前回の乙字ヶ滝の続きです。
発電用の取水路の右手に人工的に掘られた水路が見えます。
今はあまり水も流れていませんがこれが船を通す為の船運路です。
下流から見てみると
さらに拡大して
江戸時代は、船での運搬が、主流で阿武隈川も白河方面から米などの物資を仙台経由で江戸まで運んでいたそうです。
乙字ヶ滝は阿武隈川の最大の難所で滝の上で荷物を下し、また滝の下で船に積み運んでいた様です。
この運路は明治維新前に着工して24年の月日をかけ明治15年に完成したそうです。
昔は、道具も無く手掘りでコツコツ掘っていたのでしょう24年かかってもおかしくないですね。
明治24年に東北本線全線開通との事なのでこの船運路もあまり使われなかったことでしょう。
次は前田川発電所です。私はよくこの道を通り、ナビに前田川発電所と出てくるので存在は知ってましたが、
まさかこの堰、用水が発電用の用水だとは思ってもみませんでした。
阿武隈川をショートカットしていく様なこの用水はリンゴ畑の真ん中で農業用水と発電用の用水に別れます。
左手が農業用水の水門です。真っ直ぐ道を進んで行くと
白い建物が前田川発電所です。
調べてみると明治39年発電開始・・・100年以上前から今も発電しているのです。
身近な所で先人の苦労の跡が見られました。
一見落着で帰ろうとするとガタンゴトンと聞こえて来たので
構えてますと水郡線が走って来ました。
阿武隈川と水郡線のコラボのおまけです。
発電用の取水路の右手に人工的に掘られた水路が見えます。
今はあまり水も流れていませんがこれが船を通す為の船運路です。
下流から見てみると
さらに拡大して
江戸時代は、船での運搬が、主流で阿武隈川も白河方面から米などの物資を仙台経由で江戸まで運んでいたそうです。
乙字ヶ滝は阿武隈川の最大の難所で滝の上で荷物を下し、また滝の下で船に積み運んでいた様です。
この運路は明治維新前に着工して24年の月日をかけ明治15年に完成したそうです。
昔は、道具も無く手掘りでコツコツ掘っていたのでしょう24年かかってもおかしくないですね。
明治24年に東北本線全線開通との事なのでこの船運路もあまり使われなかったことでしょう。
次は前田川発電所です。私はよくこの道を通り、ナビに前田川発電所と出てくるので存在は知ってましたが、
まさかこの堰、用水が発電用の用水だとは思ってもみませんでした。
阿武隈川をショートカットしていく様なこの用水はリンゴ畑の真ん中で農業用水と発電用の用水に別れます。
左手が農業用水の水門です。真っ直ぐ道を進んで行くと
白い建物が前田川発電所です。
調べてみると明治39年発電開始・・・100年以上前から今も発電しているのです。
身近な所で先人の苦労の跡が見られました。
一見落着で帰ろうとするとガタンゴトンと聞こえて来たので
構えてますと水郡線が走って来ました。
阿武隈川と水郡線のコラボのおまけです。