋に案内された時、最初にビックリしたのは一直線の廊下の広さと廊下に敷かれた真っ赤のカーペット、そして廊下には各所に詰め所が在り女性が監視して居りました。一般的にはこの当時廊下には詰め所は在りました(現在は特別な時以外は一般的にはありません)がこのホテルは特に多く在った事が記憶にあります。その館内には書・掛け軸・その他が展示され、当ホテルは政府最高要人も宿泊した事があると言われる格式高い館で、そして有名な書家・絵描きの作品が陳列されていると説明されました。私も陳列物を観て是非とも購入したいと思った掛け軸がありました。それは越冬中の“虎”で毛が茶色に変色した様子が大変細かく描かれた軸と“鯉”が一匹大きく書かれた軸でした。中国では鯉が一匹のみ描かれた絵は少なく、多くは中国の縁起で鯉の数が7~9匹描かれた絵が多いです。その当時として軸は大変高価で購入をためらい、私は何度も観て・考えトラを購入しました。その後色々な地域で鯉の絵を観ますが、今もあの鯉の絵を想い購入しておけば良かったと悔いています。明日は仕事・水の都の市内観光です。     

http://www.obea.or.jp/ryugaku

 


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